高天原《たかまがはら》なリアル 霜越かほる ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)高天原《たかまがはら》かほり |:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号 (例)神代|美代子《みよこ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#改ページ] -------------------------------------------------------               高天原なリアル              CONTENTS 1 あたしは毒島かれん …………………………………………… 10 2 私は神代美代子 ………………………………………………… 19 3 おかあは高天原かほり ………………………………………… 30 4 ババァが高天原かほり…… …………………………………… 41 5 あたしが高天原かほり? ……………………………………… 48 6 かれんが高天原かほり ………………………………………… 67 7 あたしは高天原かほり ………………………………………… 70 8 勇み足な露出 …………………………………………………… 88 9 私が、ぶすじま・かれん ……………………………………… 91 10 かれんは未成年《ティーンエイジャー》 ………………………………………………… 94 11 寡婦《やもめ》にだって××がわく ………………………………………115 12 虚像《ヴァーチャル》かほりネットワークに現る ………………………………124 13 ぶすじま・かれん≠毒島かれん ………………………………152 14 おんな二十八、番茶も出がらし ………………………………175 15 敵に渡すな大事なリモコン ……………………………………186 16 木戸哀楽 …………………………………………………………203 17 うまい話にゃ裏はある …………………………………………209 18 ハーメルンの笛 …………………………………………………218 19 ウルシバラ・ミサオ ……………………………………………226 20 操もかれん? ……………………………………………………233 21 あたしってものは、何なんだ! ………………………………249 22 笛吹けど踊らず …………………………………………………251 23 かなり長めにエピローグ ………………………………………267  あとがき ……………………………………………………………286 [#地付き]イラスト/木場智士 [#改ページ]    1 あたしは毒島かれん  あたしは、  某女子大付属の女子高に通う二年生。  名前は毒島《ぶすじま》かれん、十六歳。  いきなりのけぞったでしょ?  はじめて私の名前を聞く人はたいていそう。  名字に「ブス」って音が入ってるだけで、うら若い娘には致命《ちめい》的だと思わない?  追い打ちをかけるように、名前は「かれん」ときた。  もすこし、上と下のバランスってものを考えてほしいよね。  あたし、女子高生ってもルーズだのパンツ見せスカートなんかはかない。携帯、ピッチもなし。校則が厳《きび》しめの学校ってのもあるけど、だからってマジメなお嬢さんなんかではない。ま、いちおー、あたしとて今どきの娘だから、そーゆーかっこうをしてみたいと思わないでもないし、持ち歩く電話には魅力も感じるけどね。  が、しかーし、今はなによりもコンタクトレンズが欲しいっ!  あたしは、もの心ついたときからメガネをかけてる。ド近眼の例にもれず、あたしの瞳《ひとみ》はぐりんと大きいけど、メガネがないと目の前にいる人の顔の輪郭《りんかく》も、ぼーっとしちゃう役立たず。レンズはぶ厚いし、長時間かけてると鼻の上に凹《へこ》みができてカッコ悪い。着るものをどーこーするより、まずコンタクトだ。いちど、メガネ無しの自分の顔を写真以外で見てみたい。  でもね……親の財布に入ってるクレジットカードが金色でもないし……はっきり言っちゃうと、あたしの家は、それほど裕福じゃないのよね。赤貧《せきひん》洗うがごとしというのではないけど、毎月の小遣《こづか》いは羽が生えて飛んでいく。コンタクトには、ほど遠いんだな。  バイトでもすりゃーいーじゃねーかって思うでしょ?  あたしもしたいんだ。けどダメなのよ、家の仕事があるから。世間一般で言う『家事』ってヤツが。あたしの家は母ひとり子ひとりの母子家庭。おかあの仕事が不規則だから、家のことは、あたしもカバーしなきゃならないの。  茨城《いばらき》産の「こしひかり」と青森《あおもり》産の「つがるおとめ」は、どっちが安くておいしいお米か、ドライ印《マーク》のウールはどうすれば家で水洗いできるか、クレープの生地は焼く前に何分くらい冷蔵庫でねかせるのか、なんてーのを知ってる娘でもあるわけよ、あたしは。  そして今はある事情でミニやルーズは、はきたくてもはけないんだ。あたしが置かれてる状況、みょーな名前の由来もふくめて(この名前がねぇ……)しばらく話を聞いてほしいんだ。  えーと、なにから話せばいいのかな、ちょっと長くなると思うけどガマンしてね。                     ※  ウチのおかあは毒島|康子《やすこ》、四十二歳。  娘のあたしと違って歳相応《としそうおう》のごくまっとうな、ありふれた名前だけど、二階堂《にかいどう》弥生《やよい》って、いかにも取って付けたような、別の名前も持っている。それはおかあの職業が、いわゆる声優ってやつだからなんだ。  二階堂弥生。  一部の世界ではかなり名の、というよりは声の知られたヒト。業界筋では「七色の声」で通ってるけど、あたしの見るところ七色ってのは、かなり控えめな言いかただ。すくなく見積もっても、あたしが美術クラブで使ってる二十四色のパステルくらいの声色《こわいろ》は持ってるもの。  おかあのワザはハンパじゃない。赤ん坊から、男の子、女の子、純情な処女《おとめ》、鼻っ柱の強いキャリアウーマン、|お色気《ふぇろもん》ムンムンおねーちゃん、死にぞこないの婆《ばあ》さんの声まで、何でもかんでもやっちまう。  ふだんの生活でだって「ママいないんですぅ、わかりません」って舌っ足らずでドアフォンに言えば、ガラの悪いセールスマンもあきらめて帰っちゃうし、スケベなイタズラ電話には「よぉーく聞こえないから、補聴器つけるまで待っとくれね」ってしゃがれ声でしゃべったら、すぐ切れて二度とかかってこなかった。  すごいでしょ?  でも、おかあの声は生まれつきってわけじゃない。努力の結晶なんだよ。おかあは、なりたくて声優になったんじゃないんだ。  二十年ほど昔。  小さな劇団で演劇をやっていたおかあは、そこで一人の男性と出会った。よくある話で二人は同棲《どうせい》。やがて結婚。生活は苦しいけど、若い二人は夢をあきらめないで客の入らない芝居を続けていった。  でも、そんな二人のゲージュツ的で清貧な生活にトドメを刺したのが、このあたし。  つまり、おかあのお腹がふくれちゃったってわけ。このままじゃ生まれてくるあたしのミルク代にも事欠いちゃう。つーわけで、ツテを頼って夫婦であちこち声優の仕事のオーディションを受けたのね。  母親になるために舞台から降りたおかあが、妊娠四カ月のつわり[#「つわり」に傍点]に耐えながら、最後に演じた役名がカレン。母親の果たせなかった夢を継《つ》いで、可憐な娘に育つようにとの願いも込めて、生まれたあたしは、「かれん」と命名された。安易《あんい》でしょ。ちっとは子供の将来ってもの考えてほしいもんよね。  おとうは芝居だけでは愛する妻と可愛《かわい》い娘を養うことができなくて、いつしか声の仕事がメインになっていったんだ。そのころ芝居の宣伝用に撮ったおとうの写真は、舞台化粧のせいもあって、けっこー二枚目に写ってるけど、生まれたばかりのあたしを抱いて撮ったヤツは、くしゃっと笑ってハンぺンみたいな顔してる。おかあが口癖《くちぐせ》のように言う「お前の父さんは劇団一の、いい男だったのよ」ってのは、実のところかなりアヤシイと、あたしはにらんでるんだ。  でもね、おとうの声は間違いなく超がつく二枚目だった。  おとうは、カール・ウッドワードって、一世を風靡《ふうび》したハンサム俳優の吹き替え専属みたいになったの。わかるでしょ? イーストウッドの声はこの人、ヘップバーンの声はあの人って、決まった声優がいるじゃない、あれと同じね。  今でも時どき再放送の深夜映画なんかで、おとうの声を聞くことができるんだけど、その時は必ず標準でビデオ録画するのが我が家の決まりになってるの。  おとうの吹き替えたウッドワードって俳優は若くして死んじゃったから、主演作はたったの三作。脇役を入れても生涯《しょうがい》に七本しか映画に出なかった。でも人気はすごいからイメージは強烈。つーことは、おとうの声も視聴者の印象に残っちゃった。となると、別のオーディション受けても、「あんたの声はウッドワードのイメージが強すぎてなぁ」って役が付かなくなった。  フリーって仕事の厳しさよね。  「俳優が死んじまって、新しい仕事が来なくなった。困ったなぁ……」  なーんて言ってるうち、おとう本人も病気でポックリ逝《い》っちゃった。  あたしが三歳のときだ。  なんか辛気《しんき》くさい話になっちゃったわね。  で、おとうに続いて声優業を始めたばかりのおかあは、どんな役でもこなせなきゃダメって決意したんだ。女の細腕に三歳のあたし抱えて血の涙。そいで、今の二十四色の声があるってわけ。なかでも十八番《おはこ》は女の子。これはすごいのよ、十六歳のあたしより女の子してる声なんだもの。あたしに化けて電話を受けちゃっても、学校の友達は気が付かなかったくらい。  ちなみにウチのおかあの外見はね、自分じゃ劇団時代は主役級のヒロインだったって言い張るけど、今じゃ、どっか——んと体脂肪率が高い四十二歳のオババ。身内の悪口を言わないのが仁義ってもんだけど、あたしが将来、ああなる遺伝子を受け継いでるってのは、すごい恐怖だわ……と言えば、およその体型は想像できると思うけど。  ちょっとは、あたしの家庭のことわかってもらえたかな?                     ※  あたし、映画は字幕でしか見ない。例外はおとうのやった吹き替えだけだ。考えてみて。金髪のナイスボディがおかあの声でラブシーンやってるんだよ。  アニメって好き? あたしはぜんぜんダメ。  家庭環境みればわかるでしょ。おかあはアニメなんて言わないで、テレビまんが、って言ってるけどね。いっしょに録音スタジオに行ったこともあるんだけど、きれいな映像に声をアテていると思ってたら大間違い。エンピツ描きの絵や、『ここでセリフ』って字に合わせてアフレコしてるんだよ、作画が間に合わないから。  準備のランプがつくと、いっせいに咳払《せきばら》い。カ———ッペッ、ってタン切る音まで聞こえた。  本番の合図で収録スタート。 『ナスターシャ、逃げるんだ! 振り返っちゃいけない』 『エルンスト!』 『早く行くんだっ!』 『嫌っ! あなたをおいてはいけないわ』  なーんて、いいオトナが可愛らしい声出して、マイクの前でおしくらまんじゅうしてるんだ。見せ場なんだろうけどさ、美形のヒーローをやってるのが、休憩時間に廊下《ろうか》で週刊誌のヌードグラビア見てたオッチャン。相手の美少女がウチのおかあなんだよね。効果音も音楽もついてないセリフだけの芝居って、生で聞くと、かなり間抜けなものよ。ま、どーでもいいけど……。スタジオも汚いし、出来高払いのえらく地味な仕事なんだけど、近ごろは声優って人気職業なんだってね。実状を知らないからそういうこと考えるんじゃないかしら。  そうそう、あたしの周囲には、おかあの仕事が声優だとは言ってないんだ。エロっぽい仕事もやってるから胸張って言えもしないんだけどね。二十三で結婚。二十五であたし産んで、二十八でおとうと死別。それ以来十四年、女手ひとつであたしを育てて、再婚もしないで、ずーっと未亡人《独り身》を通してきたんだから、たまには「いけないわ、あぁ——ん」なんて艶《つや》っぽい声を出して解消してんじゃないかって、あたしは密《ひそ》かに思ってる。おっと、これは、おかあにはナイショだ。でも収録の前日に、家でその手の台本を大声で読むのはやめておくれよね、おかあ。                     ※  さて、いよいよ話は大切な所に近づくから、気合い入れて聞いてね。  一年くらい前のある晩、おかあがいつものように、ビール飲みながら翌日の台本の下読みしてたんだけど、その台本ってのが普通じゃなかった。地方のタウンページくらいのボリュームはあった。 「何でそんなに厚いわけ? 映画? アニメ? ラジオドラマ? ナレーション?」 「さあ、なんなんだろうね」  おかあ自身も良くわからないらしい。 「オーディションはなかったの?」 「うん。器用な人を頼みますってことで、わたしにまわってきた仕事らしいんだけどね」  翌日、おかあが出かけていったのは、いつものスタジオじゃなく、小さなアナウンスブースだった。そこに三日間こもって一人っきりで収録した。 「あなたは女子高生の設定です。同級生の男の子に話しかけてると思って演じて下さい」  ってディレクターに言われて、 「うん、ありがとう」「ごめんね、その日は忙しいの」「今日はとっても楽しかった」  こういう小間切れなセリフを何百も録音した。セリフごとにストップ・ウォッチで長さを計るのもはじめてだったし、同じセリフでも、大好きな男の子に、単なる友達に、良い印象を持たない相手に、それぞれのバージョンで何度も何度も録《と》ったんだって。合わせる絵があるでもなく、台本を続んでも理解できない。自分が何をやってるのか、おかあはサッパリわからなかったそうだ。  やっとここまで聞いてもらえたね。ふ——っ、すこし、くたびれちゃったな。  付き合ってくれてありがとう。とっても嬉しかった。  って、おっと、こーゆー言い方が染《し》みついちまってるんだなぁ…………………  そのへんの事情はあとにするとして、ちょっと、ひと休みね。 [#改ページ]    2 私は神代美代子  私は神代《くましろ》美代子《みよこ》。二十七歳。�ビッグ・ウエイヴ開発四課勤務。  今の女子高校生ってよく喋《しゃべ》るわね。ここからは、しばらく私に付き合ってもらうわ。急に漢字が増えたからって、読むの投げたら許さないわよ。  忘れたい嫌な過去だけど、一応、話しておくわ。  六年前の大学四年、就職戦線の真《ま》っ只中《ただなか》。マスコミ志望だった私は、五味《ごみ》賣《うり》新聞、ユニオンテレビ放送、ジャパン文化ラジオ、その他モロモロ、綺麗《きれい》さっぱり見事に落ちた。周りは次々に内定が出ている。あとがない。この際、贅沢《ぜいたく》は言ってられない。焦《あせ》って受けたのが今いるビッグ・ウエイヴ。コンピューター関連とは聞いていたけれど、面接の前日までゲームメーカーとは知らなかった。 「コンピューター・プログラムなどに興味はありますか?」 「わたくしは文科系ですが、コボルとパスカルは独学で身につけました」 「ほう、コボルにパスカルですか。懐《なつ》かしいね」 「|END PROGRAM《命令終了》までたどり着くのはかなり大変でした。構造化言語も文科系には面食らうことばかりで」 「そうでしょうね」  私の答え、実は全部ウソ。  自動車部にいた工学部の後輩に相談したら、コボルやパスカルなんてコンピューター言語に通じている面接官などいやしないから、ハクを付けるために語っても大丈夫と聞いて、言ってみただけだ。実のところはコンピューター言語なんて、スワヒリ語よりも知識がない。  そのハッタリが効いたらしく、なんとか採用決定。  でも、本当に開発に配属されちまったのだ。実際にはワープロしか打てなかったのに……。  新人研修の一日目にしてボロを出し、三日目に化けの皮が剥《は》がれた私が開発課で与えられた仕事は、制作担当とは名ばかりの雑用だった。あとから入社してきた後輩達は、理工学部卒のプログラマー、美大出の絵描き、音大の作曲科出身、といったスペシャリストばかり。無芸の私がいるのは肩身が狭い職場で、誰がやっても変わりなく、やり甲斐《がい》も希望もない雑用仕事の毎日。周囲の冷たい視線。ろくな男もいないコンピューターだらけの環境に耐えること数年。 (いざとなりゃぁ、こいつをスパーンと上司に叩き付けて、きれいさっぱり辞めてやるわっ!)  と、私はバッグの底に入れた辞表を心のよりどころとする日々を送っていた。  そして二年前。  そう、二年前のあの日からすべてが始まったのだ………………  当時、会社はイケイケだった。ソフトを供給する家庭用ゲーム機の種類を大幅に増やした結果、開発力の不足に直面して、急遽《きゅうきょ》、一本のタイトルを外注することになった。その責任者として外部のソフトハウスに出向《しゅっこう》を命じられたのが、誰あろう、この私。  与えられた条件は、開発期間十五カ月、総予算一九七〇万円。  これは常識から考えると、不可能とまでは言えないものの、現実にはかなり厳しいラインだ。そのかわり細かい仕様はそちらまかせ。ただし納期と予算は厳守。会社としてはタイトル数の不足を補うためだけの、はじめから結果なんか期待していない、半ばクソゲー覚悟の発注だったのだ。  なんて仕事だろう。これじゃ厄介《やっかい》ばらいと同じじゃない。辞表に手が伸びかかったけれども、残三十一回の自動車ローンが、辛《かろ》うじて、私を会社に踏みとどまらせた。  数日後、私は発注先のドリーム・テックというソフトハウスにおもむいた。住所を訪ねると、そこはごく普通の賃貸《ちんたい》マンションの一室だったが、すすけた表札には確かに、 【�ドリーム・テック】とある。  ドアフォンを押した。 「どうぞお入り下さい」  若い男が顔を出した。  外見からアルバイトの学生だろう、と思ったその男が社長の石森《いしもり》直人《なおと》だった。徹夜明けなのか、しょぼついた目に剃《そ》りムラのある髭《ひげ》、脂《あぶら》の浮いた顔。全体の造作《ぞうさく》はそう悪くもないのだが、ひと言でいえば冴《さ》えない男だった。その印象は彼の率《ひき》いる、ドリーム・テックにもあてはまった。中に入った瞬間、こりゃダメだと直感した。  ゲーム開発現場には特有の「匂《にお》い」ってものがある。それはOA機器や最新のコンピューターの冷却ファンが吹き出す機械くささ、コーヒーの芳香《ほうこう》、などが微妙に入り混じった一種独特のもの。けれど、ドリーム・テックの広くはない3LDKにこもっていたのは「匂い」ではなく「臭《にお》い」だった。灰皿には山盛りの吸いガラ、食い散らかしたコンビニ弁当やジャンクフードからの腐臭《ふしゅう》、その下から微《かす》かに鼻に届くのは、若い男の体臭だろうか。  中にいた五人の男は、石森よりさらに若かった。壁にはアイドルやアニメのポスターがベタベタ貼られ、デスクの上はオモチャだらけ。会社と言うよりはゲーム同好会の部室、石森は経営者というよりサークルの先輩といった雰囲気だ。そのうえ並んでいる開発機材は普通のパソコンのみ。この手の職場には必需品のジルコン・グラフィック製マシンや、CG向けに特化された|W  S《ワークステーション》の姿はどこにもなかった。  三年前にまだ大学生だった石森が興《おこ》したこの会社、|パソゲー《パソコンゲーム》では、ちょっとは知られたブランドらしいが、資金繰りが苦しくなって、ビッグ・ウエイヴの下請け仕事を格安で受注したらしい。社長の石森直人は二十五歳、私より四カ月だけ若い。石森と社員の二人以外は学生アルバイト。全員年下だ。こんな連中と十五カ月の間、一緒に仕事しなきゃならないとは……  しゃあない、まず何はともあれ企画会議だ。ゲーム業界の常套《じょうとう》手段、人気キャラクターを使うなんて事は出来っこない。版権《はんけん》がとんでもなく高くて、それだけで予算オーバーしてしまう。 「口うるさいマニアを避けて、年少者向けのアクションとかシューティングの線を狙おうと思っているんだけど。上手《うま》く広告をうてば、堅《かた》い商売ができるかもしれないから」 「その手は難しい。開発には経験が必要です」  他人事のように石森は言った。 「では、当たり前すぎるけど|R P G《ロール・プレイング・ゲーム》とか?」 「そういうの、うちは不得意ですね」 「地味なところで落ちモノ系のパズルは?」 「作ったことありませんので」  こいつ、やる気あるのかよ!  ま、歩合《ぶあい》無しの完全買い取りだから、わからないでもないけれど。  しかたなく私は訊《き》いた。 「では、何ができるの?」 「それには、うちの仕事を見てもらうほうが早いです。こちらへどうぞ」  と、石森にパソコンの前に座らせられて、起《た》ち上がったゲームは…………まさかの…………|十八禁のエロゲー《すけべえなゲーム》だった。 「制服のスカートの中をクリックしてみてください。いえ、もっと奥です」「いま分岐《ぶんき》に入りました。グッドエンディングには2番を選んでください」などと、男の冷静な指示でエロゲーをした、二十五歳(当時)独身(今もよ。悪かったわね)女性は、世のなか広しといえど私ぐらいじゃないだろうか。モニターに映る裸の女の子を見ていると、ひどく惨《みじ》めで、かつ腹立たしくなってきた。 「幼稚園児のお子様から、その爺《じい》ちゃん婆《ばあ》ちゃんまでが対象の家庭用ゲームで、こんなもの出せるわけないでしょうが!」  私の声に怒気《どき》が滲《にじ》むのも当然だろう。 「でも、うちはこれで食べてきたし、これしかできないから……」  石森は不服そうに答えたが、発注元の代表たる私に面と向かって抗議はしなかった。  こんな出向先を選んだ会社の上司を、私は心底、呪《のろ》った。  でも、仕事はこなさなきゃならない。  さしあたっての問題は「何を創《つく》るか」ではなく「何なら作れるのか」にトーンダウン。情けないけれど、消去法的発想でいかねばならない。  そして導《みちび》かれた唯一の選択肢《せんたくし》が、 『エロゲーからエロを漉《こ》し取る』  それよりなかったのだ。  でも、それで家庭用ゲームが成立するものだろうか。私が三日間徹夜して、女が好き好んでやるものじゃないエロゲーをしながら必死でひねり出したのは、  まず舞台を共学の高校に設定。  エロは純愛に、  エッチは健全なデートに、  ご褒美《ほうび》は裸じゃなく女の子からの愛の告白に、  と、基本骨格をそっくり家庭用ゲーム仕様にリフォームするプランだった。  石森の作っていた企画書を参考に、女子高生のキャラクターを十数人設定して、大急ぎでシナリオを仕上げる。本来こういう仕事は専門のライターが手掛けるものだけれど、予算の限られたこの企画じゃ全《すべ》てが自前。何とかそこまででっち上げて、本格的に開発はスタートした。ともすれば今までの癖《くせ》で暴走しかけるドリーム・テックのスタッフ達に、私は何度となく、口が酸《す》っぱくなるほど繰り返した。 「ユーザーの下半身を刺激するんじゃない! プラトニックでいくんだよっ」って。  開発が本格化すると、どこからともなく人が集まり、狭いマンションが梁山泊《りょうざんぱく》さながらの様相となった。この会社が低予算で作業できるのには、裏があったのだ。アルバイトの大学生に学校の機材で仕事をさせたり、アニメ専門学校の生徒を安く買い叩《たた》いて引きずり込んだりして、開発経費を圧縮していた。この連中、|安い給金《スズメの涙》しかもらっていないのに、のめっちゃうと仕事へのリキの入れ方は凄《すご》かった。執拗《しつよう》なまでのグラフィックヘのこだわり、何度となく繰り返されるシナリオの改訂《かいてい》、16分休符ひとつまで手を抜かないBGM。  三食がコンビニ弁当とカップ麺《めん》の連中を気遣《きづか》って、私はビタミンを箱買いした。それをバリバリ噛《か》み砕《くだ》きながらマシンに向かう男達のプログラムで、『高千穂《たかちほ》学園』という架空の高校が構築され、そこに通う女子高生達に命が吹き込まれていった。  シナリオの決定稿があがって、私の仕事が台詞《せりふ》の収録準備に移ると、プロダクションから数枚のCDが届けられた。聞いてみると、それは声のカタログ、つまり声優の商品見本といったシロモノ。こんなCD(当然ながら非売品)があるなんて初めて知った。門外漢《もんがいかん》の私が聴いてみても、さっぱりイメージが掴《つか》めない。しかし、仕事一直線だった男達は俄然《がぜん》、色めき立った。 「このキャラの声優は###にして欲しい」「◇◇◇の声を想定して、作業してたんだ」  そうか……こいつらオタクだったのか。最近のオタクは、身なりも小綺麗《こぎれい》で外見からは判別が困難だけれど、声優のボイスが満載のCDは踏み絵と同じらしく、どうしても隠れオタクの血が騒いじまうらしい。声優のギャラってヤツは馬鹿にならない。連中が名前を挙《あ》げたメジャー級は、へたな芸能人より高いと聞く。ゲーム音声の収録は拘束《こうそく》時間も長いから、制作費の中でもかなりのウエイトを占めるのだ。 「予算が限られているから、安い新人しか使えないのよ」  そう言うと連中は納得したが、 「高天原《たかまがはら》かほりだけは、良い声優を使って欲しい」とだけ強く要望した。  ちなみに『高天原かほり』というのは、ゲームのトップキャラ。  ま、私もそれには反対しなかった。なんせ、かほりはゲームの大看板だからね。 「予算はこれだけしかありませんから、新人の起用でできるだけギャラを抑《おさ》えてください。ただし、高天原かほり役だけは、上手《うま》い声優さんを使ってくださいね」  と、一点豪華主義な条件を付けて、キャスティングは演出家にすべてを任せた。  餅《もち》は餅屋っていうでしょ。素人《しろうと》が口を挟《はさ》むべきじゃないし、こうすればオーディションもはぶけて、経費節威で一挙両得って寸法なのよ。  バタバタしているうち、アッという間に納入まで半年を切った。  私は打ち合わせに飛び回り、石森達はシステムの調整に追われ、開発スケジュールからは週末の文字が、いつしか消えた。  納入期限三カ月前になると、昼夜の区別はなくなり、一週間は七日ではなく一六八時間という感覚が当たり前となった。全員の睡眠時間が削られて、バスルームが使われる事はなくなり、男達の体からは甘酸っぱい臭いが漂いはじめる。私も家に帰らない日が多くなり、気がつくとドリーム・テックが生活の場となっていた。  大晦日《おおみそか》。  異臭を放つ寝袋が床に散乱するドリーム・テックに残っていたのは、石森以下6人のメンバーと私の、開発当初と同じ顔ぶれ。|虫取り《デバッグ》しながら年越し蕎麦《そば》をすすり、『高千穂学園』の成功祈願をかねて、近所の神社に全員で初詣《はつもうで》に出かけた。インスタントの雑煮《ぞうに》を食べてから仕事にもどり、これまでの人生で最も味気ない正月は、むさい男達と過ぎていった。  ようやくマスター・アップして、ビッグ・ウエイヴとドリーム・テックの間で正式に買い上げ契約がなされたのは、納入期限の二日前ぎりぎり。満開の桜の下で宴会をして、私は十五カ月間、寝食を共にした男達と笑顔で別れた。初めは、お近づきになりたくはなかったドリーム・テックの連中だけれど、この頃になると一つのソフトを産み出した仲間意識っていうのだろうか、変な親近感を感じていたのも事実だった。                     #  その翌週から、私は社に復帰した。  しかし、一年三カ月ぶりに戻った私を待っていたのは、以前よりもさらに居づらい空気だった。  完成したソフトの社内評が最悪だったのだ。  あまりに異質なゲーム内容が上司に受け入れられなかったらしい。問屋筋の前評判もパッとせず、広告費は大幅に削られ、初回出荷本数も低く抑えられた。  それもしょうがない。開発の舞台裏を知っている私としては、そう思うしかない。給料分の仕事はしたんだもの、スケジュールに間に合わせて、予算内でアップしたんだから、それで良しとしなきゃ。  こうして、エロゲーを出自とする前代未聞の家庭用ゲーム、 『純愛シミュレーション・高千穂学園』は私の手を離れ、ひっそりと店頭に並んだ。  そして私は、開発課の雑用というクソ面白くもない日常を、再び取り戻したのだった。 [#改ページ]    3 おかあは高天原かほり  はーい、ふたたび毒島《ぶすじま》かれんだよ。あたしの話はいよいよ核心にふれてくからね。  いつだったかな、おかあが、みょーな物を持って帰ってきたんだ。  CDが入るTVゲーム機とソフトが一つ。 「それ、どーしたの?」 「ゲーム会社から事務所に送ってきたのよ」  あたしニブいし、目が悪くてチカチカするのが苦手で、TVゲームってしないから、それは我が家のテレビの上にずーっと置きっぱなしになっちゃったのね。  ありゃ? って思ったのは雛祭《ひなまつ》りの頃。おかあがCDを持って帰ってきたんだ。十五枚はあったかな、それも全部モーツァルトでバースデーカード付き。おかあの実態を知らないアニメファンみたいな子から事務所気付で届くファンレターは、けっこーある。でも誕生日って全然違うし、なんだかなーって思ってたら、すぐあとのホワイトデーにもプレゼントが届いた。クッキー、縫《ぬ》いぐるみ、かわいい下着まであった。クラシックのCDはどうでもいいけど、今度のは、しっかり、あたしがいただいた。そのなかのメッセージカードにこういうのがあった。 『高天原《たかまがはら》かほり様、バレンタインチョコありがとう』  アニメチックな女の子の手描きイラストも添えてある。  タカマガハラ・カホリ?  毒島かれんに輪をかけて現実ばなれした名前にひらめいた。この前のぶ厚い台本と、テレビの上でホコリをかぶってるゲーム機、あたしの頭の中で、そいつらが一つにつながった。 『純愛シミュレーション・高千穂《たかちほ》学園』  そう、高天原かほりって、ゲームに出てくるキャラクターの名前だったのよ。  おかあはファンレターを捨てないで律儀《りちぎ》に取ってあるんだけど、所属事務所には段ボールに収まりきれないほど届いてるんだって。  この異常な状況をみて、ゲーム嫌いのあたしも『純愛シミュレーション・高千穂学園』ってヤツをやってみることにした。  このゲーム、プレイヤーの男の子が高校の三年間に自分を磨きながら、電話で女の子をデートに誘って、愛の告白を受けるまで頑張るって内容なの。出てくる女の子は何人もいるんだけど、その中でいちばん難易度高いのが、おかあが声をアテた高天原かほり嬢だったのよ。  しっかし、これほど現実のおかあとギャップのある配役はないね。このかほりちゃん、成績優秀、スポーツ万能、可愛《かわい》くって、よく気が付いて、趣味はクラシック音楽鑑賞、特にモーツァルトがお気に入り。誕生日は三月三日の雛祭りで『高千穂学園』のアイドル。  こんな娘、絶対いないやね(笑)。  ゲームやってて感じたんだけど、この娘、女のあたしから見ると、かなり性格悪い八方美人なんだ。男への理想もハンパじゃなく高くて、自分と同じように頭脳、運動、容姿と、三拍子そろってなきゃハナもひっかけない。実際にこんな娘がいたら、同性からフクロにされるんじゃないの?  他にもゾロゾロ女の子は出てくるけど、どいつもこいつも、こんなヤツいねーよ、ってのばっか。頭はちょっと弱めだけど爽《さわ》やかなスポーツ少女とか、一見タカビーなんだけど実は優しい子とか、陰からそっと見守ってる引っ込み思案な娘とか、男にとっての「つごーのいい女」のオンパレード。その中でも男の子の一番人気は、やっぱし、高天原かほりなのかしらね。  へへへっ、なんだかんだ言っても、あたし、そこそこはゲームにはまっちゃったのだよ。  けど、かほりだけは相手にしなかった。だって、しゃべってるのおかあだもん。 『もう帰らなきゃ。あなたといっしょだと、時間がわからなくなっちゃうわ』  なーんて画面から可愛く語りかけてくる声の主が、横でスルメしゃぶりながら缶ビール飲んでゲップしてんだよ。死にそうになるって。|取り説《マニュアル》に声は消すこともできるって書いてあったから、初めてかほりをターゲットにしてプレイしてみた。他のキャラ全員からは告白受けちゃったしね。  さすがに、かほりチャン、最高難度だけあって、なかなか落ちない。三回目にやっとクリアして、ラストの告白シーンだけ、おかあのクッサーイ芝居を聞いた。  ギャハハハハ! あんまり笑って、やっぱり死にそうになったよ。  このゲーム、パッケージには、声をアテた声優(今は|C   V《キャラクター・ボイス》ってゆーのだそーだ)の名前はいっさい出ていないけど、女の子から告白を受けると、そのキャラ役のCV名がエンディングに現れるシステムで、それがプレイヤーの目の前にぶら下げたニンジンにもなってる。かほりを落とした満足感にぼーっとしつつも、画面を流れるエンドクレジットに、おかあの芸名『二階堂《にかいどう》弥生《やよい》』を無意識に探してたあたしは、そこにとんでもない文字を発見して、思わず、ギャッ! と声を上げた    声の出演    高天原かほり………ぶすじま・かれん  げぇっ? あたしはひどく混乱した。 「ちょっと、おかあ、これ、どーゆーことだよ」 「ん? なにが?」 「このゲームの声、ぶすじま・かれん、ってなってるじゃない」 「あら、そうだっけ?」  すっとぼけ見え見えのおかあに、あたしはキレた。 「きちんと説明しなさいよ!」 「収録の時に、他のキャストは全員が新人の子だから、それに合わせて、わたしも別の新しい名前にしてもらえないかって、演出の人に言われたんだけど、急に名前なんて出てくるもんじゃないから困っちゃってさ、演《や》ったの女子高生でしょ、女子高生ったらお前の名前がポッと浮かんだのよ」 「それで、あたしの名前を? あんまりじゃないのよ、無断で使うなんて」 「別にいいだろ。お前のかれんって名も、もとはと言えば芝居の役名から無断借用したんだもの。それに毒島をひらがなに変えたし」 「冗談じゃないわよ!」 「わたしも、少しは悪かったかなと思ってるから、プレゼント持ってきてやったんだろ。そんなに嫌なら今はいてるパンツ脱げ。ペッドの横に置いてある縫いぐるみ、お返し」 「…………」  こうなりゃおとなしく引き下がるしかないわよ。どうやったって勝てる相手じゃないのは、あたしがいちばんよく知ってるんだもの。  おかあが事務所に置いてあったファンレターの山を家に持ってきた。宛名はゲームメーカーや事務所気付で、ぶすじま・かれん様。これじゃ家に持って帰れないはずだわよ。  ごく一部、高天原かほり様ってのも混じってた。読んでみると差出人は、あたしと同年代から大学生くらいまでの男が圧倒的に多い。おかあのことを、自分より年上のお姉さんと思いこんでファンレター書いてる。具体的に言うと、二十から二十五歳くらいを想定してるみたい。  まぁー、年上には違いないけどねぇ……  おかあと高天原かほりの区別がつかないでゴッチャになってる、ちょっと危ない系のも少しあった。よく考えれば、そういうタイプがプレゼント送って来たんだよなぁ……しかしねぇ、こういうの、あたしよくわかんないんだよ。ミッキーマウスが好きだからって、千葉《ちば》の浦安《うらやす》で着ぐるみの中で汗かいてるアルバイトの兄ちゃんにファンレター出すか?  そういうことだよね、これ。違う?  ま、いいや、こんなのも、すこしの間だけって、おかあも、あたしも軽く考えてた。  でも、あたし達の知らない間に『純愛シミュレーション・高千穂学園』は大ブレイクして新たな段階に入っていっちゃったのだ。  ゲームは爆発的人気で大増産。  続々と繰り出されるグッズはプレミア付きの品薄で、BGMのCDもバカ売れ、六万五千円もする限定品の|お人形さん《フィギュア》は即日完売。  で、高天原かほり以下、ゲームのキャラ達が勝手に一人歩き始めちゃったの。つまり、いつの間にかバーチャルアイドルってやつに化けちまったのだ。その勢いでラジオの深夜放送まで始まっちゃった。月曜から土曜の毎日、深夜十二時四十五分から一時まで、その名も『高千穂学園放送部』。深夜じゃ奇跡的な平均聴取率4・3%占有率57・7%という数字を稼いじゃったんだ。東京ローカルの放送をなんとか聞きたい地方のリスナーが屋根にアンテナあげたり、番組を録音したMDが日本中を行き来したりしたんだって。  パーソナリティーはキャラ役の声優が日替わりで担当。一週間のトリの土曜は高天原かほり。つまり、おかあだ。キャラの人気は聴取率でも一目瞭然《いちもくりょうぜん》。ダントツは、やっぱ、かほりなんだよね。あたしもラジオ局って珍しいから、おかあにくっついて何度か見学に行ったよ。この番組、生放送ってのがミソなのね。 『キンコンカンコ——————ン』  校内放送でお馴《な》じみ、チャイム音のジングルで番組は始まる。  で、おかあが優しく語りかけるわけ。 「こんばんは。こちらはTBC、高千穂学園放送部。今日の担当は二年D組の高天原かほりです。勉強の手を休めて、しばらくお付き合いくださいね」  これでファンの子は、いっきに別の世界に旅立っちゃうんだろうねぇ。  おかあがしゃべる原稿は、期末試験がどーの、ひみこちゃん(他のキャラ)と観てきた映画がどーの、といった完全な仮想現実《ウソ八百》と、その日に実際に起こった出来事(生放送の証明よね)なんかをミックスした話題。  番組の人気を支えてるのは電話を使った聴取者との会話コーナー。生放送だからリアルタイムで憧《あこが》れのかほりと話せるってわけ。だからリスナーもCVの、ぶすじま・かれん(まぎらわしいけど、あたしじゃないよ)にじゃなく、高天原かほり宛でハガキを送ってくる。  これって、あたしに言わせりゃ、いいオトナがやってるママゴト遊びなんだよね。  プルルルルと、電話が鳴る|SE《効果音》が流れて、 「はい、高天原です」  と、おかあが受ける。  ——もしもし、×××ですけど。 「あ、×××君、今日はどうしたの?」  ——今度の日曜日に映画に行かない? 「ごめんなさい、その日は用事があるから」  これはゲーム内容そのままの展開なんだけど、ラジオの高千穂キャラはリスナーの誘いを断るのがお約束になってる。  で、おかあは、かわゆく言うわけ。 「デートはできないけど、しばらくお話ししましょう」  この手続きをふんで、しょーもない会話が始まる。重要なのは、おかあが十六歳の女子高生、高天原かほりになりきって話すってこと。でも、四十二歳のおかあに若いもんの知識なんてあるはずないでしょ。  ——きのう△△△のライブ行ったら…… 「ごめんなさい、あんまり詳しくないの。クラシックとかは、よく聞くんだけど……」  カラオケったらド演歌一本のおかあが、しゃあしゃあと言うんだ。どーにかこーにか、ボロ出さないのも、かほりがマジメでお嬢様っぽいって設定のおかげ。  でも、こーゆーこともあった。  ——まぽろしの演奏って言われてたウーハ・ゴーモンのモーツァルトピアノ協奏曲21番の録音が発見されて、CDが出たの、もう聞いた?  おかあの眉間《みけん》がピクリとしたけど、そこは人間四十二年もやってると、たいしたもんよ。 「わたしは、細かいことより、音楽そのものを楽しみたいって思うんだけどな」  ——………………  クラシックマニアらしい男の子は、感動したのか、腹立てたのか、電話の向こうで黙りこんじゃった。 「◇◇◇君?」  おかあは焦《あせ》った。帝都《ていと》ラジオの社内基準では八秒間無音だと放送事故扱いになる。 「◇◇◇君って詳しいんだ。それって、ぜひ聞いてみたいな」  ——そう? じゃあMD送るよ。  嬉しそうな声が返ってきた。 「ほんと? ありがとう。楽しみだなぁ」  おかあは、優しいしゃべりとは裏腹に、顔をしかめてリスナーの葉書を放り捨てた。ガラス越しに、となりの副調整室から見てるあたしは大爆笑。  でも考えたら、かなり不気味な光景でもあるわけよ。親子ほど歳《とし》の離れたおかあと男の子が、高天原かほりって女の子を介して虚構《きょこう》の中で話してるんだから。 「今日はお話しできて、とっても楽しかった。またこんど誘ってね」  って、ゲームと同じように電話は終わる。これもリスナーと暗黙のお約束。 「かほりは季節の変わり目で風邪《かぜ》をひいちゃいました。皆さんも気を忖けてくださいね。月曜日の担当は二年B組の、不知火《しらぬい》ほのかちゃんです。二年D組の高天原かほりが、高千穂学園二階、職員室向かいの放送室よりお送りしました。夜更かししすぎて朝寝坊しないでね。それでは皆さんおやすみなさい」  最後まで徹底して虚構をつらぬくの。ここまでやっちゃうと感動モンだよね。  この翌週には局にゴッソリ風邪薬が送られてきたんだって。  あ、それに、モーツァルトのMDもね。 [#改ページ]    4 ババァが高天原かほり……  俗に言う「マルシー・マーク」って知ってるかしら? 丸の中にCの字で、マルシー。  ま、無知な、あなた達は、ぼーっと見逃しているだろうけれど、  (C) Big-Wave Computer Entertainment Inc.  みたいなヤツ。著作権の所在を明らかにした断り書きのことよ。広告やカタログ、キャラクターグッズとかによく付いてるでしょ。  気をつけて良く見るとその端っこに小さく、TMって文字(トレードマークの略)があって、『高千穂《たかちほ》学園、及び、高天原《たかまがはら》かほり、不知火《しらぬい》ほのか、畿内《きない》ひみこ、黄泉《よみ》しずか(以下キャラ名省略)……は、株式会社ビッグ・ウエイヴの登録商標です』  なんて、印刷されてたりもする。  これらが何を意味するかっていうとね、『高千穂』のキャラは金の卵を産む鶏《にわとり》だって事なのよ。  そういう訳で、私、神代《くましろ》美代子《みよこ》の手を離れてからしばらくして『純愛シミュレーション・高千穂学園』は売れ始めた。出足はサッパリだった。初めは口コミで、そしてパソ通で火が点《つ》いた。出荷本数が二万五千本まではじりじりと、それを過ぎると凄《すさ》まじい勢いで高千穂フリークが日本中に増殖した。売り上げは右肩上がりで伸び続け、製品の供給が追いつかなくなり、社が初めて出した広告は、宣伝ではなく、商品の不足を詫《わ》びるものだった。  今まではゲームで使用したキャラクターの版権所有者に、会社がライセンス料を支払うのが当たり前だったけれど、『高千穂学園』では逆の事態が起きていた。続々と市場《しじょう》に投入される関連商品。そのすべてにマルシーマークがつけられ、会社には版権使用料がドカドカ転がり込んだ。高千穂キャラで埋まったビッグ・ウエイヴの|H P《ホームページ》はアクセスが殺到してパンク寸前。会社はキャラクター商売のオイシサを改めて知ることとなったのだ。  ずっと日のあたらない場所にいた私が、今や社の注目を一身に集めてる。入社四年目にして巡ってきた初打席。いきなりカッ飛ばしたのは、一打逆転満塁サヨナラ場外ホームラン!  これで今年の勤務評定はバッチリだ。  当然、続編の制作が早々に決定。それも我が社初の次世代機向けソフトだ。そのうえハードメーカーから、キラータイトルの認定を受ける可能性まで出てきた。  え? わかんない? キラータイトルってのはね、ガツンとインパクトがあって競争相手を殺しちゃうくらいにゴッソリ売れて、新ハード普及の強力な牽引力《けんいんりょく》にもなるタイトルの事よ。私の話を聞いてると賢くなるでしょ?  今度は開発もケチな外注ではなく、社内スタッフ。予算もたっぷり。私は雑用からサブリーダーに昇格。順風満帆《じゅんぷうまんぱん》、棚《たな》からボタ餅《もち》、瓢箪《ひょうたん》から駒《こま》、人生終わってみなけりゃどこで引き合うかわからないって見本みたい話だわよね、これは。  休み明けの出社のたび、鬱《うつ》になっていた私が、会社へ行くのが楽しくなって充実の毎日だった。                     #  そんなある日、私は会議室に呼び出された。そこには、直属上司の課長と統括《とうかつ》部長。  それに知らない三十代半ばの男が一人いた。短めに刈り込んだ髪にリムレスの眼鏡《めがね》。スリムな体型を包むブランドスーツ、ジャカード織りのタイ。腕に光るはロレックスのアンティーク。映画なら最後に殺される頭脳系悪役みたいな印象の男だ。  名刺を交換する。       ┌————————————┐       │株式会社博通社     │       │  ニューメディア室  │       │  木戸 史郎     │       └————————————┘  博通社《はくつうしゃ》というのは大手の広告代理店。平たく言えば現代のチンドン屋兼、チラシ書き。  なるほど、トレンドに忠実なスタイルも納得だ。流行最前線ってわけか。 「あなたが、『高千穂学園』の生みの親ですか。一度、お目にかかりたいと思っておりました」  木戸《きど》が値踏みするような視線を私に向けた。気の許せないオーラが、ビシビシとんでくる感じがした。 「恐縮です」  と、こっちも相手の出かたをうかがう。 「私ども博通社の試算では、『高千穂学園』の商品価値は現時点で約七十五億とみています」 「七十五億……………」  私の年収の何百年分? 想像もつかない額だ。 「それも少なく見積もってです。関連商品の開発、メディアとのタイアップ等をうまく行えば、百億の大台も決して夢ではありません。千数百万の開発費でこれだけの成功を収めるのは非常に希有《けう》なことです。我々も注目しておりました」 「ありがとうございます」  誰だって、ほめられて悪い気はしない。 「実は私ども博通社も何度となくバーチャルアイドルを仕掛けてきたのです。マンガ、アニメ、CG、電波|媒体《ばいたい》、出版、それらのメディアミックス。しかし全《すべ》て失敗しました。密室でユーザーひとりひとりに語りかけるゲームとは盲点でしたよ。鋭い着眼点に感服《かんぷく》しました」 「結果的にそうなっただけで、狙ったわけではありませんから」  前口上《まえこうじょう》はもう十分と課長が渋い声で言った。 「木戸君の言うには、大きな問題があるのだそうだ」 「問題?」 「十五年ほど前になりますか。若年男性層に人気のあった、若い未亡人が主人公のマンガが実写映画化されました。試写の評判もすこぶる良く、ヒット間違いなしとされたのですが、公開直前に発覚した主演女優の不倫《ふりん》スキャンダルが命取りになりました。キャラクターのイメージに泥を塗ったのですな。主な客層として想定していた男性観客からそっぽを向かれ、劇場は閑古鳥《かんこどり》。ビデオも売れず、最終収支は一億四千万弱の赤字でした。その反省から、清純派の声優を起用したアニメ版はスマッシュヒットしましたがね」  この男、何を言いたいのだろうか。 「失礼ですけれど、『高千穂』とどういう関係が?」 「すれているように見えて、今の若い男性は存外、純情なのです。バーチャルアイドルは生身のアイドル以上にイメージを大切にしなければならない」 「と、申されますと?」 「『高千穂』の声優のキャスティングは、神代さんが担当されたと聞いておりますが」 「はい。実際には演出家に一任しましたが」 「ふむ。詰めが甘かったようですな」  木戸は鼻で軽く笑ってから、ノートパソコンを開いた。「高千穂の声優達です」と、キーを操作するとカラー液晶画面の左半分に高千穂キャラ、右半分に声優の写真が表示された。キーを押すと、キャラと対応して写真が入れ替わる。年の頃は二十から二十五くらいか。同性の私の目からは、すごい美人ってわけでもないが、まぁ見苦しくもない、といった女の顔が、次々に現れては消えた。 「!!!」  女相撲《おんなずもう》の関脇《せきわけ》みたいなオバちゃんの写真で画面がとまった。その横には似ても似つかない、高天原かほりの笑顔が…………… 「ぶすじま・かれん、こと二階堂《にかいどう》弥生《やよい》。ご存じありませんでしたか?」 「……はい。台詞《せりふ》の収録には、立ち会わなかったものですから」  あんな人手の足りない時に、そんなことできんだろうがって、言いかけたけど、やめた。 「稼《かせ》ぎ頭《がしら》の高天原かほりの声の主が、この人物と知れることはプロジェクトの崩壊《ほうかい》を意味します。百億どころか、新たに投入した開発費の回収すら、ままならなくなる可能性もあります」 「では、すぐ別の声優に交代させましょう」  木戸はかぶりを振った。 「無理です。すでにユーザーには、高天原かほりと、ぶすじま・かれんの声は一心同体なのです。ラジオ番組も始まってますし」  統括部長が私を射竦《いすく》めるように言った。 「今日から神代君は、博通社の木戸君といっしょに、この問題に専念してもらう。続編の開発を今さら中止にはできない。『高千穂学園』は君が手掛けたタイトルだ。最後まで責任を取ってみたまえ。社に損失は許されないよ」  ガ——————ン!!!  あぁ、あの一言が甦《よみがえ》る。 (新人の起用でできるだけギャラを抑えて下さい。ただし、高天原かほり役だけは、上手い声優さんを使ってください)  何であんなこと言っちまったんだろう…………  上手い→経験豊富→ベテラン→年輩→ババァ。  気が付かなかった。まさに天国から地獄。日のあたる場所から奈落の底とはこの事だ。  明日も出社しなきゃならないの?  あ—————っ、ホント、人生って終わってみなけりゃわからないものよね………… [#改ページ]    5 あたしが高天原かほり?  土曜深夜の高天原《たかまがはら》かほりのラジオは、あたしにとって爆笑タイムだ。ニセモノ女子高生の声に耳を傾けながら、生放送を終えて帰ってくるおかあに夜食を用意しようと、冷蔵庫の残り材料をチェックしてた。  所帯じみてるって? しょーがないじゃない、母子家庭なんだから。  放送が終わった。今日はパスタに決定だ。おかあの帰る時間を見はからって、ホールトマトの缶を開けようとした時、電話が鳴った。  ——もしもし、かれん? 「あ、おかあ」  ——いま暇《ひま》でしょ? 「暇じゃないよ。おかあのためにパスタソース作ってるんだから早く帰ってきてね。できればコンビニ寄ってシュレッドチーズを買ってきてほしいんだけど」  ——今から三十分くらいで車が迎えにいくから、それに乗ってこっちに来てちょうだい。火の始末と戸締まりを忘れないでね。 「どしたの?」  ——こっちに来ればわかるから。  三十分後に黒塗りのハイヤーが迎えに来た。  運転手に聞いても、 「帝都《ていと》ラジオにお連れするようにとしか聞いておりません」  と、らちがあかない。  局の玄関には、おかあが待っていた。 「こんな夜中にどうしたの?」 「急な機械のテストで、女の子の声を使いたいんだって」 「なら、おかあが演《や》ればいいじゃないの」 「本物の若い声を使いたいそうよ。バイト代、出るらしいから」 「いくら?」 「一万五千円だってよ」 「税別で?」 「わかんないわよ、そこまで」  ま、福沢《ふくざわ》さんと新渡戸《にとべ》さん一人ずつと聞けば、ひと肌脱ぐ気にもなるわよね。  おかあについてスタジオに入ると、いつものスタッフの他に知らない顔が数人。普段より多いみたい。みんなが注目するなか、ブースに入れられて、 「マイクテストだから気軽にやりなさい」  って、おかあに原稿を渡された。それは今しがた放送したばかりの『高千穂《たかちほ》学園放送部』の台本だった。アホらしいけど一万五千円と思って、一〇分くらい原稿を読んだ。副調整室に戻ると、みんなが難しい顔して、あたしの声の録音を聴いてる。  ディレクターがモニターの波形を見ている男の人に尋ねた。 「どうでしょうか」 「何とかなると思いますよ」  あたしは小声でおかあに訊《き》いた。 「この人達って?」 「こちら帝都ラジオ音響研究所の都筑《つづき》松見《まつみ》さん、博通社《はくつうしゃ》の木戸《きど》史郎《しろう》さんに、ビッグ・ウエイヴの神代美代子さん」  紹介された人達が丁寧《ていねい》に頭を下げた。 「どういうことなの?」 「私から説明しましょう。ネットを使って」  木戸さんって人が、ノートパソコンをパカパカ叩きながら言った。 「ビッグ・ウエイヴさん未公認の|H P《ホームページ》に、二週間前、これが上がりました。この局の地下駐車場で隠し撮りされたものです」  ずりずり画面に現れたのは、タクシーに乗り込もうとしてるあたしの写真だ! 学校純正の制服に大きなスケッチブックを抱えた、メガネ無しのあたしが写ってる。うしろにはサングラスかけたおかあの巨体も。 「これ覚えてる。おかあと学校帰りに待ち合わせて、晩ご飯いっしょに食べて、まっすぐここに来て見学した日よ」  木戸さんがキーを叩くと文字が浮かんだ。 △かほりのCV、ぶすじま・かれん発見!▽  今まで謎に包まれていた「ぶすじま・かれん」という声優はこの人物に違いないという確か  な証拠を、ついにつかんだ。  マネージャーらしき大女を従えて、そそくさとタクシーに乗り込むこの女の子。  この夜、「高千穂学園」以外の番組はすべて収録モノ。  ナマは「高千穂」だけなのだ。  ということは、高天原かほりのCV、ぶすじま・かれんは、この子しか考えられない。  今まで、いっさいマスコミに登場しなかったのは、現役の高校生だったからと思われる。  この制服はどこの学校のものなのか現在調査中だから、期待するように。  情報も大歓迎です。 「プロバイダーに抗議して、すぐに削除《さくじょ》させたけど、既《すで》にかなりの人数が見たはずなんだ。削除後も情報をそのまま転載したHPが複数確認されて、現在、その対処に追われてる」 「勝手に名前使われて、写真撮られて、カン違いされて、迷惑な話……」  ってのが、あたしの正直な気持ち。 「ビッグ・ウエイヴさんとも対応策をいろいろ考えたのですが……」  木戸さんは、ゲーム会社の神代さんにバトンタッチした。 「私たちは『高千穂学園』って商品を大切に育てていこうと思ってるの。それにはいつまでも高天原かほりの|C   V《キャラクター・ボイス》を隠しているわけにもいかないわけ。でも、あなたのお母さんをファンの前に出すことは、プロジェクトの破滅を意味するのよ、お解《わか》りかしら?」  ショートボブがよく似合う、このおねいさん、スカートからのぞく膝小僧《ひざこぞう》がキレイだった。靴は歩きやすいローヒールだけど、脚もしゅっと長くカッコよくて、美人の集合に属しているのは間違いない。けど、表情は、かなり押しが強い。 「影武者《かげむしゃ》を立てることまで考えたけど、人前で声を出させないってわけにもいかないから困ってたのよ。そんな時に、このHPを見てひらめいた。逆にこれを利用してやろうってね。で、博通社さんと相談したんだけれど」 「??????????」  話が見えない。  神代おねいさんは、あたしの顔からメガネをそーっとはずして、瞳《ひとみ》を強く見た(ように思う。なんせ、ぼやけちゃったから)。  そして殺し文句のように言った。 「高天原かほりのCVが、ぶすじま・かれんって人物なのは、みんな知ってる事だしね」 「ちょっと待って! ひょっとして……」 「察しの良い子は大好き」 「ま、まさか……」 「あなたの考えてるまさかは、まさかじゃないかもよ」  あたしに原稿読ませた理由が何とはなしにわかったような………… 「考えてみて! 私と母の声は、ぜんぜん違うんですよ」 「私は、とってもよく似てると思うけど」 「似てませんったら」 「そう? ならよくお聞きなさい」  音響研究所の都筑って人がテープを再生すると、さっきオンエアされた、おかあの声がスピーカーから流れた。機械のつまみを動かすとおかあの声の調子が微妙に動いて、どこかで聞き覚えのある響きに変わった。 「…………」 「今度は、かれんさんの声を」  おかあの声にかぶって、録音したばかりのあたしの声が流れる。話しかたはちょっと違うけど、二つの声はあたしにも聞き分けられないんだ。  研究所の都筑って人があたしに言った。 「自分が聞いている自分の声は、他人が聞いてるのとはかなり違うものなのですよ。あなたの場合、声帯も含めた咽喉《いんこう》の形がお母さんと非常によく似ている。声質が似通ってるのも当たり前です」 「男の子ほどじゃないけど、女の子にも変声期みたいなものがあるっていうし、これくらいの声の差はデジタル技術で上手《うま》く加工すれば大丈夫。二ヶ月くらいかけて少しずつ変えていけばリスナーは気付かないわ。ですね?」 「それはバッチリ保証できます」  ディレクターが太鼓判《たいこばん》を押した。 「でも、いっぱい出てるゲームは、おかあの声よ」 「正確には今日現在、七十二万本ね。そっちは心配いらないの。あのソフトは16ビットマシン用で、もともと音質が悪いから。でも、今制作にかかってる続編は高音質のマシン向けに開発してるから、ごまかしは通用しない。それにはあなたの声を使いたいの」 「…………」  あたし、真っ白になっちゃった。 「急な話で驚いたろうけどよく考えてみて。ロケットはもう発射台に載《の》っていて、私たちは秒読みを待ってる状態よ。最終段階のスイッチを握ってるのは、あなたって事を忘れないでほしいの。今日はこれでお終《しま》いにしましょう。遅くに呼びつけてごめんなさいね」  神代のおねいさんは、メガネをあたしの顔に戻して、封筒を渡してくれた。  帰りのタクシーでおかあは、あたしに何も言わなかったけど、 「わたしが高天原かほりに化けているのも、そう長くはないみたい」  って、独り言みたいにつぶやいた。  家で封筒を開けたら中身は一万三千五百円。しっかり源泉一割引かれてた。                     ※  それからの数日、あたしは何も考えなかったし、おかあもこの件には触れなかった。  深夜のラジオ局での記憶が薄れかけた一週間後、学校がひけて、晩ご飯の献立を考えながら校門を出るとクラクションが鳴った。見ると、停《と》まってた小型車の窓が開いて、神代おねいさんか手をふった。 「あら毒島《ぶすじま》さんじゃないの、偶然ね」  って、偶然なわけないでしょ、おねいさん。 「嘘《うそ》つき」  神代おねいさん、ニコリと笑う。 「わざとらしいとは思ったけど、こういうシチュエーションで声をかけるのって難しいのよ。家まで送ってあげるから乗りなさい」  車の中は女の子っぽいものなんか一つもなくて、ちょっとタバコ臭《くさ》かった。おねいさんは、せっかちにギヤを入れながら、コマネズミみたく車を走らせる。 「いまどき、オートマじゃないんですか?」 「あら、免許も持ってないのに言うわね。私はね、車に限らず、何でも自分の思い通りに動かさなきゃ気がすまない性分なのよね」 「私も含めてでしょ」 「と言いたいところだけど、あなたは簡単に動きそうもないわねぇ」  おねいさんはアクセルを踏んだ。背中がシートに押し付けられる。メーターの針は見る間に80キロを超えた。 「あ、あ、安全運転でお願いします……」 「してるじゃない。他人《ひと》を乗せたら安全第一よね」 「(どこがよ)」 「あの話、考えてくれたかしら?」 「断ろうと思ってたんです」 「そうか。ダメか。ね、何か食べてかない? 今夜はお母さん、ラジオで遅いでしょ?」 「食べ物でつるとか考えてない?」 「まさか。そんなの思ってもないって」 「何でもいい?」 「うん、いいわよ」  十五分後、あたしとおねいさんは、中華レストランのテーブルをはさんで座ってた。体重が気になるおかあは、外食で中華を選ぶことはまずない。せっかくのおごりなら普段行かない所にしようって思ったんだ。 「そんなにオーダーして食べられるの? 中華って強烈にカロリー高いのよ」 「大丈夫。残して母に持って帰って、夕飯一回うかせます」 「しっかりしてるわねぇ」 「母と家事を半分ずつ、こなしてますから」 「も一度だけ訊くけど、本当にやる気ない?」 「ない」 「どして?」 「嫌いなの」 「さらに訊くけど、どして? 声優って、あなたの世代じゃ人気職業じゃない」 「普通の子より裏とか知ってるもの。オタクみたいなの相手にするのイヤだしね」 「それは偏見《へんけん》。オタクって、純情で、慣れると結構、可愛《かわい》いもんよ」 「母の声でいいじゃないですか」 「言ったでしょ、お母さんが顔出しするのはまずいのよ」 「出さなきゃいいんです。ウルトラマンの人がチャック開けて、着ぐるみから顔出すの反則でしょ? 同じだと思います」 「あなたって、ことごとく鋭いわね。でも違うんだな。ウルトラマンって実体があるでしょ、デパートの屋上にだって行けるんだから。けど、高天原かほりなんて、ゲーム画面の中の絵よ。彼女に命を与えるためには誰かの助けを借りなきゃダメなの」 「でも、どーして、あたしじゃなきゃ、ならないんですか」 「あなだだって何ページか前で語ってたじゃない、アニメの超二枚目の声が、実はオヤジなんで幻滅《げんめつ》したって。それと同じことよ」  なんなのよ、その理屈は。 「でも……ごめんなさい」 「そう。これだけ言ってもダメならね」  おねいさんは、あっさり、あきらめたようだ。 「声かけてもらえて、ちょっとは嬉《うれ》しかったけど、私には無理だと思うし……」 「残念だけど仕方ないね。実は私、一人っ子なの。あなた見てたら、妹みたいに感じて、無理言っちゃったみたい。ごめんね」  おねいさんは優しい目をして言った。  そして、ひとこと、つけ加えた。「気を付けるのよ」って。 「え?」 「うぅん、さあ食べようよ。せっかくの料理が冷めちゃうわ」 「ちょっと気になります。それって、どういうことですか?」 「…………オタクさんって99・99%は真面目で純粋な人達なんだけどね……」 「残りの0・1は?」 「0・1じゃなくて、0・01。ストーカーみたいのもいるらしいから。あの写真からあなたの学校をつきとめて、校門からつけまわされたり、自宅を調べられたり、知らない人から電話がかかってきたり、そういうの覚悟しといたほうが、いいかもしれない」  急に寒くなった。ストーカー殺人なんて言葉が、頭の中にブワっと広がった。 「え——、向こうが勝手に思い込んでるだけなのに。早く訂正してもらわなきゃ」 「一度、動き出した情報は誰にも止められないわ。そこがネットワークってメディアの恐ろしいところよね。あなたのお母さんが顔出しできない以上、否定したところで誰も信じないだろうし」 「あんまりだよぉ。なにも悪いことしてないのに。ねぇ、何とかできないの?」 「残酷なようだけれど、あなたがスタジオ見学に来て、不用意に駐車場で写真を撮られたのが、そもそもの始まりだから」 「…………」 「人気声優の追っかけって、かなり、しつこいらしいわよ。お母さんの所属事務所の社長さんにでも相談してみたら?」 「うん」 「たしかオフィス・ミップスよね。番号はメモリーに入ってるはずだわ」  おねいさんが携帯《けいたい》をプッシュして渡してくれた。オフィス・ミップスの社長、今井《いまい》さんは、劇団時代からの、おかあの古い知り合い。あたしが高校入学の時、保証人になってもらったのも今井のおじさんだ。 「もしもし、おじさん? 毒島です」  ——お、かれんか? 「実は相談に乗ってもらいたいんだけど……」  って事で、電話の話をかいつまんじゃうと、  ○追っかけはしつこい。通っている高校がわかれば待ち伏せは必至《ひっし》。  ○その手合いから守るためには、しっかりとしたマネージャーが必要。  ○でも、タレントでも声優でもない、あたしにつくマネージャーなど居るわけない。  ○可哀想だけど、どうにもしてやれない。  ○ただし、うちの所属という事になれば、力になってあげられるんだけどね。  と、そんな内容の五分ほどの会話。 「どうだった?」って言いながら、おねいさんが料理をよそってくれた。 「無理だって。事務所に入るんなら別だけど」 「そう。あなたも、とんだ災難ね」 「今井のおじさんの世話になんなきゃダメなのかなぁ」 「嫌なことを無理にやる必要なんか絶対ないのよ」  神代のおねいさんは、キッパリとあたしに言った。ホントは優しい人なんだ。妹みたいに思ってるってのもウソじゃないみたい。 「でも、ストーカーなんて、嫌だよ……」  あたしはドンヨリと落ち込んだ。 「んー、困ったわよねぇ」  おねいさんはしばらく考え込んでから、ポンと手を打った。 「そうよ! オフィス・ミップスにマネージャーつけてもらえばいいじゃない」 「え? それじゃ、高天原かほりの声を?」 「ううん。その必要はないわ。あなたにはちょっと悪いけど、バカのふりするのよ。台本の漢字は読めない、芝居はできないとわかれば、どうしたってお払い箱でしょ。そうして、しばらくラジオ局に近づかなければ、その間に、ほとぼりは冷めちゃうわ」 「そっかぁ! そういう手があったか!」 「あなたなら、たるいマネージャーの一人くらい、だますの簡単でしょ?」 「うん。ありがとう、おねいさん」 「妹がストーカーの餌食《えじき》になるのは耐えられないからね」  気持ちが軽くなったら、しっかり食べて、お腹いっぱい。お土産《みやげ》も包んでもらって、おねいさんと、しっかり仲良くなっちゃった。 「ごちそうさまでしたー」 「どういたしまして。あなたに迷惑かけちゃったから。そのお詫《わ》びとお礼よ」  って言いながら、会計の時しっかり領収書もらってたのがちょっと引っかかったけど。                     ※  おかあとも相談した結果、今井のおじさんの世話になることに決めて、翌週末にオフィス・ミップスに出かけた。おかあが今井のおじさんと話して、あたしも紙に名前書いて、ハンコ押したりもした。いちおー、これが契約ってもんなのかな。  おかあは「じゃ、あとはよろしく」って、仕事に行っちゃった。 「頑張れよ。細かいことは全部こっちで引き受けてあげるから」  今井のおじさんはニコニコして言った。 「でもぉ、わたしぃー、むずかしい漢字ぃ、ぜーんぜん読めないしぃー、学芸会でもぉー、セリフ覚えらんなくてぇー、お芝居もへったくそでぇー、役ぅ、降ろされちゃったんですよぉー」  せいぜいバカっぽく、あたしは答えた。 「かれんのマネージャーを紹介するから」  と、今井のおじさんが言った。  ノックとともに「失礼します」って入ってきた人を見て、あたしは息が詰まりそうになった。  ………どーゆーことなのよこれは………… 「こんにちは。あなたのマネージャー、神代美代子です。よろしくね」 「お、お、お、お、おねいさん、げ、げ、げ、ゲーム会社の人じゃなかったの?」  おねいさん、名刺を一枚出した。       ┌————————————┐       │オフィス・ミップス   │       │ Tプロジェクト担当  │       │ 神代 美代子     │       │            │       └————————————┘ 「もちろん私はビッグ・ウエイヴの人間よ。今月の五日付で、こっちに出向してきたの」  五日って言えば、中華食べた日のずーっと前じゃない。 「おねいさん、ハメたわね」 「あら? 何のことかしら?」  しらーっと、何が妹どーぜんよ。 「このTプロジェクトってのは、何なのよ」 「高千穂学園の頭文字のTよ。でも私は、高天原かほりのTだと思ってるわ」  契約書に、つーと視線を走らせ、朱肉で捺《お》されたハンコを確認してうなずくと、おねいさん の目が、きらりと、いや、ギラリと光った。  そして、 「私は、あなたに騙《だま》されるほど、たるいマネージャーではなくってよ。わかっているとは思うけど」  って、フッと笑った。 [#改ページ]    6 かれんが高天原かほり  ゲーム開発から女子高生のお守《も》り役ってのは、あんまりな飛躍《ひやく》だが、これも憧《あこが》れだったマスコミ関連のひとつよと強引にこじつけて、私、神代《くましろ》美代子《みよこ》のマネージャー業は始まった。  翌週から、かれんの高校は夏休みに入った。  まずやらなきゃならないのは、続編『高千穂《たかちほ》2』の台詞《せりふ》の再収録だ。  ひどい泥縄《どろなわ》だが、開発スケジュールから見て、一日も遅らせることはできない状況なのだ。嫌がるかれんをなだめすかしてスタジオに缶詰めにすると、母親が収録済みだった台詞を一語一句、イントネーションから時間まで、寸分|違《たが》わず同じように録音し直した。ゲーム内容や高天原《たかまがはら》かほりの設定を教える必要がなかったから、収録は思ったよりスムーズに進んだ。蛙《かえる》の子は蛙ってことなのか、かれんは初めてにしては器用にこなして、膨大《ぼうだい》な量の台詞を一週間で収録し終えた。  それから主題歌をどうするかの問題。  高天原かほりが、ゲーム冒頭とエンディングに歌う演出になっているのだけれど、歌唱力は大丈夫だろうか? それが気掛かりだった。別の歌手を立てることも考えにいれて歌わせてみると、カラオケ世代のかれんは良い方向に予想を裏切ってくれた。私はホッとしたが、博通社《はくつうしゃ》の木戸《きど》はもう少し素人《しろうと》っぽくできないかと不満を漏らした。「高天原かほりは等身大のアイドルであって、雲の上にいてはいけない」ということらしい。でも、音痴《おんち》に音を外すなというように、上手《うま》いかれんにワザと下手《へた》に歌えというのは難しい要求ではある。  最大の問題は毎週あるラジオの生放送。  かれんが二代目の|C   V《キャラクター・ボイス》に決定すると、構成作家を交えてスムーズな交代作戦が検討され、極秘で進められていった。母親の声は電波に乗る前にデジタル処理され、毎週ほんの僅《わず》かずつ、かれんの地声に近づけてリスナーに送出された。 『かほりは、最近、ボイストレーナーの先生について、発声の勉強をしてるんです。自分でも、すこしずつ、高い声が出るようになってきたかなって感じてます』  などと、巧妙《こうみょう》なフォロー台詞を台本にもぐり込ませる芸の細かさだ。 「これって考えれば、公共の電波を使った詐欺《さぎ》だわね」  娘声を器用に操《あやつ》るかれんの母を見て、何気なく口をついた私の言葉に、 「こういうの、僕らには当たり前ですよ」  と、木戸は平然と返した。 「十年以上も売ってる定番の食料品ってありますよね、お菓子、カレー、インスタントラーメン、その他いろいろ。そんな昔の味が今の嗜好《しこう》にマッチしてると思えますか?」 「言われてみれば……」 「少しずつ味を変えてるのです。消費者には気付かれないように、こっそりと。それと同じ事です」 「知らないうちに私達は騙《だま》されてるってことだ」 「騙すって言われると聞こえは悪いけれど、マーケットをコントロールしていくのが僕らの仕事ですからね」  なるほど。世の中とは、そんなものかもね。  それじゃ精々《せいぜい》、私もゲーマーとラジオのリスナーを、騙してあげようじゃない。  ラジオのCV交代まで残された時間は一カ月。高天原かほりの喋《しゃべ》りを自分のものとするまで、母親が付ききりで発声や芝居のイロハを、かれんに猛特訓する日々が続いた。 『仕掛ける』とは、こういう事なんだと、私は感心することしきり。  こうして、にわか作りの二代目高天原かほりが、世間には隠されたデビューを迎える事になったのだ。 [#改ページ]    7 あたしは高天原かほり  チ———————ン。  おかあが仏壇《ぶつだん》の鈴《りん》を鳴らして、 「あなた、かれんも私たちを継《つ》いで、声の仕事をするようになったのよ。どうか見守ってあげて下さいね」  と、おとうの遺影《いえい》に手を合わせ、涙をみせた。親とはつくづく勝手なもんだと思う。でも、おかあの涙には要注意だ。だって現役を退《しりぞ》いたとはいえ、この人は役者なんだもの、涙の一つや二つは自由自在。みんなで寄ってたかってあたしをハメたんじゃないかって勘《かん》ぐりたくもなるのよ。夏休みなのに遊びにも行けず、毎日スタジオ通い。発声練習やら、演技指導やら、放送禁止用語の暗記やら、ブースの使い方やら、もーやんなっちまう。  それでもブン投げなかったのは、おねいの、 「コンタクトレンズ、プレゼントしてあげるから、がんばってみよ」  って甘い言葉につられたからなんだ。おねいは、あたしを眼科医に連れていってコンタクトの処方をとると、使い捨ての高級品を1ケース、気前良く買ってくれた。 「目を開けて上むいてごらん」  おねいはラジオ局の喫茶室で、箱からとりだしたコンタクトを、あたしの瞳《ひとみ》にそっとのせた。 「どう?」  おねいの顔が、クリアで数段美人に見えた。 「うん。すごくいい。ありがとう」  あたしは素直に喜んだ。  けど、 「そう。良かったわ。このレンズ、使い捨てだから一週間しかもたないのよね」  と、おねいはコンタクトの箱を自分のバッグにしまった。 「え? 箱ごとくれるんじゃないの?」 「かれんが私の言うことよくきいたら、来週、またワンセット、その目に入れてあげるね」 「約束が違うっ!」 「どうして? ちゃんとワンセットあげたじゃない。鏡を見てごらん、かれんの瞳って大きくて、ちょっと潤《うる》んだ感じがすごく素敵よ。コンタクトにして良かったわね。さ、高天原《たかまがはら》かほりのお仕事、がんばってやろうね」  汚い。やりかたが汚すぎる。  これじゃ芸をして、ご褒美《ほうび》にエサをもらう、サーカスの猿《さる》と同じよ…… でも、あたしは、そのエサに負けちゃったんだよね。  そんなこんなで、今日は初放送の日。  表向きは生《なま》ってことになってるけど、実を言うと、あたしがまだ不慣れなんで、トークの部分は事前に収録してあるんだ。リスナーとの電話だけを生でやる手はずなの。  本番一時間前にスタジオに入ると、すごい騒ぎになってる。電話の相手はミステリー好きの大学生に決まってたけど、バイクで転《こ》けちゃってドタキャンになったんだって。  まずいよ。事前の打ち合わせでは、サスペンス映画の話題でいくことになってたのに。  ディレクター、神代《くましろ》おねい、木戸《きど》さんが、ハガキの山を引っかき回して必死でピンチヒッターを探してた。  開始時刻はお構いなしに迫ってくる。  おねいと何やら相談してた木戸さんが、 「これ、いいかもしれない。すぐ連絡して」  と、一枚のハガキを手に取った。  放送時間が来て、録音しておいた、あたしの声が流れ始める。何がどうなってるのかサッパリわからないのに、あたしはブースに入れられた。ガラスの向こうは、まだバタバタしてる。  電話タイム二分前。  おねいが、あわただしくブースに駆けこんできた。 「決まった。かれんと同い年の井上《いのうえ》って男の子よ。今、電話つないでる」 「相手のプロフィール教えてよ」 「ごめんなさい、時間がないわ」 「何を話せばいいの? ぶっつけじゃ無理だよ」  おねいはあたしを無視して早口で話す。 「時間がないからよく聞いて。デートをOKして」 「えっ! それって、おきて破りじゃない」 「いいからOKするのっ。その後の話題はね……そうだ、他のキャラの話でもたせて。どうしてもピンチになったら曲で逃げるから」 「神代さん出て下さい!」  ディレクターが、スピーカーから怒鳴った。 「頑張るのよ。リップノイズに注意してね」  おねいがブースから走り出る。  気持ちの整理がつかないまま、プルルルと電話の呼び出し音のSEが流れた。  マイクの向こうには数万のリスナーがいる。  みなぎる緊張。背中を汗がつたう。  ディレクターからキューがとんできた。  深呼吸ひとつして、マイクカフを倒す。 「もしもし、高天原です」  これが記念すべき、あたしの生放送第一声。  ——い、い、井上といいます。 「あ、井上君ね。今日はどうしたの?」  ——あの、えっと、あ、何だっけ、そうだ、今度の日曜、いっしょに、えーと、遊園地に行かないかなって、思ったりしたんですけど。  相手も急に引っぱり出されてコチコチだ。 「えーとね、うん、いいわよ」  言いつけ通りにゲームの台詞《セリフ》のまんま答えた。  ——え? ……まさか。  そりゃ向こうだって驚くわよ。  ガラスの向こうから、おねいと木戸さんがVサイン。ほんとに、これでいいのか? 「日曜日ね。楽しみだなぁ」  ——は、はい、どうもありがとうございます。  これじゃ全然、同級生の会話になってない。 「せっかくだから、ちょっと話さない?」  ——そ、そうですね。  向こうから話をふってくる積極的なタイプじゃないと見た。どうしよう、沈黙は放送事故につながる。話題につまったら、そうだ! 血液型だ。設定だと、かほりの血液型はたしか…… 「私、AB型なんだけど、井上君は?」  ——え? 血液型……ですか…… 「うん。何型なの?」  ガラスの向こうで、おねい達が頭を抱えた。何かまずいこと言ったかな。  でも、急に話題を変えるのも不自然だし。 「私が当てようか。そうね、A型? 落ち着いてるし、優しい感じがするもの」  ——すごいな、当たりました。今のところA型です。  今のところって、どういう意味だ?  と、ヘッドフォンから、焦《あせ》りまくったおねいの声が。 (かれん、血液型の話はやめて。血の話は絶対ダメよ)  どうして? 放送禁止じゃないでしょ? やっと取っかかりができたってのに。  残り一四〇秒? そいじゃ遊園地の話でもたせよう。 「遊園地かぁ、久しぶりだな。井上君と何に乗ろうかな。私、ジェットコースターとかは苦手よ。見てるだけで怖くなっちゃう」  ——ほんとそうですよね……  と、必死で何とかもたせた。あんまり会話は弾《はず》まなかったけど、反省会では、ハプニングも乗り切ったことだし、初めてにしちゃ十分合格とスタッフは誉めてくれた。                     ※  車であたしを家まで送る途中、おねいがハンズフリーに切り替えた携帯をプッシュした。 「夜中よ。どこにかけるの?」 「いま時分は、寝る間もない連中のとこよ」  呼び出し音が鳴り、間髪《かんはつ》を入れずに男の声がスピーカーからかえってきた。 (はい、開発四課) 「私、神代」 (こんな時間にどうしたんですか?) 「チーフいる?」 (いますけど、今は手が放せませんよ) 「いいから出して」 (しかし……) 「早くなさい!」  おねいの大声が車内にひびく。数分の保留音のあと、別の男が電話に出た。不機嫌な声だ。 (もしもし、磯崎《いそざき》です。忙しいんだから邪魔《じゃま》しないでほしいんだよなぁ) 「それじゃ、単刀直入にね。『高千穂2』の開発状況は?」 (|虫取り《デバッグ》の最終段階) 「つまりベータはあがってるってことよね」 (バージョン5ね。マスター・アップのひとつ前。限りなく完成版に近いヤツ) 「そいつを一枚、CDに焼いて、明日、朝いちのバイク便でオフィス・ミップスに届けてちょうだい」 (何言ってんの。最終ベータは社内から持ち出し禁止なの知ってるだろ。枚数まで管理されてるんだから、勝手に焼いたら俺のクビが飛ぶって) 「いいから、やりなさい」 (簡単に言ってくれるけど、発売前に漏れたら大変だぜ) 「心配いらないわ。開発室より安全な所にもっていくんだから」 (上の許可をとってからにして……)  おねいが遮《さえぎ》って言った。 「|Do it now !!《すぐかかりなさい》 責任は私が持つから」  有無を言わさずって感じで、電話を切った。 「どうしたの?」 「あなたには関係のないこと。それより明日、ドライブにつき合ってもらうわよ」 「イヤよ。ラジオの仕事だけって約束でしょ」 「でも放送で言ったんでしょ? 今度の日曜デートするって」 「え—————!」 「ふふ。冗談よ、じょーだん、コンタクトつけて待っててね」                     ※  翌朝、睡眠不足気味のところに、おねいの車が迎えに来た。助手席には博通社《はくつうしゃ》の木戸さんが、いつもと違ってカジュアルな服で乗っている。 「じゃ行こか」  おねいが言った。 「どこへ?」 「M市よ。ゆっくり流して一時間ってとこかな」 「なにしに?」 「お見舞い」 「誰の?」 「あなたが昨日、話した子」  木戸さんが一枚のハガキを見せてくれた。  宛名は、高天原かほり(ぶすじま・かれん)様。文面は、ありきたりのものだけど、追伸《ついしん》に『ぼくは長期間入院していて、ドラキュラのように他人から血をもらって生きてます。早く良くなって高千穂2をやりたい』って書いてあった。  だから血液型の話題はタブーだったんだ。ひどいこと言っちゃったかも……。 「昨日の電話の子、難しい病気で入院してるらしいんだ。リスナーの実情を把握《はあく》するのも僕の仕事のうちでね。いい機会だから毒島《ぶすじま》君にも来てもらおうと思って。これは神代さんに無理してもらった花束代わり」  と、無地のCDケースを出した。乱暴な字で『高千穂2β5�27禁持ち出し』って書いてある。中には金色のCDロムが一枚。これが昨夜の電話でおねいが話してたゲームの試作版ってことは、あたしにもわかった。木戸さんはケースに『井上|公彦《きみひこ》』って相手の名前と励ましのメッセージをマジックで書かせて、 「にこやかにね。相手は病人なんだから」  と言い、あたしは手鏡で笑顔の練習をさせられた。  M市の大学病院に着くと、まず医局に主治医を訪ねた。  アポを取っていたらしい木戸さんに、ドクターが言った。 「井上君には、いい励ましになるでしょうね。で、物はどれですか?」  木戸さんが『高千穂2』のCDを手渡すと、ナースがどこかに持っていった。  初老のドクターがあたしに説明する。 「井上君は再生不良性貧血という血液の病気で、骨髄《こつずい》移植が唯一の効果的な治療法なのですが、彼の場合は幸運にも骨髄バンクに適合するドナーが見つかって、移植の準備中なんです。今は病気の骨髄を放射線で徹底的に叩いた段階です」  そのため、一時的に体の抵抗力が限りなくゼロに近い状態になって、無菌室《むきんしつ》に入っているという。そこに持ち込まれる品物は、食事も着替えもすべて完全消毒しなきゃならない。高千穂のCDロムも例外じゃないんだって。  ナースに案内されて、あたし達は病棟に向かった。『井上公彦』のネームプレートがかかった一室。中は十五畳ほどの広さで、大きなガラス窓と気密ドアが部屋を二つに仕切っていた。ガラスの向こうは無菌状態だ。 「お休みの日に申し訳ありません」  付き添っていた患者の母親があたし達に頭を下げて、無菌室に通じているマイクに言った。 「公彦、憧《あこが》れの人が来てくださったわよ」  ガラスの向こうのベッドの上で振り向いた男の子には頭髪がなく、顔はむくんでいた。薬の副作用らしかった。 「あ、はじめまして」  スピーカーからの彼の声は、あたしにではなく、神代おねいに向けられたものだった。 「こんにちは。毒島です」  と、かけた声に彼は驚いたみたい。かほりの声の主が、あたしとは思ってなかったらしい。  おねいは出来過ぎの笑顔で彼に言う。 「はじめまして。私はビッグ・ウエイヴの神代です。今日は特別に発売前の『高千穂2』を持ってきました。まだ完全じゃないけれど、十分プレイできるはずよ。発売日が来たら、ちゃんとした製品版を届けるわね」  ナースが小さな二重窓から、完全消毒された高千穂のCDロムを無菌室に入れた。 「うちの開発スタッフ以外で『高千穂2』をプレイできるのは、井上君だけよ」 「声を担当した私だって、まだ見たことないんですよ」  彼は嬉しそうにCDロムを手に取った。 「せっかくだから記念写真、撮りましょう」  木戸さんがカメラを構えると、彼はスキンヘッドを気にしてキャップをかぶった。  あたしは精いっぱいのつくり笑顔でレンズを見る。CDロムを手にした彼とのガラス越しのツーショットを何枚も撮影した。 「その写真、伸ばして額に入れなきゃ。良かったわね公彦、ぶすじまさんのような、素敵なお嬢さんに来ていただいて。今まで彼女なんかできなかったものね」  母親が冷やかし気味に言うと、彼は、はにかんだ。無菌培養《むきんばいよう》とはまさにこれ? なーんて失礼なこと思ったくらいに、全然すれてない。 「無粋《ぶすい》なことしないで、二人っきりにしてあげようか」  と、木戸さん。 「それもそうね。かれん、五分くらいね。井上君が疲れないように」  みんなが出ていって、二人きりになった。 「ぶすじまさん、歳《とし》、訊《き》いていいですか?」 「同い年。あなたと同じ高二よ」 「ぼく、高校に入ってすぐ休学したから、まだ一年なんだよね……」 「そうなんだ……高天原かほりが、私でがっかりでしょ。神代さんだと思ったみたいね。あの人、そこそこに美人だし」 「声優の人って歳上だと思いこんでたから。ちょっと驚いたけど、でも声を聞いたらすぐにわかった。ラジオと同じだから。ゲームとは、どこか違ってたけど」 「そ、そう? 『高千穂2』はそんなことないよ。一生懸命やったから聞いてみてね」 「うん」 「昨日はごめんね、ラジオ。悪いこと言っちゃった。許して」 「ぼくは嬉しかった。血液型なんか訊く人いないんだ。そうやって、みんなが気を遣《つか》ってくれるのって、逆に辛《つら》いから」 「そうかもね」  彼の顔は、あたしの目の前にある。でもガラスで隔《へだ》てられて、マイクとスビーカーでの会話は、ひどく距離を感じさせた。 「変な感じだろ? 刑務所の面会みたいで」 「刑務所、行ったことあるの?」 「まさか。テレビとかでさ」 「ラジオのスタジオにも似てるよ」 「ゲームも消灯後のラジオも、ほんとは禁止なんだけど、お目こぼししてもらってるんだ。注意しようにも、この中に簡単には入ってこられないんだけどね」  彼は笑ったけど、どこか寂《さび》しげで力ない。 「一度、訊きたいと思ってたんだけど、ラジオのリスナーって、高天原かほりのファンなのかな、それとも私のファンなのかな」 「え?」  無菌室の彼は、青白い頬《ほお》をほんのかすかに赤らめて、うつむいちゃった。  また何か悪いこと言っちまったかな………                     ※  病院前のソバ屋でおねいと遅めの昼食をとった。木戸さんは、急用とかで先に帰っちゃった。  おねいは、すこし伸びた髪をゴムで無造作に引っ詰めて、まずそうにソバをすする。 「そんなんじゃパワーつかないよ。また中華いかない?」 「パス。ギトギト系は遠慮したいって感じなのよ。体調、パッとしなくてさ。あんたは元気ね。昼からカツ丼なんて、脂《あぶら》ぎったオヤジみたい」 「ま、若さよね」 「機嫌いいんで安心した。無理矢理、連れてこられて、怒るかなって思ってたけど」 「腹黒いオトナと付き合うのに、いちいち怒ってたら、体がもたないもの」 「それって、私のこと?」 「胸に手あてれば? でも今は、ちょっとほのぼのって感じ。あくまでちょっとだけど」 「あの男の子に惚《ほ》れたのか?」 「まさか。でも、ゲームやってラジオ聞いてるのはオタクばかりと思ってたけど、あーゆー子もいるってわかるとさ、ちょっとは励みになるじゃない」 「男は病弱の女の子に惹《ひ》かれるらしいけど、逆は、あんまし聞いたことないぞ」 「それって『高千穂』にいたよね、すぐ熱だして寝込んじゃう娘、何てったっけ?」 「黄泉《よみ》しずか」 「さすが詳しいね」 「当然よ。私がシナリオ書いたんだから」 「そうか、わかった! 高天原かほりって、おねい[#原本は「え」]の分身なんでしょ。外見はいいけど、理想が高くて、けっこー嫌な性格で」 「外見が良いってのは認めてもいいけど、他は却下《きゃっか》。あれは男どもの理想の集合体よ。あんなのいるわけないじゃない」 「いや、あたってると思うな。現実世界じゃ、あーいうのって、絶対、男に縁がないって。その証拠に、おねいは独身じゃない。二十七にもなって、彼氏すら、いないみたいだし」 「おだまりっ!」  冗談半分だったけど、あんがい図星かもね。 「ねぇ、おねい」 「ん?」 「今度、いっしょに骨髄パンクの登録にいかない? ほんのちょっと血を採《と》るだけなんだって。無理にとは言わないけど」 「うん。いいわよ」  おねいは、かほりの口調を真似《まね》て言った。 「え? あっさりOK? なんか拍子抜け。実はね、あたしの……」 「知ってるわ」 「って、何も言ってないじゃない」 「お父さん、白血《はっけつ》病で亡くなったんですってね。だから?」 「どうしてそれを……」 「木戸が教えてくれたの」 「…………」  おねいの言ったとおり、おとうは白血病だった。骨髄移植を考えたけど、一人っ子のおとうに、当時適合するドナーは見つからなかった。骨髄バンクも未整備だったから、なす術《すべ》はなかった。三歳になったばかりのあたしと、おかあの手を握って息を引き取る蒼白《あおじろ》い顔。それが幼心に唯一残ってる、おとうの姿。その時のおかあの号泣《ごうきゅう》は、その後のどんな演技もかすんでしまう深い悲しみにあふれてた。 「木戸はあなたの事を色々調べてるみたいよ。お父さんが白血病で亡くなったのを知ってて、あの男の子を選んだのかも……ってまさかね。でも、ラジオでデートをOKさせて、今日のお見舞いをお膳立《ぜんだ》てしたのは木戸のアイディアなの。何を考えてるのかよく判らないヤツよ。あの男、しょっぱなから、どうも、いけ好かなくて、気を許さないほうがいいと思うのよね。かれんも気をつけて」  おねいはソバを残して箸《はし》を置くと、バッグから出した胃腸薬を水で流し込んだ。ゴムをはずして、頭を振ってまとめた髪をほぐすと、 「あ、忘れるとこだった。これ、あなたに預けとく」  と、半年分のコンタクトが入ったケースをあたしにくれた。 [#改ページ]    8 勇み足な露出  最初はどうなることやらと思ったが、生きのいい女子高生と過ごすのは少し疲れるけれど、まぁ、悪いものでもない。十年前の自分にも、あんな多感な時期があった……はずだ。  かれんはコンタクトを餌《えさ》に使わずとも、ラジオの生放送に真剣に取り組んで、安心して見ていられるようになった。病気のリスナーに会わせたのが、いい刺激になったのかもしれない。週一のラジオの他に、今のところ、かれんを拘束《こうそく》する必要はなかった。ビッグ・ウエイヴとオフィス・ミップスの取り決めで、かれんには高天原《たかまがはら》かほり以外の仕事をさせない約束だし、母親も学業優先を契約の条件としていたから。  私が頭を悩ませたのは、かれんを露出させるタイミングと、その方法。  悩んだ末、お披露目《ひろめ》は『高千穂《たかちほ》2』の発売一カ月前に開催されるゲーム見本市『アミューズメント・フェス』のイベントでと決めた。  私は、かれんを大々的に前面に押し出すつもりはなかった。高天原かほりの声は四十過ぎの中年女ではなく、現役の女子高生とファンに知れればそれで良い。巷《ちまた》で起きている変な声優ブームなんてものに、かれんを巻き込みたくはなかったし、彼女自身もそんなことを望んではいなかった。  でも、そんな私の心づもりは、イベント直前に破られた。  ゲーム雑誌三誌、アニメ雑誌二誌、声優雑誌(があるなんて初めて知った)一誌に、見舞いのツーショット写真と記事が掲載されたのだ。記事はどれも巻末の二百字くらいの小さな枠《わく》。写真も辛《かろ》うじて顔が判る大きさで、かれんの年齢も不詳だったが、写真のアングルは各誌で微妙に違っていた。出所はハッキリしてる。やたら何枚も木戸がシャッターを押したはずだ。  ◇月▽日の「高千穂学園放送部」を聞いた人なら覚えてると思うけど、高天原かほりが、リスナーとのデートをOKしたのを知っているだろうか? みんなのアイドルとデートをした羨《うらや》ましいヤツは誰なのか、そのタネ明かしをすると、放送の翌日、高天原かほり役のぶすじま・かれんさんが、病気で入院しているラジオリスナーをお見舞いして、発売前の「純愛シミュレーション高千穂学園・2」をプレゼントしたんだ。思わぬ訪問にK・I君は大喜びで………  他の雑誌の内容も大同小異。  闘病中の無垢《むく》なリスナーと、かれんの気持ちが、知らないうちに利用されていた。  不快だった。  私は木戸《きど》の携帯《けいたい》に電話した。  ——はい、木戸です。  車で移動中なのか、ノイズ混じりの声だ。 「神代《くましろ》だけど、なんなのよ、あの雑誌記事」  ——見ました? なかなかいいでしょ。入稿の締め切り直前のもあったんで、押さえるのに苦労したんですよ。 「かれんのマネージャーは私よ。無断で、あんなことしないで」  ——相談する時間が無かったから、私の独断で載せました。 「かれんのお披露目は、フェスのイベントって決めたはずでしょ」  ——それでは全国展開には弱いんです。撒《ま》き餌《え》ってものが必要ですから。 「出ちゃったものはしょうがないけど、今後は私に断りもなく勝手なことしないでちょうだい。土曜のイベントで余計な手出しはやめてよ」  ——土曜は、私、忙しくて行けませんので。あ、トンネルだから切れちゃいま……  圏外になったらしく木戸からの電波は途切れた。 [#改ページ]    9 私が、ぶすじま・かれん  チ——————ン——————  イベントの朝の土曜日。  おかあの鳴らす仏壇《ぶつだん》の鈴《りん》の余韻《よいん》で目が覚めた。 「あなた、かれんが今日、ステージに立つのよ。どうか見守ってやってくださいね」  わかってるのかな、おかあ。ステージっても、芝居とはぜんぜん違うんだよ。  学校が昼で終わって急いで帰ると、校門の前にはおねいの車が迎えに来てた。  体育ジャージのまま、オフィス・ミップスに向かう。衣装はおねいが用意するって言ってたけど「これに着替えてね」って出してきたのは、うちの学校の制服だった。前に採寸《さいすん》したのは、こんな物のため? バカみたい。 「大切にしてよ。学校に着てったら承知しないんだから」 「学校じゃなきゃ、どこに着てくのよ」 「それ、ただの制服じゃないの。完全仕立ての特注品で十六万するのよ」 「えええっ!」  既製品《きせいひん》じゃないのは、袖を通すとすぐにわかった。だって生地の手触りからして違うんだもの。ぴったり馴染《なじ》んで、体の線がきれいに見える感じだ。それから、おねいがヘアスタイルを整えて、いちばん薄いチークでうっすらメークをしてくれた。 「じゃ出撃するわよ。汗でせっかくのファンデーションが流れちゃうと困るからね」  と、寒いくらいに車のエアコンを効かせて会場の流通センターヘ。  おねいが何気なくタバコに火を点《つ》けた。 「ちょっとぉ、やめてよ。体に悪いでしょ」 「自分の車で何しようと勝手だろ。それに、あんたくらいの歳《とし》から吸ってるけど、健康だよ」 「清純なかほりちゃんを、タバコ臭《くさ》くしないでよね」 「チッ」  舌打ちして、おねいはタバコをにじり消す。  今日はゲーマーが押し寄せる一般公開日。会場に入りきれない人の列が入場口に向かって伸びている。車はそこを素通りして、裏手の搬入口《はんにゅうぐち》のほうに横付けされた。業界人だらけのなか、高校の制服姿でIDカードを首から下げたあたしは、こっぴどく目立つ。それがおねいの狙いだってことはすぐにわかった。関係者入り口の前には、お目当てのタレントや声優を待ちうけるアマチュア・カメラマンが集結していたんだ。あたしが誰なのか、わからないらしいけど、ま、おさえておくかって感じでレンズが向けられ、フラッシュが瞬《またた》いた。あんまし気持ちのいいもんじゃない。  会場の中は人の出す熱気で冷房が追っつかない状態だ。ビッグ・ウエイヴのブースには、ゲーマー達がぎっしり押し寄せてる。  ステージでは『高千穂《たかちほ》』のイベント真っ最中。舞台のそでの控え室に入ると、また着替えだ。 「夏のは間に合わなかったのよ。暑いかもしれないけど我慢してね」  と、おねいが出してきたのはブレザーの制服。  とーぜんこれも特注品だよね。だって『高千穂学園』のデザインなんだもの。 「結局はコスプレかぁ」 「汚すんじゃないわよ。それっきりしかないんだから。そろそろよ。準備してね」  足が震えて、体がポッとほてってる。おかあの言いつけどおり、手のひらに人の字を書いて、それを、こくんと飲み込んだ。緊張消しのおまじないだ。 [#改ページ]    10 かれんは|未 成 年《ティーンエイジャー》  かれんは緊張に体をこわばらせていた。  ステージでは『高千穂《たかちほ》』の声優達が、適当に客をいじって場を盛り上げている。ライブもこなしているだけあって、ファンの扱いも手慣れたものだ。かれんに同じ事を求めるのは酷《こく》ってものだろう。改めて聞くと、彼女たちの地声は二十代の女のそれで、ゲームやラジオの娘声は完全な作りものであることがわかる。  あまり上手《うま》いとは思えない歌に手拍子を打ち鳴らす若い男の観客。ひと昔前に量産されたアイドル歌手のイメージがダブる。まぁアイドルって言うには、ちょいと歳《とし》くい過ぎてるとは思うけれど。  ジャンケン大会やグッズのプレゼントが済んで、声優達も舞台を降り、ステージが終わった。お客が帰り支度をはじめる前に、司会のねーちゃんが頃合いを見計らって声を張り上げた。 「ここで特別ゲストを紹介しまーす。皆さんよく知ってるあの人、高天原《たかまがはら》かほりこと、ぶすじま・かれんさんでーす」  客がどよめいた。その数、およそ五百人。かれんをビビらすには十分すぎる人数だ。  私はコンタクトをはずさせて、 「こうすれば顔なんか見えないでしょ。ジャガイモが並んでると思いなさい」  と、コチコチの肩をトンと突いて、かれんを舞台に押し出した。  初めて姿を公《おおやけ》にした、ぶすじま・かれん。  かほりと同年代の声優。  そのインパクトに、うお——っと声があがった。『高千穂』の制服がコスプレに見えないのは、さすがに現役の女子高生だ。 「はじめまして。ぶすじまです」  かれんが、ぴょこんと頭を下げた。  ラジオと同じ声に、割れんばかりの拍手。  そして「ぶっす、じまっ、ぶっす、じまっ……」の連呼。  小声でかれんが言った。 「あのぅ、すいません、私の名字、区切って言わないでほしいんです。特に前の部分。いちおう、女の子なんで、すごく気になっちゃうんですけど」  どっと受けた。  いいぞ、つかんだ! 「いつも応援の手紙ありがとうございます。全部読んでます。お返事、書かないでごめんなさい。かほりちゃんと同じ高校生なので、なかなか時間が取れなくて。そのぶんラジオは一生懸命やってます。今夜も聞いてください」  ステージの上にいるのは、威勢のいい、いつものかれんではなかった。極度の緊張が無意識のうちに、かれんを高天原かほりのイメージに近づけているようだ。  司会のねーちゃんが、打ち合わせどおり、かれんに尋《たず》ねた。 「ぶすじまさん、ファンの皆さんの前に立つのは、今日が初めてですよね」 「はい」 「『高千穂』のどのキャラがお気に入り?」 「かほりちゃん以外は、みんな好きですけど」 「あれ? それはどういうこと?」 「かほりちゃん、他人とは思えなくて、ゲームしてても、すごく照れちゃうんです」 「なるほどね。こうして見ると、本物のかほりちゃんが立ってるみたいですね」 「ぜんぜん違います。私、彼女みたいに完璧《かんぺき》じゃありません。この制服着てるのも、すごく恥ずかしいんです。ファンの人から怒られるんじゃないかと……」  客から「そんなことなーい」「似合ってるー」と声がとんだ。 「発売まで一カ月を切った『高千穂学園2』ですけど、収録はどうでしたか?」 「先輩の声優さんみたいに上手じゃないと思いますけど、一生懸命やりました。皆さん遊んでみて感想とか聞かせてください。よろしくお願いします」  よし、予定通りだ。こんなもんだろう。私は司会のねーちゃんに合図を送った。 「ぶすじま・かれんさんでした。では最後に一曲……」  と、客の中から声があがった。 『プレゼント! 高千穂2、プレゼント! 高千穂2……』  声はすぐ大合唱にまとまり、手拍子を交えて会場いっぱいに反響《こだま》した。 「これから、ぶすじまさんに歌を……」 『プレゼント! プレゼント! …………』 「すいません! ちょっと皆さん!」  ねーちゃんの金切り声は完全にかき消され、客の連呼はシュプレヒコールと化した。もはや収拾がつきそうにない。私は切り上げて引っ込めのサインを送ったが、コンタクトをはずした、かれんには見えないらしく、マイクを取って客に問いかけた。 「みんなが言ってるのは、雑誌に載った、お見舞いのことですか?」  客がいっせいに拍手。 「聞いてくださいっ!」  かれんが叫んだ。  マイクがハウリングをおこすほどの大声だった。  拍手がやみ、客がちょっと引いた。 「彼、今、この瞬間も無菌室《むきんしつ》の中で頑張ってるはずです。名前は井上《いのうえ》君っていいます。私と同い年の十六歳なんだけど、入学してすぐ病気で休学しちゃったから高校生活って経験してないんです。ここにいるみんなには、ただのゲームかもしれない。でも、井上君にとって『高千穂学園』は、バーチャルな高校生活なんです。彼の闘《たたか》っているのは再生不良性貧血という、命を落とす人も少なくない難病で、骨髄《こつずい》移植も必ず成功する保証はありません……」  かれんが言葉を詰まらせた。十数年前の自分の父親と重ね合わせてるに違いない。客は思いがけないかれんの話に、驚き、戸惑《とまど》い、そしてシーンと静まり返った。  まさに水を打ったようにってやつだ。 「……あれは、ビッグ・ウエイヴさんに無理言って、特別に出してもらった物なんです。だから……だから、皆さんにはプレゼン卜できません。井上君にも、みんなと同じように『高千穂学園』をゲームとして楽しめる日が来てほしいと思ってます……私にも何かできないかなって考えて、マネージャーのお姉さんと二人で、骨髄バンクヘ登録に行ったんです…………でも……………あれ? わたし、なに言ってるんだろ。こんなこと話すつもりじゃなかったのに…………偉《えら》そうなこと言って…………ごめんなさい…………」  かれんは絶句して、気恥ずかしそうに、うなだれた。  観客は静かに見守っている。  わずかの静寂《せいじゃく》。  そして巻き起こったのは、温かい拍手だった。 「みんな、ありがとうぅぅ……」  かれんの語尾《ごび》が砕《くだ》けた。感極《かんきわ》まって泣いているらしい。  アイメークしないで良かったよ。黒い涙を流したんじゃ、ぶち懐しだもんね。  拍手の渦《うず》は、共感の波となって会場に溢《あふ》れた。わい雑なイベントは、一転、新興宗教の集会みたいな雰囲気になってきた。司会のねーちゃんは、制御不能の状態に、おたおたしている。しゃあない、助け船を出すか。私はDATに録音してあったカラオケを再生した。感動の空気には場違いな、能天気なまでに明るいイントロが流れた。  かれんが弾《はじ》かれるように反応した。 「『高千穂学園2』のオープニングテーマ『いつもそばにいる』です。聞いてください」  かれんが歌いだすと、雰囲気はコロッと変わって観客はノリノリ。さっきの声優達より断然上手い。手拍子と、ぶすじまコールの中で、フルコーラスを歌いきった。  渦巻くアンコールの声に恐れをなして、司会のねーちゃんは、 「ぶすじま・かれんさんでした。皆さんありがとうございましたぁ。『高千穂学園2』発売カウントダウンイベント、これで終了でーす」  と、一方的に幕を引く。  最前列の客が、引っ込みかけたかれんに、 「CDの発売日は?」と、怒鳴った。  すこし困った様子でかれんが私を見るが、答えようがない。出す予定なんかないんだものさ。  かれんは笑って、 「こんど、かほりちゃんに会ったら、きいておきますね」  と、かわした。  うまい! 良い答えだ。  こうして、かれんの初露出は大成功に終わった。 『高千穂2』の発注予約は予想以上の伸びで、私も会社もホッと胸をなで下ろした。  イベントの数日後、レコード会社から主題歌CDの発売が打診《だしん》されると、貪欲《どんよく》な会社はすぐに飛びついた。録《と》ってあったフルコーラスのデモテープがあったので、そいつをリミックスして使うことにする。ゲームと同日発売にするための急ピッチ作業だ。  アーティスト名は高天原かほり。  ぶすじま・かれん、ではない。  レコード会社はCDの発売イベントにかれんを要求したが、木戸はそれを拒絶した。あくまで高天原かほりを売り出す方針なのだ。その証拠にCDのジャケットには、かれんの顔写真はおろか、名前すらなかった。                     #  ゲームの発売日が迫り、私は『高千穂2』のプロモートと、かれんのマネージメントの掛け持ちという、過労死寸前の状態に陥《おちい》った。オフィス・ミップスなんて聞こえは良いけれど、その実態は小さな劇団で、芸能プロダクションなどではない。劇団の副業として声優の斡旋《あっせん》をしているだけだから、私が何でも片付けなきゃならなかったのだ。オヤジみたいに薬局のスタンドで、ドリンクの立ち飲みが日課となっている自分が情けなかった。  発売を数週間後に控えたある日、木戸から電話があった。  ——ちょっとした問題がありましてね。 「どういうこと?」  ——電話ではなんですから資料を送ります。そちらでご検討ください。私はその対応で手が放せませんので、よろしくお願いいたします。  と、手短に切った。  すぐにファックスが動き出して、プレゼン用の資料が吐き出された。  最後のページは、『至急検討願います』と、木戸の手書き文字。  木戸が送ってきたのは、�ちょっとした問題�ではなかった。  それどころか『高千穂』の根幹《こんかん》を揺るがしかねない事だったのだ。  それは————————— 『高千穂学園放送部』は生放送が売りの深夜番組。かれんがパーソナリティーを務めるということは、十八歳未満の深夜|就労《しゅうろう》にあたり、労働基準法に抵触《ていしょく》するのだ。今までは母親がやっていたから気にもとめなかったのだが、木戸に指摘されると確かにその通りではある。ぶすじま・かれんが十六歳の現役女子高生と知れた今、問題になるのは目に見えている。明るく健全な娯楽を提供するゲームメーカーにとって、これは微妙な問題だ。急遽《きゅうきょ》、本社で対策会議が招集され、私はプレゼン担当として、木戸の用意した三つの対応策を管理職に説明した。  まず、高天原かほりをパーソナリティーから降ろす第一案。これは即座に否定された。看板娘を外すことなどできるはずもない。  土曜の放送だけ収録にする第二案も、校内放送を装ってまで生放送にこだわった番組の趣旨《しゅし》を外れてしまうし、一番の売りであるリスナーとの生電話が不可能になるため疑問符がついた。  そして、木戸お勧《すす》めの第三案は、 「土曜の高天原かほりの枠《わく》だけを、午後八時三十分から九時までのゴールデンに移すプランです。さいわい帝都ラジオは東京ローカル局で、プロ野球中継の権利を持っておりません。野球シーズン中の、その時間帯は万年低聴取率で、現在の歌謡番組のスポンサーも降りたがっているそうです。番組改変期前の今でも、すぐ手を打てば、枠を確保できると博通社側は言っておりますが」 「良いことずくめのようだが、問題はないのかね?」  広報担当の部長が訊いた。 「スポンサー料です。現在のような我が社の単独提供では、ゴールデン枠で三十分番組を維持できません」  結局、行き着くところは金の問題なのだ。見積もられた額を聞いて、管理職のオヤジ達は黙り込んだ。 「現在、内々に共同スポンサーの打診を、『高千穂』のCDを出しているレコード会社と、攻略本関係の出版社にしておりますが、双方から前向きの返答をもらっているそうです。ただ (ウッ)」  突然、私の下腹部に激痛が走った。 「ただ、何かね」 「……はい、ただ、予算的にもう一社ほど、共同スポンサーが必要なので、現在………」  ウッッ、どうしたんだろう、強烈に差し込んでくる。 「神代《くましろ》君?」 「あ、は、はい。現在'''''博通社が鋭意《えいい》、、、、、、、、探して…………つっ、い、痛いっ」  全身に脂汗《あぶらあせ》が吹き出す。お腹が痛い。それも尋常《じんじょう》な痛さじゃない。  私は椅子《いす》から崩れて床に倒れ込んだ。  立たなきゃ、ひざ立てて……痛っ、何なのよ''''た、立てないじゃないの。 「神代君、大丈夫かね?」  オヤジ達が席を立って、駆け寄って来た。このままじゃパンツ見られちゃうわよ………  あああっつつ………いたい…………た・す・け・て…………………………………                     #  数日後、私は病院のベッドの上にいた。  かれんから花の宅配で病室に届いたアレンジ・フラワーには、手書きのメッセージカードが付いていた。 『しっかり休んで、早くオナラしちゃいなさい。今度は毛生え薬を届けてあげるよ』  ふふっ、あいつらしいや。  この歳で初めて救急車に乗せられて、盲腸《もうちょう》の緊急手術なんて、恥ずかしいったらありゃしない。でも、かなりヤバイ状態ではあったらしい。このところ体調がすぐれなかったのは、疲労と緊張のせいだと思いこんでいたけれど、こういう事だったのか。  邪魔な点滴も外れて、痛みも落ち着くと、仕事から切り離されて手持ちぶさたな毎日だ。ゴロゴロして過ごそうにも、虫垂炎《ちゅうすいえん》くらいじゃ、きょうびの看護婦は病人扱いしてくれない。治りが早くなるとかで、遮二無二《しゃにむに》運動をさせられるんだ。歩くと傷にまだ響くけど、陰鬱《いんうつ》な病棟を抜け出してロビーの売店に雑誌でも買いに行こうか。  でも病院の売店になんか、ろくな雑誌はありゃしない。買い食いしたくても、ガスが出るまでは飲み食い禁止だしなぁ。しょうがない、ゲーム雑誌でも買うか。こんな時まで仕事を離れられないとは、悲しい性《さが》だ。 「おや? 神代さんじゃないですか?」  後ろから男の声。振り向くとドリーム・テックの石森《いしもり》が立っていた。 「あら、しばらく」  待ち合いのベンチに座って話し込んだ。 「……へぇ、神代さん、盲腸ですか」 「あなたはどうして病院にいるわけ?」 「腱鞘炎《けんしょうえん》ですよ。プログラマーの職業病」  と、テーピングした腕を見せた。 「腕を痛めるくらい仕事が順調なんだ」 「経営者が腱鞘炎になるようじゃ、先が見えてますよ」  自ら経営者と言うには無理がある感の石森だ。 「あのゲーム、凄いことになっちゃいましたね」 「うん。私はいまだに苦しめられてるわ。そのストレスで盲腸が腫《は》れ上がったのよ。実はいろいろあってさ。ホントは秘密なんだけれどね……」  |C   V《キャラクター・ボイス》交代劇の一部始終を石森に話した。 「なるほどねぇ。聞き比べてみなきゃ」 「送ってあげるわ、『高千穂2』」 「いいですよ。ウチの連中みんな予約しちゃったから。俺も含めて」 「ここだけの話、続編は前作を超えられないってジンクス、私、信じてるんだ」 「だと嬉しいけど」 「あの企画を立てたの私達だもんね。今はどんな仕事してる?」 「いくつか同時進行でやってますよ。食うためのエロゲーは作ってるけどオリジナルも計画中」 「十八禁じゃないヤツ?」 「うん。『高千穂』で下請《したう》けの悲哀《ひあい》を感じたけど、スタッフにやる気も出てきたから。俺達もメガヒット級を出せるってね。もちろん、神代さんの力があったればこそでしたけど」 「今考えると、開発に燃えてるあなた達、なかなかカッコ良かったわよ」 「そうですかぁ?」 「ウチの会社にも、毎年熱意ある新人が入って来るんだけど、二年ぐらいで死んだ目になっちゃうのよね。家庭用ゲームって今や巨大産業じゃない、開発規模が大きくなりすぎちゃってね。ハードメーカー、企画会社、タイアップ企業、出版社、レコード会社、グッズ関連、広告代理店、アニメ制作プロ、原作者にイラストレーター、声優事務所に下請けまで。寄ってたかって作りあげて、分け前をもぎ取っていくって感じ。パテント関係の書類だけでもすごいのよ、版権部って部署もあるくらいだから。ゲームを愛してる人ほど内情を知ると、やる気が萎《な》えちゃうみたいね」 「そうかなぁ。俺の夢は会社をビッグ・ウエイヴみたいな企業に育てることなんだけど」 「そこにいる私が言うんだから間違いないわ。今だから言うけど、あなた達との一年三カ月、私には新鮮な体験だったのよ。しんどかったけど、あんなに物を創ってるって実感があったの、初めてだった。あなたのスタッフもいい目をしてたわ。ちょっと臭《くさ》かったけどね」 「あれでも身綺麗《みぎれい》にしてたほうですよ。まさか女性が来るとは思ってなかったから、慌《あわ》ててエロ雑誌を処分したりしてね。勘違《かんちが》いしないでよ、あくまで資料用のヤツだから」 「資料なら堂々と置いとけばいいのに。中学生みたいにコソコソ隠さなくても」 「みんな純情なんですよ」 「かもね。じゃなきゃ、あんなゲームは創れないよね。いい歳の男がさ」 「神代さんモデルにした、歳上のキャラ入れとけば良かったって、みんな言ってました」 「憎まれ役、決定ね」 「プレイヤーの姉の設定で。こっちも今だから言っちゃうけど、最初はウチの連中、神代さんのこと怖がってたんですよ。怒ってばかりいたから。けど、最後は慕《した》ってました。ビタミン剤の差し入れ、感激したって」 「あぁ、あれ。倒れられでもしたら、スケジュールが遅れちゃうからよ」 「暇みて遊びに来て下さい。みんな会いたがってます」 「ありがとう。そろそろ病室に戻るわ。お話しできて、とっても楽しかった」  石森がプッと吹き出した。 「どしたの?」 「それ、高天原かほりの台詞じゃないですか。お話しできて、とっても楽しかったって」 「へ?」  かれんも言ってたけれど、知らないうちに染《し》み付いちゃうんだろうか。  よいしょっと立つと、傷がズキッときた。 「大丈夫ですか? 車椅子もってきましょうか?」  痛みが顔に出ちゃったらしい。 「病人扱いしないで。チクッとしただけよ」 「無理しないで。肩、貸しましょう」 「え?」 「さ、遠慮しないで」  体を預けた石森の肩は思ったより頼もしかった。病棟に私を送って石森は帰っていった。  日差しの明るい談話室で、ゲーム雑誌をパラパラめくる。巻頭には『高千穂2』の紹介記事。発売日まで情報を小出しにして、ユーザーの購買欲をあおるのはいつものことだ。 「犯人はここにいたんだ。杖《つえ》ついて、やっとこさ一階まで行ったら、タッチの差で女の人が買って、売り切れだって言われた」  向かいの病室にいる高校生の男の子が、ゲーム雑誌を見て声をかけてきた。テニスの試合で靭帯《じんたい》を損傷して松葉杖をついている。 「犯人とは失礼だわね」 「特に今週号は買い逃せなかったのに」 「正直に答えたら、あげてもいいよ。なぜ今週号が欲しいの?」 「毎週、買ってるからだよ」 「ウソおっしゃい。当てようか、これだろ?」  私は付録の折り込みページを開いた。ペロンと、かほりのポスターが垂れ下がる。 「あ、そこ汚すなよ」 「何でこんなものがいいの。同級生の娘でも口説《くど》きなさいよ。きのう見舞いに来てたのに可愛いのがいたじゃない」 「それとこれとは別なの」  彼は松葉杖を不器用につきながら、雑誌を持って病室へと消えた。 『高千穂』のキャラクター達はゲームの中でほとんど動かない。CVの台詞に合わせて、口パクするだけだ。TVアニメの女の子のほうが、はるかにリアルなのだが、ユーザーは高天原かほりを理想の女の子として身近に感じているし、かれんの声は、かほりに直結している。  考えると、これはかなり奇妙なことだ。  そういえば大学時代の友人に、売れもしないラジオドラマの脚本ばかり書いていた、劇作家志望の子がいた。彼女は事あるごとに、TVや映画よりラジオのほうが表現の可能性があると力説した。 「シナリオに、『この世の者とは思えないほどの美人』って書いても、映像では女優が出るだけでしょ。ラジオなら、聞いてる人が考えうる、最高の美形をキャストにできるじゃない」  答えは、これかもしれない。  私が初めに提供した高天原かほりの設定を骨格に、ユーザーが肉付けをして、それぞれの高天原かほりを創りあげたのだ。各人の理想を吸収した彼女に太刀打《たちう》ちできるアイドルなどあろうはずもないのだ。  消灯は午後九時。  そんな時間に生まれてこのかた寝たことはないし、寝られもしない。入院患者の夜の友はイヤフォンで聴くラジオって事を、身をもって知ることになった。  今日は土曜だ。かれんの声にダイヤルを合わせる。  その夜の放送は雰囲気《ふんいき》が違っていた。トークに今日の話題が織り込まれていなかったし、電話の相手はリスナーではなく、『高千穂』の別のキャラだった。  ナマじゃない。  事前収録に間違いない。  そして、 「きょうは皆さんに大切なお知らせがあります。残念だけど、土曜日のこの時間は放送室を使えなくなっちゃったんです。だから私のこの時間での放送は来週でおしまい。でも心配しないでね。顧問《こもん》の先生にお願いして、私の時間は午後八時半にお引っ越しします。再来週からは、午後八時半から九時までの三十分番組になります。忘れないで下さいね。そして、もう一つ嬉しいお知らせ。電脳部の協力で、再来週からはインターネットでも放送しちゃうんです。電波が届かなかった皆さんにも、私の声を聞いてもらえるようになるんですよ」  と、放送で、かれん自らが告知したのだ。  さすがに木戸の打つ手は早かったようだ。再来週の土曜日と言えば『高千穂2』の発売日。  新しいスポンサーを見つけて、発売日に間に合わせたらしい。                     #  病院での規則正しい生活に体が慣れた頃、ようやく退院を許された。タクシーを呼んで家に帰る。入院中の強制的な禁煙で、前は気にならなかった車内のタバコ臭さが鼻についた。  行き先を告げようとしたその時、カーラジオから聞こえてきた声に、 「運転手さん、ボリュームあげて!」  と、反射的に叫んでしまった。間違いない、かれんの声だ。 [#ここから改行天付き、折り返して3字下げ] かれん「世界のどこかに、あなたを待っている人がいます。日本だけでも骨髄移植を待っている患者さんは数千人。でも移植を受けられるのは、ほんの少しだけ」 男の声『骨髄移植の適合率は五百人から一万人に一人の確率。たとえ親子であっても提供は不可能なのです。骨髄バンクにご協力下さい。登録は10�の採血だけです。ドナー登録は二十歳《はたち》から』 かれん「高天原かほり、十七歳。私も二十歳になったら、きっと」 男の声『お問い合わせはフリーダイヤル、0120……………』 かれん「あなたを待っている人がかならずいます、世界のどこかに、かならず。あなたの心を届けてほしい」 [#ここで字下げ終わり]  三十秒のラジオスポットが数分にも感じた。  あれほど大切にしていた高天原かほりの商標。『高千穂』と無関係のCMに使うのを、どうして会社が許したのだろうか。 「お客さん、どこ行けばいいの?」  運転手の不機嫌な声で現実に引き戻された。  私の知らないところで、何かが密《ひそ》かに動いているようだ。 [#改ページ]    11 寡婦《やもめ》にだって××がわく      ※ 屁《へ》がでて退院した。来週には復活の予定 ※      ※ クビを洗って待ってるように      ※      ※               くましろ ※  朝起きると、こんな文字がファックスにぶら下がってた。 「おかあ、神代《くましろ》おねいが退院したってさ」 「学校が終わったら行ってあげなさい。一人住まいだと、退院直後は大変だわ」 「やだよ、自分んちのことで手一杯なのに。おかあが行けばいいじゃない」 「無理よ。わたしは仕事があるもの」 「おかあも少しは家の事しろよな。あたしなんか、ここんとこ昼はずーっとパンと牛乳なんだよ。朝早いヤクルトおばさんだって、子供にゃ弁当くらいつくるぞ」 「ヤクルトは商品名だから、放送で言っちゃダメよ。それに若い人だっているんだから、オバサンなんて言ったら、間違いなく抗議の電話が鳴るわ」 「じゃー、なんて言えばいいのよ」 「そうね、乳酸菌飲料宅配業、かな?」 「馬《ば》ッ鹿《か》じゃないの? あたしは、そんな日本語聞いたことない」 「あたし、じゃない、わ・た・し。高天原《たかまがはら》かほりは、そんな日本語、絶対使わないわよ」 「るっさいなぁ、いいじゃないのよ、あれは、お芝居なんだから」 「芝居なんて言葉を口にするのは百年早い! お前みたいな素人《しろうと》は日常から気をつけてないと、絶対に出ちゃうわよ。生放送でミスすると取り返しがつかないんだからね」  声優の真似《まね》ごとをするようになってから、おかあの、こんな小言がやたら多くなった。おねいのダウンで、穴を埋めた木戸《きど》さんもチェックが厳しかった。登校するスタイルや放課後の過ごし方までに口をはさんできた。小指の爪だけ伸ばしてたのも目ざとく見つけて、短く切らされた。 「今の毒島《ぶすじま》君は、どこで見られているかわからないんだよ」  と、何度となく言われた。  あたしが、かほりを演じてるはずなのに、いつの問にか、あたしのほうが、かほりに近づくように仕向けられてる気がする。  正直言って木戸さんって人は苦手だ。心の中で一日も早い復活を願いつつ、住所を調べて初めて訪ねたおねいの住処《すみか》は、しゃれたワンルームマンションだった。 「誰ぇ? あ、かれん」  ベルを押すと、さっきまで寝てたような声がして、お久しぶりのおねいが、スッピンで寝ぐせ頭のまま顔を出す。病み上がりだから顔色が今いち。パジャマ姿がみょーにはまる。  一歩中に入ると…………ゲッ、ひでぇーもんだ。  こりゃ女の部屋じゃないよ。大家さんが見たら腰を抜かすくらい散らかってる。キッチンだけがきれいなのは、片忖けてあるからじゃなく、使ってないからに違いない。トイレの汚れた手拭きタオルは、高天原かほりがプリントされたキャラグッズだった。これって確か、プレミアが付いてるはずだ。汚れてしわくちゃになったかほりの顔を、ファンの子が見たら卒倒《そっとう》するだろうな。気をつけて見ると、部屋の中には高千穂《たかちほ》グッズがいっぱいあった。コレクターはケースに入れて家宝にしてるとまで言われてる品々を、おねいはごく普通の実用品として使ってるらしい。コーヒー色に染まったゾーキンにかほりの笑顔を発見した時は、さすがにあたしも複雑な気分になった。 「おねい、昼は何食べた?」 「カロリーメイト。ミルク味」 「晩はどうするの?」 「ちょうどいいや、ホカ弁買ってきてよ。あんたにも好きなの御馳走《ごちそう》したげるから」 「そんな貧しい食生活じゃ再発しちゃうよ」 「人間に盲腸《もうちょう》は一個しかないわよ」  ったく、しょうがないなぁ。冷蔵庫には、缶ビールと酸っぱくなった牛乳しかないじゃない。買い出しに行かないと。その前に洗濯機に突っ込んである衣類を洗濯しようか。 「大丈夫だって、下着の替えはまだ余裕あるから。そう汚れるもんでもないし」 「運転するんでしょ、万が一って事もあるんだから、下着くらいキレイなの身に着けてなさいよ。事故にあって運び込まれた病院で脱がせられたら、なーんて考えない?」 「縁起でもないこと言うヤツね。黙ってろよ」  なんて女なんだろ。これが見た目キャリアウーマン系の実態か。あたしが洗濯もの干して、掃除機かけて、夕食つくってる間じゅう、おねいはパジャマ姿で電話かけてて、パソコンでメールのやり取りして職場復帰の準備をしてた。 「できたわよ。食べたら、ちゃんと薬を飲んでよね」  消化と栄養を考えて用意したメニューは、チーズリゾットに温野菜とフルーツ。 「うん、うまいよ。そこいらのイタ飯屋よりいいや。あんた、いい嫁さんになれるよ」 「だてに母子家庭で育っちゃいないもの」  がっつき気味に洋風お粥《かゆ》をすするおねいは、あたしが言うのも変だけど、すこし可愛《かわい》かった。 「ねぇ、これ、どうやってこさえるの?」 「無駄よ。レシピ教えても、おねいには絶対つくれっこないわ。それよりね……」 「それより?」 「スッピン見てわかったけど、化粧うまいんだね」  おねいはゲホッと、むせかえった。 「な、なに言い出すかと思えば」 「初対面の時、二十四くらいかなって思ったけど、四捨五入すれば、らくらく三十なんだよね」 「おだまりっ!」 「考えてる? いつまでも若くはないのよ」 「あんたに言われたかないわ」 「考えればウチのおかあが、今のおねいの年齢で、おとうと死に別れたんだよねぇ。ちなみに、私は可愛い盛りの三歳児だった」 「………………」 「このままじゃ、ローンで買った、ゴミ溜《だ》めみたいに汚れた小さなマンションで、天井のシミにでも看取《みと》られて、人知れず息を引き取るってのが、おねいの最期《さいご》になっちゃうよ、きっと」 「………体力落ち込んでる時には、言っていい冗談と、悪い冗談があるのよ。覚えときなさい。けっこうグサッときたわ」  ははは、すこしは自覚あるみたい。  食後のほうじ茶をすすりながら、おねいが訊《き》いた。 「骨髄《こつずい》バンクのラジオCM聞いた。いつ録《と》ったの?」 「おねいが入院した次の日だったかな。局のアナウンサーの人と二時間くらいで録った」 「私には、なんの連絡もなかったわ」 「急に木戸さんから電話がかかってきたの。他にもいろいろ、台詞《せりふ》とか録ったよ」 「やっぱり木戸か……土曜のラジオはどうなってる?」 「毎日リハーサル。今度は三十分間、生で喋《しゃべ》らなきゃならないから、思いっきりプレッシャーきついんだ」 「大丈夫よ。今までだって上手《うま》くこなしてたじゃない」 「木戸さんが異常に張り切っちゃってるのよ。エグゼクティブ・プロデューサーとかで」 「たかがラジオ番組で、そんな大袈裟《おおげさ》なものが必要なの?」 「さぁ。あたしは台本見て喋るだけ。持ってるけど見る?」 「うん、見せて」  おねいはそれから一時間くらい、新番組の台本を読んでいた。  あたしは、あと片づけ。 「冷蔵庫に明日の朝ゴハンも作っておいたから、チンして食べてよ」 「うん」  今日のおねいは、どこか、しおらしい。 「そろそろ帰るから。台本、返してもらえないかな」 「あ、ごめん。もう八時過ぎだもんね」 「早く復活してね。木戸さんって好きじゃないの。あたしのマネージャーは、おねいなんだからね」 「ごめんよ。送ってやりたいけど、まだ下っ腹に力が入らないんだ」 「いいよ。おねいの運転、けっこー恐怖だもの」  おねいは財布から福沢《ふくざわ》さんを一枚、引っ張りだして、あたしに握らせた。 「タクシーで帰りなさい。お母さんに電話しておくから」 「いいってばさ。電車で帰るから」 「マネージャーの言うことを聞きなさい!」  と、強引に玄関からあたしを押し出して、おねいはドアをバタンと閉めた。でもすぐにドアが薄く開いて、怖い顔がのぞいた。 「大事なこと言い忘れたわ」 「な、なによっ」 「今日は、ありがとう」  そして、照れ隠しみたいに、 「タクシーの領収書を忘れないでよ。お釣りは返してもらうからね」  そう言うと、ガチャリとドアをロックした。  大通りに出て、おねいの言いつけどおりタクシーを拾う。シートに座ると、眠気があたしを襲う。 「お嬢さん、塾《じゅく》の帰りかい? 遊び歩くような子には見えないものねぇ」 「えぇ、まぁ」 「声がかすれてるね。のど飴《あめ》あげようか? ウチの会社、サービス強化週間なんだよ」 「はぁー、どーも」  運転手の愛想につき合うのすら、かったるい。  学校から帝都《ていと》ラジオに直行して、午後は生放送のリハーサル。これが、ここんところのスケジュールだもの、考えれば疲れて当然だ。  ちょっとしたアドリブも言えるようになって、局のディレクターからは合格点をもらってるけど、木戸さんは、もっと臨機応変《りんきおうへん》に電話をさばくようにと要求してくる。  どうしてかって? 木戸さんの言葉を借りると「これからは、小中学生も積極的に電話の相手に取り込んでいく予定」だからなの。今までも年少リスナーからのハガキは、かなりあったけど、深夜放送に小中学生を引っ張り出すわけにはいかなかったんだ。でも新しい時間帯なら問題ないでしょ。 「これまでは同級生、もしくは可愛い妹のイメージでやってきたが、その年齢層には優しいお姉さんとして接して欲しい。そうすれば新しいファン層を開拓できるし、かほりの別の面を見せられると思う」 「そんなうまくいきますぅ?」 「私は、マーケティングのプロだよ」  木戸さんは自信ありげだ。 「悩み相談の電話も計画してる。心しておいてくれ」 「そんなことってば、無理ですよ。あたしのほうが山ほど相談したいこと、あるくらいなのに」 「考え違いしないでほしい。君が答えるんじゃない! 高天原かほりが答えるんだよ。いつも言ってるだろう。かほりならどうするか考えなきゃダメなんだ!」  なんで怒られなきゃならないんだろ。  そして木戸さんは言った。 「口先で喋ってちゃダメだ。もっと表情豊かに体で表現するようにしなさい」  顔の見えないラジオで、なにバカなこと言ってるのって、あたしは聞き流してた。  どうして木戸さんが『表情豊かに体で表現』にこだわったのか、その理由がわかったのは新番組の本番直前になってからだった。 [#改ページ]    12 |虚 像《ヴァーチャル》かほりネットワークに現る  かれんの持っていた台本は、深夜枠の三十分拡大版といえる内容で、特段変わった所はなかったが、表紙に印刷されていた番組スポンサーの欄《らん》が気になった。  ○ビッグ・ウエイヴ  ○トライトン・レコード  ○|秀 映社《しゅうえいしゃ》出版  ○ソバックス・エンタープライズ  ○■■■■■■  ゲームハードのメーカーである『ソバックス・エンタープライズ』がスポンサーに加わったのは、『高千穂2』がキラータイトルに認められたからなのだろう。  解《げ》せなかったのは、第五のスポンサーが黒く塗りつぶされている事だった。  直前に降りたのだろうか。  しばらくぶりに出社した私は、統括《とうかつ》部長に復帰の報告をしがてら、詳細を聞いてみた。 「第五のスポンサーは表に出たがらないのだ。陰のスポンサーということにしておく」 「どこなのですか?」  部長は私の問いには答えず、 「『高千穂《たかちほ》2』の発売日に、全国の主要駅と病院に貼り出される予定だ」  と、一枚の大型ポスターを広げた。  絵柄は制服姿で微笑《ほほえ》みかける高天原《たかまがはら》かほり。 (世界のどこかに、あなたを待っている人がいます。私も二十歳《はたち》になったら、きっと)  ラジオスポットと同じコピーの文字。骨髄《こつずい》バンク登録推進のポスターだ。 「こっちのほうはサンプルだが、来年の夏に使う予定だ」  と、別の一枚を広げた。献血《けんけつ》を呼びかける水着バージョンのものだった。 「第五のスポンサーというのは日本赤十字社ですか? それとも日本医師会?」  部長は重々しく答えた。 「第五のスポンサーは、国だ」  って事は日本国政府? どうして……… 「高天原かほりのキャラクターを政府広報に使うことを許諾《きょだく》した。向こうから提示されたライセンス料はわずかなものだが、損な取引ではないと我々は判断した。ポスターには我が社のロゴも入る。当然マルシーマーク付きだ。国に恩を売っておくことは決してマイナスにならない。この意味、神代君《くましろ》には解るだろう?」  なるほど、部長の言いたい事は理解できた。  ビッグ・ウエイヴは開発や販売の一部セクションを別会社に移している。当然、企業所得も分散することになり、節税にもなっていた。税法に暗い私にはよくわからないが、どうもグレイゾーンのようだった。そこを昨年度、指摘され、国税局(俗に言うマルサだ)が入る一歩手前までいったのだ。何度も折衝《せっしょう》して、見解の相違《そうい》ということで、修正して申告することで決着したが、そちらの筋からは要注意企業としてマークされたと思われる。  税務署………  国に恩を売っておく………  そういうことか。 「君の耳にいれるのが遅れてしまったが、博通社《はくつうしゃ》と上層部の会議で決定した」  となると、木戸《きど》のヤツは知っていたはずだ。  私が病院で寝ている間に、『高千穂』の顔だった高天原かほりは、国の顔となっていたのだ。                     #  夜型の私には珍しく、その日は朝の五時前に目が覚めた。  雨だった。  家を出たのは六時過ぎ。近所のコンビニに寄ると、出勤前の若いサラリーマン風が予約券と引き替えに『高千穂2』を買っていった。学校が休みの土曜日に、ビッグタイトルの発売日が重なるのは偶然じゃない。授業をサボってゲームを買いに行く子供達が問題になってから、こうなったのだ。  最寄《もよ》りの駅で私を迎えてくれたのは、骨髄バンク協力を訴える大きなかほりの笑顔。すでに誰かが持ち去ろうとしたらしく、ポスターのすみが破れていた。  電車で量販店や電気街をまわると、どの店の前にも、雨の中、ワールドカップでスタジアムの開場を待っているみたいな行列があった。男の子ばかりではなく女の子も混じっている。子供に頼まれたのか年輩女性の姿もあった。  私はまだ信じられなかった。何か別の行列じゃないの? そんな気がした。 『高千穂学園2の店頭購入はここを先頭に並んでください』と書いた立て看板を見て、ようやく杞憂《きゆう》は消えた。これは間違いなく『高千穂2』の販売を待つ行列なのだ。  ハンバーガー屋の窓際の席に陣取り、まずい朝食セットには手を付けず、人の流れを眺《なが》める。待ちに待った『高千穂2』を手にいれた嬉しそうな顔が駅に吸い込まれていく。販促品のポスターや、かれんの歌う主題歌CDを持っている子もいた。今日、日本中でいくつの『高千穂2』がプレイされるのだろう。  中年の声優の正体を隠し、その娘のかれんを巻き込んで高天原かほりのイメージを守ったのも、盲腸《もうちょう》を失うまでがむしゃらに働いてきたのも、すべてがこの日のためだ。重かったプレッシャーが消え、不思議な安堵《あんど》感が湧《わ》いた。でも充実感ではなかった。ドリーム・テックで石森《いしもり》たちと一作目を完成させた時のような達成感もなかった。 「ここ、いいですか?」 「どうぞ。空いてるわよ」  隣《となり》の席にトレイを持った、高校生くらいの男の子が二人座った。 「お前、誰から攻めるんだ?」 「まずは、かほりでしょう」 「俺は最後に取っておくつもり」  二人は買ったばかりの『高千穂2』のマニュアルを出して読み始める。  会社は次にどんな仕事を私に命ずるのだろう。三作目の準備か、グッズの開発か、高千穂専従社員に変わりはないだろう。会社は儲け話に手加減をしない。掘り当てた鉱脈《こうみゃく》を最後まで掘り尽くすに決まっている。ということは、目の前のこの子達から小遣《こづか》いを吸い上げ続けるということだ。  隣の二人が横目でチラチラ私の胸元を見ている。睨《にら》み返すと、二人は慌《あわ》てて目をそらした。エロガキめ、ジャケットの上からオッパイ眺めても意味ないだろうが、と視線を落とすと、胸ポケットに一本のボールペン、原価八七円の中華人民共和国製《maid in china》で、売り値は九八〇円の高千穂グッズ。  そうか、これを見てたのか。 「あげるわよ。インク、半分くらいに減ってるけど」  ボールペンを置いて席を立つと、二人は呆気《あっけ》にとられて私を見送った。  ちょっと空虚《くうきょ》な気持ちがした。  午後遅くに出社すると、営業部には全国のコンビニチェーンからあがってくるPOSのデータが届いていた。半日だけで、二万九千本を売り上げたという。統括部長は上機嫌で私を慰労《いろう》の酒席に誘ったが、それを丁重にお断りして、午後八時前に車で帝都《ていと》ラジオヘ向かう。  今日はゴールデン枠に移って第一回目の放送日。帝都ラジオは東京ローカル局だから、比較的安い制作費で放送できるけれど、いかんせん、エリアは関東近郊だけなので全国放送とはいかない。その打開策として木戸が考えたのが、帝都ラジオと出版社のサーバーを回線でむすんで、インターネットで同時放送するという、ありがちな隠しワザだ。  確かに、この方法ならば低コストで放送(って言えるのか?)が可能だ。  http://www.Shueisha.co.jp/  このURLにアクセスすれば、日本全国はおろか、世界じゅうがサービスエリアになる。パソコンマニアの木戸らしいアイディアだが、はたしてどれだけのリスナーがアクセスしてくれるのかは、まったくの未知数だった。  新番組『高千穂学園放送部・土曜放課後クラブ』に振りあてられたFスタジオは、音楽番組の収録向けに造られたところだ。なぜそんな広い場所を使うのだろうと、いぶかしく思いつつFスタに入ると、中では二十人以上の人間が忙しく動いていた。いくらなんでも多すぎやしないだろうか。 「ちょっと痩《や》せたんじゃない?」  木戸が私に気忖いて、声をかけてきた。 「ずいぶん大所帯ね。ラジオ屋さんには見えない人もいるようだけど」 「博通社《うち》のニューメディア室のエンジニアだよ。あと、スポンサー側の人間も来てる。初めての試みだからね」 「かれんは?」 「手洗い。すぐ来ますよ」  フォ——————————ン、静粛《せいしゅく》第一のラジオ現場にはそぐわない機械の唸《うな》りがする。音の発生源は隅に置いてある、私の腰の高さくらいの角張った物体だ。見覚えあるシルエットは……CG目的に特化された|W  S《ワークステーション》! うちの開発室にあるのと同型のマシンじゃないの。 「どうしてこんなものがここに?」 「さすが神代さん、すぐに気が付いたな。ブースの中に置いたほうが作業しやすいんだが、マイクが音を拾っちまうんで、こっちに移したんだよ」 「あなた、何を企《たくら》んでるの?」  木戸が謎めかせた笑いを浮かべ、 「すぐにわかるさ」  と、言ってるところに、ドアが開いて声がした。 「あ、おねい。もう大丈夫なの?」  声に振り向いた私は、しばらくぶりに会ったかれんの姿に五秒ほど固まってしまった。  そしてやっと、口が動いた。 「……なんなのよ……そのかっこは」  かれんの顔面には無数の電極が貼り付けてあった。電極から伸びる細いケーブルが束ねられ、ポニーテール状に背中に垂れ下がっている。さらに着ていたボディスーツは指先までを包んでいて、その表面にはケーブルが血管のように這《は》い回っていた。 「……あんた、目覚める前のフランケンシュタインみたいだよ」 「思い出させないで。トイレでも鏡を見ないようにしてるんだから」  ケーブルにくるまれた、かれんが情けない声で言った。 「顔面の筋肉電位から表情をピックアップするセンサーに、上半身の動きを読みとるデータスーツです」  木戸が説明しながらブースの椅子《いす》を引いて、マイク前にかれんを座らせた。エンジニアが体じゅうのケーブルをコネクタに差し込んで、かれんをWSにつないでいく。そして最後に大型のスキーゴーグルのようなものを装着させた。 「眼球の動きをこれでセンシングします。目線がなければ表情は死んでいるも同じですから」  放送時間が迫り、私と木戸はブースから副調整室《サブ》に移動した。 「映像出して」  木戸がエンジニアに命じ、20インチのディスプレイに高天原かほりのバストアップサイズのCG画像が現れた。 「最終チェックいくよ。右手を上げてジャンケンしてみよう、ジャンケン、ポン」  かれんが木戸の声にあわせてハサミを出すと、モニタのかほりも同じようにチョキを出した。 「OKだ。次は表情チェック。小首を傾《かし》げて笑ってごらん」  かれんが微笑むと画面のかほりも微笑む。ご丁寧《ていねい》にも、かほりの頬《ほお》には愛らしいエクボが浮かんだ。 「アイポイントのアジャストするよ。カメラ目線をちょうだい」  ブースの壁には仮想のカメラ位置がマークしてあった。かれんがそこを見ると、モニターのかほりがジッと私を瞶《みつ》める。瞬《まばた》きのリズムまで、かれんと生き写しだ。 「よし、最後はリップシンクのチェック。毒島《ぶすじま》君、何か喋《しゃべ》ってみて」 「あ、い、う、え、お。私は高天原かほりです。神代のお母さま、お久しぶり。こんな優等生に私を創ってくれてありがとう。でも毒島かれんは、えらい迷惑してますのよ」  かれん精一杯の皮肉だったが、私にはジョークに聞こえなかった。モニターの中には、生きた高天原かほりがいた。  かれんの声でにこやかに私に話しかける高天原かほりが、そこにいた。 「この映像を音声といっしょにインターネットで流すのです」  木戸は誇らしげに言った。 「いつの間にこんな事を……開発費だって億単位はかかってるんじゃないの?」  私だって文科系とはいえ、開発課に籍を置く人間だ。こんな高度なリアルタイム処理CGシステムが、一朝一夕《いっちょういっせき》でできるはずもない。 「前に言いませんでしたかね、博通社がCGで動くバーチャルアイドルを仕掛けたことがあると。その時、開発したモーションキャプチャシステムを、ちょっと改良したんです。こんな事に使えるとは思ってもみなかった」 「本番五分前。皆さん、準備お願いします」  ディレクターの声に壁の時計を見ると、八時二十分だった。 「五分もサバ読んでるじゃない。八時半からの放送でしょ?」 「インターネットのほうは、ラジオの五分前から放送開始なんです」  技術スタッフがブースから出るのと入れ違いに、二十歳《はたち》くらいの娘が中に入って、かれんのはす向かいに座った。彼女にも専用のマイクが置かれている。 「あの子は?」 「俳優養成所の研究生で声優もやってる娘です。放送部の部長という設定で声だけの出演です。構成作家と相談して、インターネット放送だけのディレクター役を創りました」 「私が読んだ台本には、そんなの無かった」 「あれはダミー。この放送は極秘のプロジェクトだから」  八時二十五分ジャストに、ディレクターのキューでインターネット放送が始まった。  モニターには、誰もいない『高千穂学園』の放送室が映っている。 「かほり、そろそろブースに入ってよ」  これは部長役の声優の台詞《せりふ》。 「はい、部長」  と、かれんが答えるのに合わせて、画面に現れたかほりがマイクの前に座る。  エンジニアがキーボードを叩いて、かれんとWSを直結させた。この瞬間から、モニターの中の高天原かほりは、かれんの影法師《かげぼうし》となった。いや、かれんのほうが、かほりの影と言うのが正しいのかもしれない。 「緊張しちゃうな」  と、かれんが相手役の声優を見ると、画面のかほりも、フレームの外にいるはずの放送部長に目線を向ける。 「だいじょうぶ。いつも通りにやろうよ」 「うん。あ、え、い、う、え、お、あ、お」  ケーブルだらけのかれんが、発声練習をしながら背筋を伸ばして、こめかみをマッサージする。そのデータがWSをくぐると、本番前の緊張に少しでもリラックスしようとしている高天原かほりの画像に化けた。 「いいぞ。順調だ」  木戸がうなずいた。  ラジオ放送四十五秒前に本物のディレクターが部長役の声優にキューを出した。 「かほり、そろそろ三十秒前よ」 「はい部長」 「かほり、十秒前………5、4、3、2…」 『高千穂』のテーマが流れラジオの本放送が始まった。  画面のかほりがマイクカフを倒し、かれんの声で話す。 「今晩は。二年D組の高天原かほりです。今日から新しく始まった『高千穂学園放送部・土曜放課後クラブ』。みなさん九時までお付き合いくださいね。この放送は電脳部の協力でインターネットでも同時放送しています。接続できる人はアクセスしてみてください。Eメールも受け付けてます。アドレスはhttp://www.………ファックス番号は………」  かれんは、大汗をかきながら動き、笑い、時には唇《くちびる》をとがらせたり、困惑の表情を見せながらトークする。ラジオが曲を流している間も、インターネット放送のかほりは、紅茶でのどを潤《うるお》しながら部長と話をしていた。 「かほり、曲あけたら、電話にするわよ」 「誰にかけようかな」 「かほりに任せるわ」 「はい部長」 「今、TVでやってたけど、4対5で巨人がサヨナラ負けしたって」 「ふーん」  生放送を裏付ける情報をさりげなく織り込むのは深夜枠を踏襲《とうしゅう》していたが、電話のほうは、かほりからコールするように改められ、相手はインターネットと電話を同時に使えるブロードバンドユーザーのリスナーから選ばれていた。 「もしもし、小林《こばやし》君のお宅ですか。私、高天原といいますが、正樹《まさき》君はいらっしゃいますか?」  ——僕です。 「正樹君、はじめまして。ラジオ聞いててくれた?」  ——はい。 「正樹君は、長崎《ながさき》の人だから、インターネットね」  ——そうです。 「じゃ、私のこと見えてるんだよね」  画面のかほりは、九州《きゅうしゅう》のリスナーに向けて、にこやかに手を振った。  ——……………。  かほりが自分に電話して微笑みかけてくれている、その現実感にリスナーは声を失う。でも場数を踏んだかれんは慌てない。 「どうしたの? 急に黙っちゃって」  ——あ、は、はい。 「ふふ。おかしいね、小林君って」  周到なリハーサルのかいあって、ラジオは無事、定刻に終わった。インターネットのほうはラジオ終了後も、かほりと部長の次週予告を兼ねた反省会を数分間流して、かほりが席を立つ画像とともに九時過ぎで終了した。  パーソナリティーと高天原かほりの|振り付け師《コリオグラファー》役を終えたかれんは、汗だくでヘトヘトだ。スタッフが暑苦しいスーツを脱がせて電極を外すと、上気した体から湯気が立ちのぼった。 「ご苦労様、かれん」  ねぎらいの言葉が自然と出た。 「ん——」  生返事を残して、半導体で造られたバーチャルアイドルに命を吹き込んだ、現実世界の女子高生はシャワー室に消えた。  校内放送を模《も》したラジオ番組と、その仮想の舞台裏を見せるインターネット放送。木戸が仕掛けたのは二重構造の虚構《きょこう》だったのだ。 「いきなりで驚かせたかな」  木戸は成功に鼻高々だ。 「この大仕掛けにいくらかかったの? スポンサーがよく納得したものね」 「説き伏せるまでちょっと手間取ったけど、こういうことだよ」  と、木戸が自分のノートパソコンでアクセスしたインターネット放送の|H P《ホームページ》には、複数のリンクが張られていた。『購買部』と書かれたポイントをクリックすると、画面は高千穂の関連商品を紹介するスポンサーのHPに跳んだ。そこに併設されたオンラインショップには、ネットでしか手に入らない限定グッズがズラリと並んでいる。 「ラジオのCMなんて、真面目《まじめ》に聞いてるヤツなどいないトイレタイムだ。しかしインターネットで聞いているリスナーは、これらのHPにもアクセスして、きちんとスポンサーのメッセージに目を通す。番組内でうまく興味を持たせれば、オンラインショップで衝動買いさせることもできる。こんな理想的な広告|媒体《ばいたい》は他に考えられないよ」 「でも、ラジオリスナーが、必ずしもインターネットを使えるとは限らないでしょう」 「その通り」  木戸はしたり顔でうなずいた。 「ゲーム機メーカーのソバックスが、なぜスポンサーに加わったか解るかい?」 「『高千穂2』がキラータイトルだからでしょうよ」 「それだけの理由で高いスポンサー料は出さないよ。企業とは儲《もう》けにならない話には耳を貸さないものだ」  木戸は物知らずをたしなめるように、私に言った。 「でも、『高千穂2』が一枚売れれば、ソバックスに九七二円が自動的に落ちるのよ」  ソバックスは赤字覚悟の価格設定でゲーム機を売っている。ソフトが売れるたびに入るライセンス料で利益をあげるのだ。 「『高千穂2』が売れるのは前からわかっていることで、ハードメーカーのソバックスが、わざわざ宣伝の後押しをする必要はどこにもない」 「確かに、理屈だわね」 「『高千穂2』が動くゲーム機は、別売のモデムを装着するとインターネットに接続できるようになるのを知ってるだろう?」 「そういえば、そういう機能もあったわね」 「この放送が話題になれば、その販促になるからだよ。それに対応するのはソバックスが運営するプロバイダー。接続料金もソバックスの懐《ふところ》に入る」 「そう言って口説《くど》いたのね。お見事としか言いようがないわ。さすがね、あなたは」  完璧《かんぺき》な仕込みだった。 「神代さんにほめていただけるとは光栄だな」  木戸が『掲示板』のポイントをクリックすると、政府の公共広告HPに跳んで骨髄《こつずい》バンク協力を訴えるかほりがカラー液晶の画面に浮かんだ。 「世界のどこかに、あなたを待っている人がいます」  ささやくように語りかけると、仮想世界に住む美少女は優しく微笑んだ。                     #  局の玄関前に数名のファンが待っていると警備から連絡があったので、正面を避けて地下駐車場の裏出入り口から車を出した。シャワーから上がってスウェッ卜姿のかれんをファンの目に晒《さら》すことはできなかったからだ。 「お腹すいたでしょ。何か食べていこうか?」 「ううん。おかあが用意して待ってるから。それにこのなりじゃ、どこへも行けないよ」 「そうね。じゃ、まっすぐ送ったげる」 「家からシャンプーとリンスとボディソープ持ってこなきゃ。局に備え付けのは合わないもの」  かれんの生乾きの髪からシャンプーの匂いが香った。助手席の窓を流れる都心の景色をぼんやり眺めながら、ポツリともらした。 「かほりに、なれてたかな……」 「なってたわよ。パーフェクトにね」 「そう」  かれんがふっと笑った。 「どうしたの?」 「いつの間にか、私がなっちゃったんだと思って、ウルトラマンの着ぐるみの人に」 「でも、あなたが顔出しするのは、ぜんぜん反則じゃないわ」 「そうなのかな……」  次第にかれんは言葉少なになり、家の前で車を停《と》めたときには小さな寝息を立てていた。幼さの残る寝顔には、電極を貼った跡がくっきりと残っている。 「お疲れさま。着いたわよ」  軽く肩を揺する。  かれんは目を擦《こす》りながら車を降りた。 「送ってくれてありがとう。今日は疲れちゃった」  私には、その声が高天原かほりに聞こえてしかたなかった。                     #  インターネット放送は回を追う毎《ごと》に評判となり、接続できる環境にないリスナーの購買欲に火を点《つ》けた。ゲーム機につけるモデムは軒並《のきな》み品切れとなり、マレーシアにあるソバックスの工場では昼夜三交代で増産された。プロバイダーの契約数もうなぎ上《のぼ》りだ。  人気に応えるように、高天原かほりは土曜の夜、三十分だけネットワークに姿を現す。毎回変わる衣装デザインにはスタイリストがついていた。回を重ねるたび、エンジニアとかれんの努力で、かほりの表情は豊かになっていく。ジョークには手を叩いて笑い転げ、年下のリスナーには姉の優しさを見せた。『泣ける話』にかれんが咽《のど》をつまらせるのに合わせて、オペレーターがボタンを押すと、かほりの頬には一筋の涙がつたった。  関連商品は順調に売り上げを伸ばし、大きな収益をスポンサーにもたらした。木戸の敷いたレールの上を、ファンがお金をばらまきながら追いかけて来たのだ。  骨髄バンクヘの問い合わせも相次いで、ドナー登録する若者が急増。二十歳以上の年齢制限で登録できない子達も多かったらしい。  この社会現象をマスコミはこぞって取り上げ、バーチャルアイドル高天原かほりの名は、ゲームファンのみならず、一般にも知られることとなった。  突然変異とも言うべきこの人気に慌てたのは、とうの版権者、ビッグ・ウエイヴ自身だ。今後の高千穂戦略が急いで検討されたが、どうあっても金の卵を産む鶏《にわとり》の腹を裂くようなことはできない。となると、出てくるプランも当たり障《さわ》りのないものになった。  さしあたり、続々編『高千穂3』のゲーム開発と、他のキャラ達の深夜枠でもインターネット放送を早急に実施することに仮決定して、博通社に打診《だしん》された。  会議に呼ばれて、開口一番、 「賢明《けんめい》とは思えませんね」  との木戸の発言に、同席した管理職達は出鼻をくじかれ、表情をくもらせた。 「どうしてかね。ベストとは言えぬまでも、妥当《だとう》なプランとは思うが」  不快感を露骨《ろこつ》に統括部長が尋《たず》ねた。 「新人の声優を起用したことが、『高千穂学園』成功の一因と、私どもは分析しています。耳に新しく、手垢《てあか》の付いていない声が、キャラクターと結びついた結果、ユーザーが架空の人物にリアリティを感じたのです。しかし今現在、その条件にあてはまるのは、高天原かほり一人です。インターネット放送をしても、他のキャラクターが同じように人気を集めるとは思えません」  一作目の発売から約二年。その間にかれん以外の|C   V《キャラクター・ボイス》達は、『高千穂』を踏み台に人気声優として世に出た。今では声の仕事のみならず、顔を出してのライブステージなどにも活動の場を広げ、『高千穂』キャラのイメージに直結するとは言い難い状況になっていたのだ。 「新たなゲーム開発には少なくとも十七カ月を必要とするでしょう。発売の頃には三十代になる声優もいます。三十と言えば、若い世代からは、もうオバさんとみなされる年齢です。いま一度、思い起こしていただきたい。何故《なぜ》、高天原かほりのCVを秘密裏《ひみつり》に交代させたかを」  ビッグ・ウエイヴ側は反論できなかった。 「しかし、『高千穂』のネームバリューでまだ稼《かせ》げるのではないかと思うのだが」  統括部長が社を代表して木戸に言う。 「私は、『高千穂学園』というゲームは、第一作で既《すで》に完成していたと考えています。似たような内容の反復では、飽きっぽいマーケットの支持を維持できません。そうならないためにはキャラクターを一新する必要があると思います。どうしても現行のキャラクターに拘泥《こうでい》するなら、教育実習に来る学生、いや、いっそ母校の教師になった、という設定にでもするしか手はないでしょうね」 「では、どういう方針でいけば良いのかね」 「高天原かほりを『高千穂学園』から切り離していただきます。皆さんが考えているより、彼女は既に大きな存在です。単なるゲームのキャラクターではなく、一つの人格を持ったタレントと考えていただきたい」  それを裏付ける資料として木戸が示したのは、年代別の好感度タレント調査結果、シングルCDの売り上げチャート、|T D C《トレーディングカード》の人気ランキング等々。いずれの上位にも生身のタレントを押さえて高天原かほりの名があった。さらに、 「これは繁華街《はんかがい》の電話ボックスで集めたものですが」と、何枚も並べてみせたのは、かほりのイラストが無断で使われている風俗店の名刺大チラシだった。 「この手の物にまで浸透《しんとう》しているということは、高天原かほりの持つ商品価値の高さを示す証《あかし》でもあります」  統括部長は末席の私に言った。 「神代君、この件に最初から関わってきた君の意見は?」  私は、チラリと木戸を見て発言した。 「我が社はコンピューターを操《あやつ》るのには長《た》けていますが、残念ながら市場を操る事はできません。ましてやバーチャルアイドルの経験もありません。CV交代から現在まで、博通社のサジェストによってプロジェクトが成功裏に進んできたのは事実ですし、木戸氏の提案は的《まと》を射《い》ていると思いますが」  私の意見で管理職が腹を決めた感触があった。  木戸の目尻に満足げな笑みが走ったのを、私は見逃さなかった。  会議の結果、改めて高天原かほりは、ビッグ・ウエイヴの著作物(所属タレントか?)と確認のうえ、  ○プランニングとプロモーションは、博通社に一任し、代行させる。  ○ぶすじま・かれんには、オフィス・ミップスとの取り決め通り、これからも、かほり以外   の仕事をさせない。  ○ビッグ・ウエイヴ側の担当、及び、かれんのマネージメントは、引き続き神代美代子が務   める。  との結論に達した。  日を置かずに、高天原かほりプロモーションのため、ビッグ・ウエイヴ内に分室が設けられて、私の仕事場はそこに移った。  まず木戸が速《すみ》やかに決定したのは、他の『高千穂』キャラとの差別化だ。すぐにビッグ・ウエイヴから、かほり単独のゲームタイトルの開発が発表されたが、木戸の指摘したとおり、開発には時間が必要だった。短期間で市場に投入できる商品が求められた。企画会社から『高千穂』のアニメ化案がいくつか寄せられていたので、 「かほりのプロモーションビデオを作らせてはどうかしら?」  そう木戸に言ってみたが、 「そんな、くだらない物にかほりを使う気はないね」  と、私の考えには見向きもしない。  その木戸が出したのは、高天原かほりのCD付き写真集というプランだった。 (偉そうなこと言って、えらく月並みじゃないのよ)と、私は思った。 「写真集といっても、イラストでしょ?」 「いや、誓って写真集だよ」 「?」  木戸が考えていたのは、よくあるゲームキャラクターのイラスト集などではなかった。私が初めに設定したかほりのプロフィールは、生年月日とスリーサイズ、可愛くて真面目な優等生で、趣味は音楽鑑賞。その程度の簡単なものだったが、木戸はそのトリビアルな再構成を狙っていたのだ。  出来上がった試作品の装丁《そうてい》は、写真を貼る家庭用アルバムを模して徹底的にリアル指向で造られていた。高天原家のアルバム、つまりは写真集というわけだ。付属のCDに録音された、かれんの一人語りを聞きながら、ページをめくるようになっている。 『一九八×年の三月三日。雛祭《ひなまつ》りの朝に三一七〇グラムで、私は生まれたの』  一ページ目は生まれたばかりの新生児のかほりだ。 『あんまり見ないでよ。恥ずかしいじゃない……』  ビニールプールで遊ぶ裸のかほりには、そんな台詞がつけられていた。  千歳飴《ちとせあめ》を持って両親と一緒の七五三、幼稚園、小学校の入学式や運動会、家族旅行、日常のスナップと、かほりの成長とともに。ページは続き、かれんの声は想い出を語る。  目新しいのは、一人っ子とされていたかほりに、実はハンサムで成績優秀、スポーツ万能な三つ年上の兄がいた、との設定が追加されていたことだ。 「こんな兄貴、いつできたのよ」 「先を見ればわかるよ」  木戸が例の薄笑いを浮かべて言う。  幼少期が過ぎると、仲の良い兄妹のスナップが何枚も続く。 『やきもち焼いちゃダメよ。私の大好きなお兄ちゃんなんだから。この写真は海でお兄ちゃんが泳ぎを教えてくれてね、はじめて足の着かないところにいって……』  兄との楽しいエピソードがしばらく語られ、 『お兄ちゃんは、女の子に人気があったから、私も、やきもち焼いたことあったのよ。私だけのお兄ちゃんでいてほしいってね、……そんなお兄ちゃんが……』  突然、かれんの台詞が途切れて、音声にかすかな嗚咽《おえつ》が混じる。  ページをめくると、兄の遺影《いえい》を持ったかほりの白黒写真が現れた。喪服《もふく》の両親に挟まれて中学のセーラー服を着た、その表情は暗く沈んでいる。対照的に遺影の兄は『高千穂学園』の制服を着て笑っていた。かほりの兄は高校二年で病死していた、らしい。 「へぇー、かほりの生い立ちってこうだったの。ひょっとして兄貴の病名は白血病? それとも再生不良性貧血かしら? だから骨髄バンクのPRしてるって言いたいわけ?」  私は冷やかし半分に言った。 「考えたけど、そこまでやると、あざとすぎるような気がして、やめた。裏設定として雰囲気だけは残しておいたがね」 「このままでも十分あざといわよ。たとえ作り事の世界でも、無闇《むやみ》に人を殺すのは感心しないわね。そうやって幼気《いたいけ》な男の子の涙腺《るいせん》を刺激しようなんてやり口、あまりほめられたものじゃないわ」 「彼女は自分でも気付かないうちに、完璧だった兄の面影をプレイヤーに求めていたのさ。高望みで嫌な性格ではなく、ブラコンだったんだ」 「ブラコン?」 「ブラザー・コンプレックス。心理カウンセラーとも相談して、決めた」  かれんが以前、かほりを評して『頭脳も運動も容姿も、三拍子|揃《そろ》っていないと相手にしない嫌なやつ』と評したことがあった。そういう視点から、高天原かほりを嫌うゲーマーが、少数ではあるがいるのも事実だ。写真集で木戸が仕掛けたのは、その不満に対する返答だったのだ。笑顔の裏に隠された悲しい過去というのは、昔からヒロインの必殺ワザでもある。  写真集の最終ページは、かほりの『高千穂学園』卒業の写真。  CDのほうは、 『だからあなたには、いつまでも元気で、いつまでも私のそばにいてほしいの』  と、ユーザーの琴線《きんせん》に触れる、最もあざとい台詞で締めくくられていた。 「こういう物こさえてて、こっ恥《ぱ》ずかしくならない?」 「今の若い世代は、『世界観』という言葉をよく使うが、言い換えれば、絵空事《えそらごと》にも細かい設定が要求されるということだ。そのニーズに応じて商品を作っただけだよ」  きわめて事務的に木戸は言った。  そして「売れるよ、これ」と、つけ加えた。  定価四三〇〇円。革張《かわば》りの豪華装丁版は、五六〇〇円。共に税別。いくらラジオでとりあげるからといっても、こんな高価な本がそう簡単に売れるはずはない。  と、思った私は素人《しろうと》だった。  初版は数日で完売。すぐに増刷が決まり、発売日をずらして投入されたCDロム版も高セールスを記録した。両方を購入したユーザーもかなりの数いたことが、返送されたアンケートハガキの分析から明らかになった。これだけ単価の高い本が多量に売れるのは、出版業界でもかなりの事件だったようだ。  ラジオでかほりが亡き兄の想い出を語ると、聴取率がまた伸びた。木戸が創作した新たなプロフィールは、架空の少女にさらなるリアリティを与えたのだ。 「すこし、かほりが前に出すぎてるな。毒島君にも光をあてなきゃ」  木戸はデータを検討して結論した。 「私は、あの子を、これ以上巻き込みたくないわ」 「毒島君がいたからこそ、今の成功がある。彼女がいなければ、高天原かほりなど、単なる絵空事だ。そうだな、活字のメディアが良いだろう。彼女の声はラジオとゲームでしか聴けないからこそ値打ちがあるんだからね」 「アニメ誌、ゲーム誌、声優専門誌、雑誌取材は、全部、断ってきたのよ。今さら、こっちから声をかけても、来やしないわ」  私は、かれんの日常を乱したくなかったのだ。 「その方針は正しいよ。そんな、げすな雑誌に彼女を出す気などない」 「え? でも活字メディアって……」 「目星はもうついている。僕は毒島君をそこいらの声優と同じには考えていない」  木戸はそれ以上を語らなかった。 [#改ページ]    13 ぶすじま・かれん≠毒島かれん  チ—————ン、  朝っぱらから仏壇《ぶつだん》の鈴《りん》がひびく日はろくな事がない。せっかくの日曜。昨日はラジオで疲れてるんだから、静かに寝かせておいて欲しいのに。 「かれん、おはよう」  おかあが、仏壇に新聞を供《そな》えてた。 「おまえも、かなり役者になったわね。駅に行って、旭日《あさひ》新聞、五部ほど買ってくるわ」  そう言うと、機嫌良くサンダルひっかけて出ていった。  あ、そういえば今日だったんだ。この前、旭日新聞に取材されたインタビュー記事の掲載日。あたしとしては、いっしょに撮られた写真のほうが気になる。  えーとたしか日曜版のほうだよね。お、かなりデカイ扱いじゃない。写りは、まぁ良いかな。どれどれ記事のほうは……  ぶすじま・かれん、と聞いて、ピンと来る読者は少ないだろうが、ゲームから生まれた話題のバーチャルアイドル、高天原《たかまがはら》かほりを担当する声優と言えば、声が浮かぶ人は多いだろう。指定されたインタビュー場所はラシオ局の喫茶室。約束の時間より少し早く制服姿の女子高生が記者の前に座った。実は、ぶすじまさん、自ら演じる高天原かほりと同じ現役の高校生なのだ。  ——ラジオが評判てすね。 「かほりちゃんは人気がありますね」  ——でもあなたが……… 「え? 違うんですよ。あれは、かほりちゃんが話してるんです。声は私によく似てるみたいですけど(笑)」  ユーモアのある人のようだ。  ——どんなきっかけでこの世界に? 「児童劇団に入っていた、とかじゃないんです。スタジオ見学に行って、ふざけてマイクの前で喋《しゃべ》っていたら、偶然、ゲームメーカーの人が聞いていたらしくて、それで」  ——経験はなかった。 「はい。だから私、声優と呼ばれるのには、すごく抵抗あります。プロの声優さんって、それはもう、すごいんです。いろんな人を演じ分けちゃう。私のは、ただ地《じ》で喋ってるだけで」  ——でも、高天原かほりと言えばあなたの声ですよ。 「初めは仕事という感覚がなくて、遊びの延長っていうのか。ゲーム音声の収録って、発売のかなり前なんです。一回こっきりのことだったし、忘れてたんですよ。かほりちゃんが人気者になったって聞いても、それ誰? なんて感じでした(笑)」  ——今や、飛ぶ鳥を落とす勢いですね。 「友達にも学校にも秘密だったんですけど、そうもいかなくなって。今はみんな応援してくれています」  骨髄《こつずい》バンク推進キャンペーンのキャラクターに高天原かほりが起用された途端、若い世代のドナー登録が急増したのは記憶に新しいと思う。インタビューを申し込んだのは、その件に、ぶすじまさんが深く関わっていると聞いたからだ。 「リスナーさんで長期入院してる人がいたんです。お見舞いに行ったら骨髄移植を受ける予定の同い年の男の子でした。私が三歳の時、父が骨髄性の白血病で亡くなっているんです。その頃はバンクがなくて、兄弟にドナーが見つからなければ、諦《あきら》めなきゃならない時代でした。お見舞いに行った時、父をふっと思い出してドナー登録に行ったんです。でも、登録できるのは二十歳《はたち》からで、私は、まだできなかった。そんな話を人前でする機会があったんですが、それを聞いていた方がいて、かほりちゃんをキャンペーンにという話が決まったそうです」  ——今も若い世代のドナー登録は伸びているそうですね。 「私も含めて、若い人達って、無関心とか、利己的とか言われます。でも、違うと思うんです。考えてはいるけど、行動に移せないだけじゃないかなって。みんなが最初の一歩を踏み出すきっかけになれたとすれば嬉しいですよね。もう十五年早かったら、お父さんも、と考えるとちょっと残念な気もしますけれど」  ぶすじまさんの大きな瞳《ひとみ》に、かすかに涙が滲《にじ》んだように見えた。 「あ、私も二十歳になったら必ずしますよ。言い出しっぺが責任とらなきゃ、いけませんよね」  茶目っ気たっぶりに笑う。表情豊かな人だ。  ——今後も声優を続けるのですか? 「うーん、どうでしょう。そろそろ高三だから進路も決めないといけないんですけれどね。かほりちゃんとは、ずっと仲の良い友達でいようとは思っています」  ぶすじまさんから、紙面を借りてリスナーに伝えたいことがあるそうた。 「前の番組は深夜だったんですけど、本当は私の回だけ生じゃなくて、録音だったんです。電話は、家に回線を引いてもらってやってました。みんなを騙《だま》してるようで嫌だったんですけど、ラジオで言うわけにもいかなくて気になってたんです。でも、時間が移った今は正真正銘の生放送ですよ」  リハーサルの時間がきて、ぶすじまさんは爽《さわ》やかな笑顔を残しスタジオに消えた。 �いろんな人を演じ分けるプロの声優�ではなく�地で喋る�彼女に高天原かほり人気の一端を見た思いがする。  いまどきの、という言葉があてはまらない清楚な雰囲気の女子高生だった。  しっかりした自分の意見を持っている若い世代が確実にいるのを実感しつつ、カメラマンとラジオ局をあとにした。  なんだかなぁ————。  この記事に載《の》ってるのは誰のことだ? 『しっかりした自分の意見』は、木戸《きど》さんが作ってくれた、想定される質問の模範解答だし、 『清楚な雰囲気』は、例の十六万円する特注品の制服のおかげ。 『滲んだ涙』は、偶然コンタクトにゴミが入っただけのこと。  これを読んだ人は、あたしをかほりと同じ「まじめな良い子」と思うだろう。  学校の友達には「ぶすがよー、なに、かっこー、つけてんだかなー」って、笑い話として好評だったし、近所に買い物に行くと「偉いねぇ。お母さんの代わりかい?」なんて、オマケしてくれることが多くなった。  でも良いことはそれくらい。  インタビューの予行演習の時、木戸さんは、「新聞は真実を載せるものなんかじゃない。新聞に載ったことが真実となるんだ」と、言ったけど、変化はすぐに表れた。学校の周囲にカメラを抱えた若い男の姿が目につくようになったんだ。うちの学校は女子校だから、男がうろつくと、かなり目立つ。生徒にはタレントなんていないから、お目当てはあたしに間違いない。おねいも、これには責任を感じたらしく、時間の許す範囲で車で送り迎えをしてくれた。そうじゃない日には、メガネをかけて髪型を変え、自転車で校門を突っ切るようにして登下校するハメになった。誰かに見られているような気がして、絶えず人目を気にするようにもなった。冬休みは家にこもって過ごしたけど、事務所とビッグ・ウエイヴから回送されてきた年賀状を見て、あたしは腰を抜かした。去年までは、お年玉年賀ハガキの当選番号をチマチマ見るのが密《ひそ》かな楽しみだったけど、今年は一人で見ることのできる数じゃなかった。  かほりと共に、ぶすじま・かれんの名が一人歩きしていってる。  そんな日々を繰り返すうち「ぶすじま・かれん」ではない、あたし、「毒島《ぶすじま》かれん」は三年生に進級し十七歳になっていた。                     ※  ラジオ局に、番組のファンが集《つど》うのは珍しくない光景だけど、あたしの放送がある土曜夜の帝都《ていと》ラジオ正面玄関前はちょっと様子が違う。ノートパソコンを抱えた連中が座り込んでインターネット放送を聞いて(見ても)いるんだ。最初は数えるほどだったけど、インタビュー記事が出てからは確実に数が増えて、今では数十人という日もある。局前にあるグレーの公衆電話は、パソコンを繋《つな》げたファンが占拠《せんきょ》して、開かずってゆーか、空かずのボックスになっちまうんだ。  彼らには、あたしがスタジオの中でサウナスーツみたいな服を着て、汗だくで喋ってるのは、ナイショの超極秘。ケーブルお化けのあの姿をファンが見たら、かほりや私のイメージが地に落ちるのは確実だからね。  ごわごわしたスーツを地肌に着てテンションを上げて喋るのはかなりバテる。それに問題のデータスーツは、何週間分ものあたしの汗を吸い込んでいて、メチャクチャ臭《くさ》い。洗ってと頼んでも、デリケートなセンサーが付いてるから、洗うのはおろか、水に浸けることすらできないんだって。以前だと放送が終わったら汗と臭いをシャワーで流して、ジャージなんか着て、さっさと帰ってたけど、今じゃファンの目があるからそうもいかない。シャワーから上がったら、まず蒸《む》しタオルで顔についたセンサーの跡を消す。おねいにドライヤーをあててもらってヘアを整え、ファンのイメージを裏切らない服に着替えて、車の後部座席に座る。おねいは車をゆっくり動かし、正面玄関の前を横切る。あたしはニッコリ笑ってファンに手を振る。窓を開けて言葉を交わすことは厳禁。あくまで、あたしの声は高天原かほりの所有物なのだよ。手渡しできないから、ファンはプレゼントを局の受付に預けてく。はじめの頃は自分でお礼を出してたけど、数が増えて手に余るようになってからは、スタッフがあたしの筆跡《ひっせき》を真似《まね》て書いてくれている。それを大切に持ってる人には申し訳ないけど、だましと仕込みだらけの『高千穂《たかちほ》』ワールドにどっぷり浸かってるうち、良心の呵責《かしゃく》も、あんまり感じなくなっちゃった。環境って恐ろしいよね。                     ※  今日も放送を終えて、おねいの車が局を離れたのは午後十時近くだった。聞こえないのを良いことに「お前らって、ホントに暇《ひま》よねー」と言いながら、ファンに手を振ると、 『ぶっすじまー』の大声で、あたしを見送る。単純なやつらだ。  ひと仕事終えてやれやれと、車のシートに沈み込んだ。助手席には木戸さんが乗って、おねいと、かほりのスケジュールを打ち合わせしている。  木戸さんと話しながらも、おねいはルームミラーから目を離さない。 「どうしたの?」 「局からずっとバイクがついてきてるのよ」 「気のせいじゃないのか?」  木戸さんはサイドミラーを見た。 「違うと思うわ。私がウインカーを出したあとで、同じ方向に曲がるもの」 「ストーカーかしら?」 「かもね。振り切るわ」  おねいは、わざと左にウインカーを出して交差点の直前で右に急ハンドルを切る。  キキッとタイヤが鳴った。  バイクも私達のあとをついてきた。 「見てなさい! かれん、シートベルト締めてるわねっ?」  エンジンが甲高《かんだか》く回って、車は警察には言えないスピードに加速した。おねいは右に左に車線を変えて振り払おうとするが、ひとつ目のへッドライトは遅い車をぬって追ってくる。見た目は普通の小型国産車だけど、おねいの愛車は「ポルシェなんか相手じゃないのよね」という性能らしくて、自動車部OGのおねいだって、雨の高速でもくわえタバコに鼻歌で150キロの人なのだ。  あたしは、おねいの運転に慣れてるけど、 「神代《くましろ》君、危険だよ、警察に電話を……」  と、携帯に手を伸ばした木戸さんは、指が震えて、プッシュできない。  バイクは、あたしが座ってる側を併走《へいそう》した。乗っている男が片手でカメラを構えて、こっちに向ける。 「させるもんですか!」  おねいがアクセルを踏み込んで引き離そうとするが、バイクはピタリとくっついてくる。  メーターの針は軽く130を振り切ってた。 「こいつ、イカレてるわ」  不適切な言葉だなぁ、おねい。  せめて「この人、普通じゃない」に言い換えないと放送できないよ、などと思う程度に、あたしは冷静だったが、木戸さんは顔面|蒼白《そうはく》で言葉もなかった。 「ダイアナ妃《ひ》みたいだね、かれん」  おねいが、さらに恐ろしいことをすんなり言う。 「やめてくれぇー」  木戸さんが絶叫した。 「大丈夫よ。助手席のボディガードは生き残ったんだから」  木戸さんは完全に沈黙して硬直しちゃった。車内には金属的なエンジン音が流れ込む。  が、逃げつ追われつのカーチェイスは突然終わった。夜の道路工事が進路を塞《ふさ》いでしまったんだ。車が停《と》まると、すかさずバイクから男が降りて、バシャバシャあたしを撮った。フラッシュが痛いくらいにまばゆい。 「こいつ、何様のつもりなのよっ!」  怒りがみなぎった。 「かれん、降りちゃ駄目よっ!」  おねいは制止したが、キレたあたしは飛び出して、カメラのレンズを手で覆《おお》っていた。 (ばっきゃーろー、おめー)  言いかけた言葉が咽《のど》につかえた。  しくった…………と思った。  相手は一八〇以上のガタイで、木戸さんなんかボディガードにならないような大男だったのだ。黒いバイザーの奥にある表情は見えないから、よけいに恐ろしい。 「かれん、早く乗りなさいっ!」  背に刺さったおねいの叫びに押されて、咽につかえていた言葉がポロッと外に出た。  でも、その声は、あたしじゃなかった。  自分でも驚いたことに、高天原かほりのものだったのだ。 「……もうやめて」  大男の肩がピクンと震えて、静かにカメラを下ろした。  すごい! あたしの声ってすごすぎる! 「顔を見せて」  かほりの声で言うと、男がバイザーを上げた。メットの中から、街なかで肩でも触れたら半殺しにあいそうな、凶悪っぽい二十代の顔が現れた。  でも、あたしはビビらない。自分には、かほりがついている。 「どうしてあんな危ない事するの」 「…………」  年上の大男に、姉のように言ってやった。 「人に迷惑かけるようなこと、やめようよ」 「………………」  言葉のボディブローは、かなり効いてるみたい。そいじゃ、これでトドメだ。 「あなたがケガしちゃったら、どうするのよ」 「……………………ご、めん」  大男はそれだけ言うのがやっとだった。 「毒島君、フィルムを」  木戸さんが、車の中から恐る恐る言った。 「フィルムを渡してちょうだい」 「…………でも」  大男はしぶったけど、 「かわりに握手しよ、ね」  と、腕を伸ばしたら、男はおずおずとあたしの手を握り、カメラからフィルムを出した。 「……………悪かったよ」  大男はフィルムを手渡すと、バイクにまたがり猛速で走り去っていった。 「一時はどうなることかと思った。僕はここで失礼するよ」  木戸さんが、蒼《あお》い顔で車を降り、反対側から来た空車のタクシーを止めた。 「駅まで送ってくのに」 「遠慮しとく。神代君の運転技術は十分すぎるほど味わったからね」  ひきつった顔にまだ恐怖が残る木戸さんは、タクシーに乗って帰っていった。  濡れティッシュで男と握手した掌《てのひら》をごしごしこする。アルコールを含んだ湿り気がヒンヤリと心地よかった。                     ※ 「かれんも、大したタマだよね。舌先三寸で、男をコロッとたぶらかすんだから」 「やめてよ、そういう言い方って、誤解を招くでしょ」 「『あなたがケガしちゃったら、どうするのよ』ってか? お前なんか、とっととおっ死《ち》んじまえ! って思ってたくせに。心にもないことをクソ真面目な顔してさ。カマトトのかほりも顔負けだわ。ギャハハハ」  おねいはハンドルを握りながら爆笑した。 「なによ、矯正《きょうせい》下着でウエスト絞《しぼ》ってみせてた女に言われたかないわね」 「な、なんで知ってんのよっ!」 「おねいの下着、誰が洗濯したのかしら?」 「あ——、不毛な会話だわ。ひさしぶりで本気の運転したら、お腹空いちゃったわね。ちょっと食べてこか。駐車場さがすの、おっくうだからファミレスでいいわね」 「食後のデザートを……ん?」 「どした?」  助手席の下で、堅《かた》いものが足に触れた。 「あ、木戸さんのパソコンだ。あわてて忘れてったみたい」 「木戸のパソコン? そりゃ面白いわ」  おねいは、車を路側に停めて、パソコンを開いてスイッチを入れた。 「やめなさいよ、他人《ひと》のものでしょ」 「パソコンってのはね、個人情報がぎっしりつまってるのよ。木戸が肌身離さず持ち歩いてるコイツに何が入ってるのか興味津々じゃない」  と、キーを叩いたけど反応はない。 「おっかしいなぁ」 「メカ音痴《おんち》が無理しちゃって」 「るっさいわね。あ、」  ピポッと音がして、パス・ワードの入力を要求する文字が現れた。 「あきらめなよ。早く食べに行こう」  おねいは、ちょっと考えてから、携帯《けいたい》を出してどこかに電話した。 「もしもし神代《くましろ》です。お久しぶり。遅くにごめんなさい。これからそっちに行っていいかしら? ……そう、ありがと。私の他に女子高生一名、連れてくから、きちんと片付けておいてね、いろんな資料とかも。……ん? 大丈夫よ、三十分くらいかかると思うから。うん、じゃあとで」  おねいは電話を終えると、携帯の電源を切った。 「どうして切ったの?」 「木戸が気付いても連絡とれないようによ」  おねいは車をUターンさせた。 「かれん、ファミレスは中止。面白いところに連れてくわ」 「どこ?」 「さあ、どこかしらね」  おねいは途中で大判のピザを三枚買って、とあるマンションの来訪者駐車場に車を停めた。  マンションの一室であたし達を迎えたのは六人の若い男だった。 「神代さん、おひさ!」「入院してたって聞きましたけど大丈夫ですか」「俺、いつの間にかバイトから正社員になっちゃいました」「ささ、こっちへ」  ここではおねいは、大人気だ。 「みんな元気そうね。この子は私の大切な飯のタネ。憎たらしいけど、妹みたいなヤツなの。かれん、よそ行きの声で、ご挨拶《あいさつ》なさい」 「こんばんは、毒島です」  かほりの声であいさつすると、みんなが聞き耳を立てた。 「やはり、お母さんとは少し違うね」  いちばん年長の男の人が言った。  どうして知ってるの? あたしはおねいを見た。 「ここのみんなは全員知ってるのよ」 「教えられなくても気付いたろうね。君のお母さんの声は、開発中に、耳にタコができるほど聞いたから」 「石森《いしもり》さんよ。こう見えてもここの社長」  おねいが紹介してくれた。 「石森です。よろしく。ラジオは毎週、聴いてるよ」 (ここの人達って、オタクさんなの?)  おねいに耳打ちして訊《き》いた、オモチャやパソコンだらけのこの部屋は、いかにもそれっぽい。 「ここは高天原かほりが生まれた場所なの。私達がここで『高千穂学園』を創ったのよ」  これがドリーム・テックの人達とあたしのファーストコンタクトだった。 「はい差し入れ。みんなで食べて」  おねいがピザの箱を開けた。 「珍しく領収書なしで買ったのよ」 「おだまりっ!」  ドリーム・テックの人達が笑った。 「社長、ちょっといいかしら?」 「なんですか?」 「個人的なことなんだけど」 「じゃ、こっちに」  石森さんは、社長室とは名ばかりの狭い四畳半におねいとあたしを招いた。 「この中に何が入ってるか知りたいのよ」  おねいが木戸さんのパソコンを机に置いた。 「どれどれ」と、石森さんがキーを叩く。 「いきなりパスワードを要求か。素人《しろうと》が使うにしちゃ、プロテクトが大層すぎるな」 「できる?」 「開かない鍵《かぎ》はないし、開かなければ鍵とは言えない。何とかなるよ」 「今日じゅうにできないかしら。明日には黙って戻しておきたいから」 「そりゃ無理だよ。いじったことが、バレちゃいけないんじゃあ」 「あなたでもダメか」 「そうだな……ハードディスクを取り出して中身をそっくりコピーしよう。それをあとでゆっくり解析《かいせき》すればいい」 「そんなことができるの?」 「下請けにお任せを」  石森さんは笑ってパソコンの分解を始めた。 「大丈夫なの? 木戸さんのだよ」 「彼に任せておけば心配いらないわ」  見る間にパソコンはバラされて、部品の山になった。 「これはすごいマシンだね。メモリは1024メガフル実装してるし、HDは60ギガに換装してある。ワイヤレスLAN内蔵で、ネット接続も一発だ。しばらくかかると思うけど、読み出せたら連絡しますよ」 「ごめんね。虫のいいお願いして。邪魔したわね」 「帰っちゃうんですか?」 「うん。パソコンが元通りになったら失礼するわ。かれんもいるから」 「君もせっかく来たんだから、ゆっくりしていってよ。寿司《すし》の出前も頼んじゃったし。カラオケもあるから」  石森さんが、あたしに言った。 「カラオケ? しばらく行ってないなぁ」 「通信式だから最新の曲だって一発だよ」 「遅くなるわけにはいかないわ。かれんを送ってかなきゃならないから」 「おかあに電話してくれれば大丈夫だよ。ウチもここからそんなに遠くないし」 「……そうねぇ、じゃ、甘えちゃおうか」 「連中に顔見せてやってください、神代さんに会いたがってたんだ。これを片付けたら私も行きますから」  奥の部屋で、みんながおねいを待っていた。 「神代さん、まだ一人なの?」「よけいなお世話よ」「うちの社長なんかどう?」「いやよ、あんたたち臭いもの」「そういう神代さんだって追い込みの頃、一週間、風呂入らなかったでしょ?」「しかたないじゃない、あんたたちが働かないんだもん」  文字にしちゃうとケンカしてるようだけど、そうじゃない。きっと気のおけない関係なんだろね。 「やっぱ、神代さんは、今日みたいにピシッと決めてるほうがカッコいいっスよ」 「あったり前でしょ」 「外ヅラだけなのよ。家の中なんかねー」 「かれん、おだまりっ! 余計なこと言うんじゃないっ!」 「怒らないで神代さん、まず駆けつけ一曲」 「おっ、すごいじゃない。『高千穂2』の主題歌、もうカラオケになってる。おーし、あたしこれ歌うぞ」  こんなに気さくなおねいは初めて見た。  エコーまみれのおねいの歌声は、採点機能付きなら55点ってとこだ。  石森さんが、元通りに組み立てたパソコン[#原本は「パソンコン」]を持って入ってきて、あたしの横に座った。 「記念にサインしてくれないか」  と、あたしの歌ってる主題歌CDをだした。 「ごめんなさい。それにサインするの禁止なの、かほりのCDだから。あたしはサインの書体持ってないから、したくてもできないけど」 「そうなの?」 「うん。でも、高天原かほりのサインってのもないのよね。彼女はあくまで普通の女子高生ってことで」 「神代さんが決めたのかい?」 「ううん、木戸さんって、広告代理店の人」 「このパソコンの持ち主?」 「うん」 「すごく印税入ったんだろ?」 「みんなそう思ってるけど、違うんだ。よくわからないうちに契約しちゃったでしょ。いくらCDが売れても、あたしにはお金が入らないようになってるんだよね。作詞、作曲、編曲の人にも入らないんだって。ビッグ・ウエイヴの社員だから」 「会社が丸儲けか」 「そうみたい。また吹き込む予定があるんだけど、今のままじゃあんまり可哀想《かわいそう》って、おねいが交渉してくれてる。けど、キビしいんじゃないかな、おねいだって社員だものね」 「俺と同じだね。ぷっ倒れるまで残業して、赤字すれすれで仕上げた『高千穂』が、あんなに売れても、こっちにはビタ一文も入らなかった。『高千穂』を創ったのはドリーム・テックだってことを公表するのも、契約で禁止されてるんだよ」 「あたしもそうだよ。かほりの前にしゃしゃり出ないで、なおかつイメージを壊さないように、影のように生きてるの」 「似たもの同士だな。正直者は馬鹿をみるか」 「うん。でもあたし、ぜんぜん正直じゃないよ」  ははは。二人で笑っちゃった。 「神代さん、前より痩《や》せたんじゃないか?」 「いつもそばにいるから気がつかないけど、言われてみるとそうかな。近ごろは矯正下着も着けなくなったし」 「あ?」 「なんでもない。確かに働きすぎかもね。盲腸切ってもすぐ出てきたし。タバコはやめたみたいだけど」  石森さんは、調子っぱずれの声を張り上げるおねいを見て言った。 「体だけは大切にしなきゃ」  おねいは、そんな気遣《きづか》いを知りもせず、音程をとっ散らかして歌ってる。 「あー、この曲、難しいわ。かれん、持ち歌なんだから、お前が歌いなさい。アハハ!」  ちょっと見には上機嫌だけど、普通じゃない弾《はじ》けかたが、蓄積したストレスのあらわれのような気がする。見てるとなんか痛々しい。オトナって大変なんだ。 [#改ページ]    14 おんな二十八、番茶も出がらし  落ち込んでいる。それも深く深く…………  素面《しらふ》でバカやった翌朝は、二日酔いよりも、ひどい自己嫌悪《じこけんお》に陥《おちい》る。ドリーム・テックの連中の若さにのせられたのだろうか。かれんに示しがつかなくなっちまった。寝ぼけ頭で見渡す私の部屋は、かれんの言うとおり、思いっきり散らかっている。  さらに自己嫌悪だ。  私は昔から家庭科も含めて成績は良かったけれど、実際の炊事洗濯ってのは、からきしダメなのだ。固くなった三日前のアンパンを牛乳でふやかしながら流し込んで朝食終了。かれんが見たら「栄養のアンバランス!」って罵《ののし》るだろうな。すっきり晴れた日曜だけど、今日は掃除と洗濯の日にせざるをえないか。  そうだ、今のうちに携帯の充電しておこう。と、電源を入れたら、即、鳴った。 「もしもし?」  ——木戸《きど》です、おはようございます。 「きのうは、ご苦労様」  ——やっと捕まった。ずっとコールしてるのに、つながらないから焦《あせ》ったよ。 「電池が切れてたみたいね」  と、ウソをかます。 「日曜の朝から、なんの用?」  ——パソコン、車に忘れたんですよ。ありませんでしたか? 「さぁ、気付かなかったけど。今、見てきてあげるわ」  テーブルの上に置いた木戸のパソコンを見ながら、駐車場までの距離を考えて、腕時計の秒針できっかり五分待ってから伝えた。 「あったわよ。助手席の下に」  ——あぁ、良かった。  安心した声。 「こんど会ったとき渡してあげるわ」  ——明日使う会議資料が入ってるから、今日じゅうに必要なんだけど。 「じゃあ着払いのバイク便で。どこに送ればいい?」  ——バイクはもうこりごりだ。そっちに取りに行くよ。 「来ないで」  ——え? 「来てほしくないのよ」  こんな散らかったところに、来られちゃ大変だ。  ——じゃぁ、どうするかな………… 「しかたないわね。私が届けるわ」  悪戯《いたずら》した後ろめたさから言ってしまった。  ——了解、かたじけない。じゃあ…………  木戸が指定したのは、私の家から車で三十分ほどのホテルの駐車場だった。 「わかったわ。六時ね。それじゃ」  この薄っぺらな機械が、余程、大切らしい。  日曜の道路はヘタクソなサンデードライバーのおかげで渋滞していて、ホテルに着いた時には二十分の遅刻だった。駐車場に入ると派手な外車の横で木戸が手を振った。  真紅《しんく》のアルファ・ロメオ・スパイダー。幌《ほろ》をたたんだオープンの新車だ。黄色のシャツに、緑のサングラスをかけた木戸が、車にもたれるように立っている。男性ファッション誌のカラーページみたいだったけれど、そこそこ決まってはいた。隣《となり》に車を停《と》める。  私の汚れた群青色のスバル・ラリー仕様。木戸の光り輝くオープンの赤いアルファ。  水と油のような取り合わせの二台だ。 「ごめん。道が混《こ》んでて。はい、これ」  データをそっくりコピーされたとは思いもせず、木戸はパソコンを受け取った。 「とんでもない。無理言ったのはこっちだよ。これから予定は?」 「ないわけでもないけど」  掃除、洗濯の続きが。 「晩飯いっしょに食べないか。御馳走《ごちそう》させてくれよ」 「う——ん、まぁいいけど……」 「実は、ここの上、予約してあるんだ。二十六階だ。車のキーを預けて上がってきて」  木戸は先にエレペーターに乗った。  クロークにキーを置いて、二十六階に昇り、割烹《かっぽう》料理の店に入ると、木戸の待つ小さな座敷《ざしき》に案内された。 「わぁ、きれい」  と、月並みな言葉しかでないくらいに、美しい都会の夜景が見渡せる空間だった。 「和食で良かったかな?」  懐石《かいせき》料理とは、意外だった。赤いアルファと正反対の渋いチョイスだ。  絣《かすり》の着物を着たお姉さんが、しずしずと運んできたのはカットグラスにこんもりと盛った灰色のキャビア。スーパーで売っているような安物の黒色じゃなかった。  それだけで値段の高さを物語っている。  ひと匙《さじ》で幾らにつくんだろう、と考える私は育ちの卑《いや》しさを物語ってしまう。 「とりあえず乾杯」  二人とも車なので、烏龍《ウーロン》茶で杯を合わせた。 「高天原かほりプロジェクトの成功で、僕が局長賞を受けることが内定したよ」 「おめでとう。それって凄《すご》いことなんでしょ?」 「まぁ……ね。全社で三人の中に選ばれた。君のおかげだ」 「あなたの実力よ。それに、かれんのおかげね」 「君がいてくれて助かってる。どうも、あの年頃の女の子は苦手でね」 「可愛《かわい》いわよ。なつかれちゃったから言うわけじゃないけれど」 「昨日のバイクの一件で、改めて痛感したよ。彼女の声の持つ力を」 「ほんとね」 「彼女がラジオで『私のために死んで』といえば、次の日の朝刊に、若者の自殺記事が載《の》るのは間違いないね」 「まさか」 「賭《か》けてもいい」  あり得ない話ではないかも…………。 「そうそう、新聞と言えば、高校野球のポスターに高天原《たかまがはら》かほりが使われることも内定した。うまくすると入場行進曲も『高千穂《たかちほ》2』の主題歌になる」 「あのポスターって、人気アイドルヘの登竜門じゃないの」 「高校野球の主催は旭日《あさひ》新聞社だ。毒島《ぶすじま》君のインタビューを受けておいたのが良かった」 「かほりって、そこまで……………」 「今や最強のCMタレントだよ。生身《なまみ》のアイドルが束《たば》になってもかなわない。僕が欲しかったバーチャルアイドルが、まさに高天原かほりだ。それを君が創ってくれた」 「使うには理想的よね。文句は言わず疲れも知らない。私生活もない、歳《とし》もとらない」 「僕は毒島君といっしょに、歳をとらせてみようと考えてる。前に言っただろう、消費者に合わせて、少しずつ内容を変えていくのは、作戦の一つだって」 「かれんだって、まだ十分に若いものね」 「少なくとも今後五年間は、ファンをコントロールすることができるだろう」 「なんか恐ろしい話だわ…………」 「惜《お》しむらくは、かほりがビッグ・ウエイヴの持ち物だって事だ。もっとも、彼女を使いこなすだけの能力がないのは、向こうも認めるところだが」 「私も、そのビッグ・ウエイヴの人間なんですけどね」 「今の仕事は楽しいかい?」 「まぁまぁかな」 「会社の将来に希望はある?」 「どうなのかしら。移り気なゲーマー相手の会社だから」  木戸は私を見た。  そして、ちょっと間を取って切りだした。 「神代《くましろ》君、博通社《はくつうしゃ》に来ないか。率直に言って、今の会社は君のことを冷遇してると思う。うちは中途採用を差別しない。むしろ能力がある証明と見なされる。今の成功を手土産《てみやげ》にすれば、採用は間違いなしだ。僕も力になれるだろう」 「いきなり、そんなこと言われても……」 「うちに来れば君の実力を発揮できるんだよ。それに……」 「それに?」 「それに僕だってずっと一緒にいられるじゃないか、君と」  この雰囲気、  このシチュエーション、  これって、私に対するアプローチじゃない?  木戸が腕時計を見た。 「そろそろ時間だな、あの辺りを見てごらん」  と、ビル群の一画を指さした。  夜景を満喫《まんきつ》させようという店のサービスなのだろう、座敷には双眼鏡が備えてあった。木戸の示した方角を覗《のぞ》くと、ビルの壁面の巨大なディスプレイに、かほりの姿が映し出されていた。 「来週の放送から、あの場所にかほりの姿を生で映す。今日はそのチェックをしているんだ」 「それを見るために、こんな高級な所を?」 「そうさ、君と二人きりでね」  その後は仕事を話題にして、木戸といつもどおりの調子で会話した、と思う。  実のところ、私は上の空だったのだ。美味《おい》しいはずの料理の味も、味覚のほうがお留守になってしまったようだ。  適当に切り上げて木戸がカードで支払った。色はゴールドだった。  エレベーターで駐車場に降り、互いの車に乗り込もうとした時、木戸が言った。 「もう一軒、付き合わないか。いい雰囲気のバーを教えたいんだ」 「ダメよ。車で行ってアルコール飲んじゃったら、帰りはどうするの。バーで烏龍茶なんてカッコつかないわ」 「別に帰らなくていいじゃないか。お互い独り身なんだし」  きた———っ。クサいけど、言いたいことは十分すぎるほど伝わる決めゼリフだ。 「でも」と言いかけた私の機先を制して、 「先導する。ついてきて」と木戸がアルファを動かし、駐車場の出口で停めて『来いよ』と言わんばかりに私を見た。  私はエンジンを回し、ギヤをローに入れて、左の車線をゆっくり走る木戸のテールランプについていった。  博通社。  就職戦線の時にはハードルが高すぎて、初めから眼中になかったところだ。  そこに転職?  不意に、見舞いに来た時のかれんの言葉が甦《よみがえ》った。 (考えてる? いつまでも若くはないのよ)  そのとおりだよ、白馬に乗った王子様、なんて歳じゃない。  けど、深紅《しんく》のアルファに乗ったゴールドカード持ちが、ついてきているかと後ろを気にしながら、私の前を走ってるんだ。  取っつきにくい印象なのはデキる男の証明でもあるわな。木戸の年収っていくらぐらいなんだろう。両親はいるんだろうか。長男とか、最悪の一人っ子ってのは遠慮したいぞ。  そんな考えが次々によぎる。女も三十の大台が視野に入ってくると計算高くなるんだよな。  いろんな考えが頭の中で渦巻いた。  そして携帯をプッシユした。  前で木戸が自分の携帯に手を伸ばすのが見えた。 「わたし」 (どうした?) 「急なことで気持ちの整理がつかないの」 (君らしくないじゃないか)  声が笑っていた。  頭の引き出しをひっくり返して、木戸に負けないくらいの決めゼリフを探す。 「今日はとても楽しかった。また今度誘ってね」  出てきたのは、かほりの台詞《せりふ》だったのが、自分でもたまらなくおかしかった。 「きっとよ。約束して」  いい歳の女が吐《は》くには恥ずかしい言葉を堂々と言ってのけて、電話を切った。  一回戦は様子見のほうがいいだろう。男ってのは女が去ったあとの残り香《が》に振り向くものだ。前を走る木戸にパッシングを一発して、追い越し車線に出た。並んだ瞬間に軽く木戸に笑みを投げて前に出る。  ルームミラーで後方をうかがう。  来るかな?  来た。木戸が車線を変えて追ってきた。  よし、これでいいだろう。  アクセルを底まで踏んだ。  エンジンがグオッと応えて、ターボがキーンと鳴いた。  ミラーの中の木戸のアルファが見る見る小さくなる。アルファは追ってきたが、私のスバルには追いつけない。車は残り香のかわりに、野太い排気音を後ろに置いて加速していく。  ちょっと勿体《もったい》なかったかな、とも思う。  どうしてついて行かなかったんだろう。  再度、かれんの声が聞こえた。 (万が一って事もあるんだから、下着くらいキレイなの身に着けてなさいよ)  はは、そうだよね。お前は正しいよ。  仕事と男。いきなり目の前に特大のニンジンが二本ぶら下がってきたんだもの、すこし考えてからでも遅くはないだろ?  散らかった部屋にまっすぐ帰る気がしなくて、目的もなく、ただ高速を走った。その間、留守電モードにしておいた携帯に、何度かメッセージが入ったようだ。  帰ってから、ゆっくり聞いてやろう。  ちょっと、嫌な女の入ってる、私だった。 [#改ページ]    15 敵に渡すな大事なリモコン  一学期の期末試験が迫ってきた時、あたしは途方にくれた。かほりの仕事にかまけているうち、苦手だった理数系の遅れが決定的になっていたんだ。どうしよう、参考書見てもチンプンカンプンだ。理数系に強い誰か、助けてくれぇ——————っても誰もいない。  そうだ! 「いつでも遊びに来い」って言ってたよね。と、都合良く解釈して、あたしはドリーム・テックに泣きついた。エッチなゲームを作ってると聞いてたから、一人で訪ねるのはちょっと不安だったけど、押しかけたメガネ面《づら》のあたしに驚きながらも、石森《いしもり》さんは数学と化学をていねいに教えてくれた。他のスタッフもみんないい人達だった。おねいが気を許すのも納得だ。お礼にキッチンで夕食を作ってあげると、いつも出前やコンビニ弁当ばかりのみんなは大喜びだ。そんなことを数日続けたおかげで、なんとか赤点&追試という最悪の結果は回避できた。  初めは、社長さん、毒島《ぶすじま》クンと、お互いを堅苦しく呼んでいたけど、インターネット放送の舞台裏を知った石森さんは、「正太郎《しょうたろう》君」と、あたしを呼ぶようになった。 「なにそれ。あたし、女だよ」 「鉄人28号を操縦してるのは、正太郎君ということに昔から決まってる」  大昔のロポットアニメのネタらしかった。 「君が『正太郎君』なら、鉄人・高天原《たかまがはら》かほりを作った俺は、さしずめ『博士《はかせ》』ということになる。これからは俺のことを『博士』と呼ぶように」  石森さんはまじめな顔で言った。あたしの周りのオトナって、どうして変なのばかりなんだろう。でもTシャツにジーンズの石森さんは、社長より、ハカセと呼んだほうがふさわしい気がするのも事実なんだ。 「そうだ、この前のデータを吸い出して、CDに焼いておいたから。神代《くましろ》さんに渡してくれよ」  ハカセは光るCDロムを数枚、出した。 「何が入ってるのかしらね」 「さあね。他人の秘密を盗み見る趣味、俺にはないよ」  あたしは光る円盤に押し込められた木戸《きど》さんのプライバシーを預かった。 「正太郎君、ラジオの他に仕事は?」 「そろそろ新しいゲームの収録が始まるの。もう台本や歌の譜面をもらってるんだ」 「どんなやつ?」 「極秘なんだけど……ま、いいか。今度のは、かほり中心のアドペンチャー系。プレイヤーは偶然、お墓の前で涙ぐんでるかほりを見つけるんだ。で、かほりの心の中には、まだ死んだ兄貴が理想の男として居座っているのを知るの。いろいろあって最後は兄貴の代わりにプレイヤーがかほりの心をゲットする。前に出た写真集の番外編みたいな内容」 「よく考えたもんだな」 「かほりは嫌な性格じゃないんだって、つじつま合わせるのに苦労したらしいよ」 「嫌な性格か……」 「一作目のかほりって、そっけないでしょ。デートに誘ってもなかなかOKしないし、攻略本見ても、なかなかクリアできないのよ」 「かほりはボスキャラみたいなもんだから、いきなりクリアできても面白くないだろ」 「むずかしすぎるって」 「でも、クリアできたろ?」 「まあね。何度目かには」 「三度目じゃなかったかい?」 「どうしてわかるの?」 「そう作ってあるんだ。攻略本には載《の》ってないけどね。嫌な性格じゃなく、鈍感《どんかん》な娘のつもりなんだが」 「鈍感? かほりが? どして?」 「自分のことを想ってる男が側にいるのに全然気付かない、という意味での鈍感。三回目にして、初めてプレイヤーの気持ちに応えるようにプログラムしてある。良くいるだろ、仕事や勉強はバリバリだけれど、どこか抜けてるってタイプ。そんな娘にしたつもりなんだ。今さら、俺の手を離れていった子供のこと言っても、どうしようもないけどね」 「おねいがシナリオ書いたんじゃないの?」 「それは半分だけ正しい」 「半分?」 「あの時はスケジュールがきつくて、ゼロから開発する時間がなかったんだ。うちが開発を予定してた企画に神代さんが手を入れてシナリオをつくった」 「じゃあ超清純な、かほりの原型って……」 「正太郎君のような十八歳未満はプレイしちゃいけないゲームのキャラクターなのさ」 「それって、ファンが知ったら、再起不能級のショックじゃない?」 「知らんよ、そんなことは」 「この先も、ずーっと私が遊べないようなゲーム作るの?」 「正太郎君も十八になればできるよ」 「じゃあ十八歳になったら、ハカセの作ったゲーム、ちょうだいよ」 「嫁入り前の娘が、あんなもん、しちゃー、いけません」 「でも、嫁入り前のおねいはしたんでしょ? 一生、嫁入り前かもしれないけど」 「それは秘密です」 「高天原かほり役の声優が、そんなゲーム作ってるとこに遊びにきちゃ、ホントはまずいんだよな」 「そう言うなよ。食うためには仕方ないんだ。俺だってやりたいことはあるけど、ガマンしてるんだからな」  ハカセは、深くため息をついた。 「さ、もう帰りなさい。俺も仕事しなきゃならないし」 「ごめん。忙しいとこ、おしかけてきて」 「ちょうどいい息抜きになった。どうせ徹夜になるのはわかってるんだ」 「みんなの夜食に、オニギリ握っておくね。ウメとオカカでいいでしょ?」 「気にするなよ。オニギリならコンビニで買える」 「コンビニのって、ご飯に初めから塩入れてるから美味《おい》しくないのよ。塩分きついのは体にも良くないし」 「正太郎君、いい奥さんになれるな」 「ヘヘっ、おねいにも同じこと言われちゃったよ」 「かほりを、もう少し家庭的な娘にしとけば良かったかな。ま、シナリオの最終稿を書いたのが神代さんだから、しょうがないか」 「おねいが家庭に入るってのは、ちょっと想像できないよね」  ハカセは、あらたまって言った。 「ふつつかな娘だけど、かほりの事、よろしく頼むよ。インターネット放送、はじめの頃は少しぎこちなかったけど、だんだんいい感じになってきた」 「チェック厳しいね」 「毎週欠かさず見てる。父親ってのは、家を出ていっても、娘のことは気になるんだ。最近の放送は表情がすごくリアルだけど、CGのプログラムに手を入れたのか?」 「プログラムは変えてないはずだよ」 「じゃあ、正太郎君の操縦が上達したんだ」 「ふふふ、それはナイショ」  操縦かぁ……実はあたしも番組が始まった時は、そんなふうに考えてたんだ。機械を使ってかほりを動かしてるんだからね。でも、思ってた以上に声と表情の演技を両立させるのは大変だった。画面のかほりに気を取られると台詞《せりふ》が棒読みに、台詞に感情を込めようとすると、かほりの表情が、ぬぼーっとしがちになってしまう。  ちょっと落ち込んで、 「あたし、おかあみたいに声優の才能がないんだ」  ってこぼしたら、 「お前、何か勘違いしちゃいないかい? わたしは自分のことを声優なんて思ったことはないよ。立つ舞台が昔と変わっただけで、わたしは今でも俳優だよ」  と、おかあは、あたしに言った。 「わたしはコンピューターのことはよくわからないけれど、お前は、画面のかほりをTVゲームをするように動かしているんじゃないのかい? だとすれば、うまくいかないのも当たり前だわ。舞台に立ったら、俳優は役になりきらなきゃならないのよ」  そうか! 帝都《ていと》ラジオのFスタは、観客がネットワークの向こう側にいるステージと考えれば良かったんだ。  おかあの言葉で、あたしは吹っきれた。  それからはスタッフからお褒《ほ》めのコトバもかかるようになったのよね。  いまだにデータスーツの暑苦しさと臭《にお》いには慣れないけれど。                     ※  高校生活最後の夏休みも、あたしはかほりと共に過ごす。朝の九時から窓ひとつない録音スタジオに入ってゲーム音声の収録だ。電車を乗り継いでスタジオに着くと、駐車場におねいの車が滑《すべ》り込んできた。珍しくワックス掛けした青いボディが夏の太陽を照り返してる。  いつもなら、おねいはすぐに車を降りる。  でも、その日のおねいはコンパクトを出して念入りにメークのチェックをした。手を口にあてて息をひと吐きすると、口臭消しをスプレー。運転しやすいペッタンコの靴から真新しい高いヒールに履《は》き替《か》えて車を降りた。スカートはタイトで短め、お尻《ケツ》ライン強調系のヤツだ。  あたしは、そろ——っと忍び寄って、後ろから抱きついた。 「ひぃっ!」  悲鳴をあげて、高いヒールにおねいがよろけた。履き慣れてないのが見え見えだ。 「か、かれん、なにすんのよっ!」 「矯正《きょうせい》下着はないみたいだね。暑いんだから、締めつけてるとアセモがでるわよ」 「おだまりっ!」 「なーにカッコつけてんのよ。スタジオには、カツカツ音がするような靴を履いて来ちゃいけないんだぞ」 「私は声優じゃないの」 「夕方には靴ズレで泣くよ。これ貼っときな」  あたしは、バンドエイドを出した。 「ったく嫌なヤツだよ、おまえは」  そう言いながらも、おねいは受け取る。 「それにこれ。石森さんから、例のヤツ」  黄金色のCDロムを手渡した。 「おはよう」  と、そこにパソコンを小脇に抱えた木戸さんが現れた。 「おや、それ何のCD?」 「こ、これ? 試作中のゲームなのよ。かれんにモニター頼んでたの。ね?」  おねいは同意を求めて、あたしに目配《めくば》せする。 「今日の昼は、お寿司《すし》食べたいんだよなー」 「それ、どういう意味よ、かれん」 「ゲームなら、僕にも貸してくれよ」 「え? ダメよダメ。あまり面白くないんだから」 「アドバイスしてやるよ。分析は専門だ」  木戸さんはCDを手に取った。 「…………………」  おねい、青ざめる。 「やるだけ時間の無駄だよ。途中で止まって動かなくなっちゃった」  と、あたしがフォロー。 「なんだ、未完成のバグありか。じゃいいよ」  おねいは急いでCDをバッグに入れた。 「お寿司っても、回転しないやつだよ、でも暑いからウナギも捨てがたいなぁ、あイデッ」  おねいの鋭いヒールが、あたしの足に突き刺さった。 「あーら、ごめんなさい。気がつかなかったものだから」  きっつい性格だ……………                     ※  ぶ厚い台本を毎日少しずつ収録して、それが終わると音楽スタジ才で主題歌のレコーディング。 「上手《うま》く歌う必要はない。普通に歌えばいいんだ」  って木戸さんは言うんだけど、そのフツーってのが、むずかしい。 「下手《へた》にって意味じゃないのよ。かれんの力の70%でやってみて」 「あたしは上手く歌いたいよ」 「君じゃない、かほりだろ」  そうなんだよね。あたしは、かほりに化けてるだけなんだから…………  木戸さんの言葉に納得できない様子を見て、おねいがなだめるように言う。 「このゲーム、来年の春に発売でしょ。夏には、かほりのアルバムを出す予定なの。その時には、かれんの歌唱力全開でレコーディングするから」 「出し借しみってこと?」 「戦略だよ。かほりの歌が時間とともに上達するようにみせるんだ」 「演歌なんかどう? よく考えれば、高天原かほりって、演歌系の芸名だよ。コブシころころって得意なんだ」  と、主題歌のサビを演歌調で歌ったら、 「毒島君、冗談でもそんなことやってもらっちゃ困る。わかってるだろ、かほりのイメージってものを」  思いっきし木戸さんにたしなめられた。目がマジで怖かった。                     ※  月曜から金曜はスタジオに通って、土曜はラジオ局で生放送。  そんな毎日を送るうち、貴重な高校生活最後の夏休みも、残り少なくなってきた。  日中は窓のないスタジオにこもってるから肌は真っ白け。良くも悪くも、今のあたしのいちばんの友達は、かほりと、おねいだ。学校のクラスメートとは、完全に生活がずれちゃった。みんな楽しくやってるんだろうな。 「かれん、明日は私もフリーだから、どこか遊びに行こう。行きたい所ない?」  さりげなく言ったつもりだろうけど、ご同情ってのが、ありありの、おねい。 「たいしてない。冷房の効いた部屋で、ぐでーって寝てたい」 「若い娘が情けないこと言わないの。どこかあるでしょ? 買い物とか、海とか、ディズニーランドとか」 「行きたい気持ちはあるけど、人の集まるところは嫌なんだ。あたし、そこそこは顔が売れてるらしいんだよね。最近は知らない男から『ぶすじま・かれんさんじゃないですか? サインください』なんて言われたりする」 「サイン禁止よ。わかってるでしょ?」 「だから逃げる。ひたすら逃げる。へたに声出すと、ばれちゃうからね。必要最小限しか外出しないようにしてる。今じゃコンタクトは営業用。変装も兼ねてるからメガネが前より手放せなくなった」 「一抹《いちまつ》の責任を感じるわね……」  翌日、おねいといっしょに映画を観てから夜の水族館に行った。そこは有名なデートスポットで、まわりは若いつがい[#「つがい」に傍点]ばっかしだ。 「思いっきり浮いてるよ、あたし達」 「ごめん。こんな場所しか思いつかなかったのよ。かれんが喜びそうな所は、石を投げれば、かほりファンにあたるって感じだから」 「あたし達、まわりからどう見えてるんだろ」 「夏休みで地方から東京見物に来た、歳《とし》がはなれ気味で仲の良い姉妹ってとこでしょうね」 「夏なのに肌寒いね、ここ」 「寒流系の水槽だもの」  大きな魚がゆったりと泳ぐアクリルの大水槽には、霧を吹いたように細かい水滴がびっしりついていて、アルバイトの女の子がモップで忙しく拭《ぬぐ》っている。 「あたし、高校生のうちに、あーゆーバイトしてみたかったんだ。ファーストフードの決まったことしか言わないレジとか」 「今の仕事は嫌い?」 「てゆーか、なんかつかれるよ」 「行こうか。食べてパワーつけよう」  一年前、はじめていっしょに食事した中華レストラン。それも同じ席を、おねいは予約していた。テーブルに豪華なコース料理の皿が並んだ。 「お母さんには、別にテイクアウトを頼んであるから、思いっきり食べていいのよ」 「お金は大丈夫なの? 休みの日付じゃ領収書、通らないんでしょ?」 「おまえは、どうして冷《さ》めた事しか言わないの。おごってやる満足感に浸りたいんだから、水を差すんじゃない」 「じゃー遠慮なく」  あたしは、回転テーブルを回す。 「早いものね。かれんとここで会ってから、一年たったんだ」 「あのころの、あたしのノーマルな高校生活、どこへいったんだろ」 「木戸は『これまではリハーサル、本番はこれからだ』って言ってるわ」 「これ以上、何やらせる気なのかしら。いち抜けた、したいけど、もう周りが許さないって感じだよね」 「かれんは進路のこと決めたの?」 「うちの学校は付属だから、よほどのバカじゃない限り、エスカレーター式に大学《うえ》に上がっちゃうの。そうすると思うよ。そのために、おかあが無理して通わしてるようなもんだから」 「ねぇ、かれん?」  おねいが箸《はし》を置いた。 「どうしたのよ、あらたまって」 「留学してみる気はない? イギリスに」 「おねいは我が家の財政状態を知らないからそんなこと言えるのよ」 「その心配がないとしたら、どう?」  おねいは顔を近づけて、ささやくように言った。 「ここだけの話よ。ロンドンの演劇学校に行く気はない?」 「英語しゃべれないって」 「普通なら英語ができなきゃ受け入れてもらえない学校だけど、外国人向けに推薦枠《すいせんわく》があるの。プロの俳優が入る枠が」 「あたし、プロの俳優じゃないよ」 「日本語の声優に相当する英単語はないけど、Radio Actorってことで、なんとかなる」 「ラジオ・アクター?」 「ラジオで声の芝居をする俳優の事よ。もっとも、かれんは女だからアクトレスだけど。ヨーロッパでは、ラジオドラマの地位って日本より高いんですって。帝都ラジオの偉い人の推薦状さえあれば入学許可が下りるらしいの」 「ウソみたい…………」 「でもホントよ。最低でも二年、長くて三年。費用は全てビッグ・ウエイヴと博通社《はくつうしゃ》がもつわ。少ないけど、お小遣《こづか》いも出せると思う」  なんか話がおいしすぎやしないか? 「そのかわり………」  ほら来た………… 「毎週、向こうからインターネット放送をしてもらいたいの。時差があるからちょっと大変だけど。それと月に一度『ぶすじま・かれんのイギリス日記』みたいのをあなたの写真といっしょに雑誌に連載するのが条件」 「イギリスでもあのスーツを着て、かほりに化けてしゃべるってこと?」 「そういうこと」 「気のきいた文章なんて書けないよ」 「あなたが書けとは言ってないでしょ。それはゴーストライターの仕事よ」 「一人っきりじゃ自信ないし」 「マネージャーがついてくわ」 「え! じゃあ…………」 「小さなとこ借りて、二人住まいになると思う。私、これでも英米文学科出身だよ。卒論は、カズオ・イシグロだったんだから」  かほり役にスカウトされた時以上に真っ白になった。  と、おねいがニッと笑って言った。 「近々、こんな感じで木戸があなたを誘うわ。『どうして私にそんないい話を?』って、当然かれんは言うわよね。それに木戸はこう答える予定なの。『今までかほりの|C   V《キャラクター・ボイス》として頑張ってくれたご褒美《ほうび》だよ』ってね」 「どういうこと?」 「木戸はあなたを留学させる事に決めたみたい。私も悪い話ではないと思う。若いうちにいろいろ経験できるのは素敵なことだし、こっちの大学を休学していくって手もあるしね。でも『かれんへのご褒美』ってのはウソなのよ」 「わかるように説明してくんない?」 「高天原かほりは、あなたといっしょに歳をとることになったの。かほりも留学するわ。三年後に発売予定の『高千穂《たかちほ》3』にイギリス帰りの英語教師として登場することまで決まってるの」 「つまり、かほりの設定に合わせて、私が留学させられるってこと?」 「早く言えばそうね。木戸は絶対にそんなことは明かさないだろうけど」 「…………………」 「この事は誰にも言わないで。木戸から話があったら、大袈裟《おおげさ》に驚いてみせてね。私から聞いていたなんて、絶対に言っちゃダメよ」 「どうして教えてくれたの?」 「こっちの都合で、かれんを騙《だま》したくないからよ。一年前みたいに」 [#改ページ]    16 木戸哀楽  かれんはレストランを出てから、ずっと無言。車に乗ってからも考えに沈んでいる様子で、口を開くことはなかった。ラッキーな留学話と、高天原《たかまがはら》かほりの付属物のような扱いを、天秤《てんびん》にかけているのだろうか。  私も、あえて声をかける事はしなかった。  車内のよどんだ沈黙が重かった。  ス———ッ。ほんのかすかに軽い音がした。ややあって、あの特有の臭気《しゅうき》が漂った。 「おまえ、やっただろ!」 「へへ。音は消したつもりだけど、ニオイはごまかせなかったね」 「臭《くさ》いわね。この狭い空間でやるなんて、最低」 「でも不思議と自分のは臭くないんだよね」  と、窓を開けて換気する。 「お前ってヤツは……」  思わず笑ってしまう。重苦しかった空気を、かれんの香水が洗い流してしまった。 「おねいの前だからできるのよ。外では絶対しない。あたしはオシッコもウンコもしない、かほりのイメージを背負ってるんだから」 「そうか。かれんも、いろいろ大変なんだよね」  運転する私の横顔を、眼鏡《めがね》ごしに大きな瞳《ひとみ》が見た。 「留学のこと話すために誘ったんでしょ?」 「別に」  あいまいにぼやかす。 「電話でもいいのに。そういうとこ、おねいは不器用なんだよな」 「ごちそうさまとか、ありがとうとか、そういう清らかな言葉は出ないの?」 「ありがと。せっかくの休みに」 「いいのよ、気を回さなくても」 「ホントは木戸《きど》さんと過ごしたかったんじゃないの?」 「変に勘ぐらないでよ。何度かいっしょにご飯食べて、話しただけなんだから」 「世間じゃそれをデートって言うんだよ」 「ご飯食べただけよ。今日のあんたと同じでしょ」 「別にいいじゃない。今まで男っ気が無かったのがおかしいくらいだよ。木戸さんってのは意外だったけどね」 「私から留学のこと聞いたってのは、絶対に秘密よ」 「隠しごとするんなら、まだ深い仲とは言えないんだな」 「私にもよくわからないのよ、木戸って男が。ただね、これからの人生を考えれば、私の前に、あれだけ高グレードな男が現れるチャンスは、まずないと思うとさ……………」 「ナマ足の一つも見せたくなると」 「…………………」  かれんに言われるまでもなく、木戸への感情が微妙に変わってきているのを、私は自覚している。コピーされたパソコンのデータも見てはいけないような気がして、しまいこんだままだ。  かれんの家に着いた。 「おねいは身長あるんだから、スカートは長めがいいよ。これから秋になってくんだから、そっちのほうが絶対いいって。じゃね」  と、降りた。 「お母さんによろしく」  かれんが振り向いて言った。 「今日はとっても楽しかった。またこんど誘ってね」 「そのかほり語はやめてくれって」 「おねいサンキュ。おやすみなさい」  カンの鋭いヤツだ。  かれんといると自然に口数が多くなって、余計なことまで話してしまう。女子高生に人生相談するとは、私もつくづく不幸な女だ。帰って風呂にでも入ろう。コンビニに寄ってビールを買っていくか。我ながら、わびしい独身生活者だと思う。  コンビニの中はかれんの言う、つがい[#「つがい」に傍点]で、いっぱいだった。  なんとなく木戸の声が聞きたくなって携帯《けいたい》を手に取った  でも電池が切れていた。木戸の携帯番号は、メモリーに入っているからわからない。  9時か。まだ会社にいるだろうか。公衆電話から博通社《はくつうしゃ》の代表番号に電話してみた。 (ありがとうございます。博通社です)  日曜の夜なのに、明るい声の女のオペレーターだ。 「ニューメディア室をお願いします」 (ニューメディア室の、どちらにおつなぎしましょうか?) 「木戸さんをお願いします」 (お待ちください)  端末を操作しているらしい。 (ニューメディア室に木戸という者はおりませんが、第五制作部になら木戸|史郎《しろう》が在籍しております) 「第五制作部?」 (そちらに、おつなぎしましょうか?) 「ごめんなさい、間違えたようです」  受話器をフックに戻した。  第五制作部————木戸はニューメディア室の人間ではなかった。  家に帰り、就職試験の時に買い込んで以来、一度も開いたことがなかった企業情報の本を出して、博通社のページを開いた。  株式会社博通社。  大はオリンピックのような国際的イベントから、小はマッチ箱のデザインまで、広告と名の付くもの全《すべ》てを手掛ける世界|屈指《くっし》の代理店。  内部機構も|顧 客《クライアント》に合わせて細分化されている。第五制作部は、博通社の中でも精鋭部隊と書いてある。  第五制作部のおもな顧客は—————————  日本国政府!  木戸が高天原かほりを政府公報に使った理由がこれでわかった。でも、身分を偽《いつわ》ってまでビッグ・ウエイヴに近づいて、畑違いの高天原かほりにこだわるのは、なぜだろう。ちょっと気がひけたが、石森《いしもり》がかれんに託したCDロムを、私のパソコンで調べてみた。  パソコンのデータは使っている人間の性格を表す。木戸は几帳面《きちょうめん》に仕事とプライベートのファイルを分けて、フォルダごとにきちんと階層を作っていた。そのうえ、メモ魔で日記魔らしく、会議の資料や報告書、その時々の日常が、こと細かに記録されていた。  私は時間を忘れて、圧縮記録された莫大《ばくだい》な情報に目を通した。そこには第五制作部、もう一つの隠された依頼主と、木戸が画策《かくさく》する極秘のプランが収められていた。 [#改ページ]    17 うまい話にゃ裏はある  日曜の昼、おねいから電話があった。  ——かれん、お母さんは、いらっしゃる? 「留守。仕事」  ——いつ帰られるかしら? 「声優の専門学校に特別講師で行ってるの。スタジオで実技指導するって言ってたから、六時過ぎになると思う」  ——七時にお邪魔《じゃま》するわ。そう伝えておいて、 「晩ご飯抜いてきなよ。ウチで食べてって」  返事がなく切れた。沈んだ声だった。 『サザエさん』が終わったと同時に、ドアチャイムが鳴った。 「娘さんに頑張っていただいて感謝しています。それと、退院直後は本当に助かりました」  おねいは、まず、おかあに頭を下げた。 「こちらこそ娘がお世話になって。狭いところですけど、どうぞ」 「これ召し上がってください」  おねいはケーキの箱を出す。 「こんなお心遣いしていただかなくても。そうですか? じゃ遠慮なく」  社交辞令を何度も往復させてから、おねいは居間に上がった。  オトナの挨拶《あいさつ》ってのは堅苦しい。  あたしがお茶を出すと、居住まいを正して、さらに堅苦しくおねいが言った。 「お母様、かれん、お話ししたいことがあります」  あたしと、おかあは顔を見合わせた。                     #  おねいは木戸《きど》さんのパソコンデータからプリントアウトした資料を携《たずさ》えていた。 「これは、過去に木戸がプロデュースしていたバーチャルアイドル達なんだけど」  と、知ってるのから見たことないのまで、いろんなキャラクターの資料を広げた。 「でも、すべて失敗したの。そんな時に木戸の思い描いていたそのままの、バーチャルアイドルが現れた。彼は何としても自分の手で、彼女をプロモートしようと考えた」 「それが高天原《たかまがはら》かほりですね」  おかあの言葉に、おねいはうなずいた。 「彼は経験上、|C   V《キャラクター・ボイス》の重要性を知っていたから、ぶすじま・かれんっていう声優のプロフィールを調べたけれど、タレント名鑑にも、主要事務所の所属声優にもその名を見つけることができなかったらしいの」 「あの仕事だけに臨時で使った芸名ですもの」  と、おかあ。 「そこで木戸は興信所を使って、帝都《ていと》ラジオの地下駐車場で、ぶすじま・かれんを待ち伏せさせた。それがこれよ」  おねいが出したのは、あたしがおかあに代わって、かほりのCVをしぶしぶ引き受けるきっかけになった、あの写真だ。 「これってストーカーっぽいファンが撮《と》ったんじゃなかったの?」 「私もそう聞かされていた。でも、実際は木戸が撮らせたものだったのよ。同時に、ぶすじまって少ない名字に、かれんって珍しい名前を持つ女性を調べたら、関東近郊にいたのは、あなた一人だけ。その事からも、木戸は、かれんを高天原かほりのCVと思いこんだ」 「わたしだって写真に写ってるのにねぇ」  存在を無視されたおかあが苦笑する。 「あの声を聞いて、おかあを想像する人は、まずいないって」 「それから木戸は、かれんが、かほりのCVに適任かどうかを調べたの。これはちょっとショックな資料だから、覚悟してちょうだい」  おねいが見せてくれたのは、興信所の素行調査記録だった。それには、朝、家を出て登校してから、夜、寝るまで、あたしの行動が、逐一《ちくいち》、時間順に書き並べてあった。学校から帰って着替えた私服姿の写真や、スーパーで買った品物の内容(納豆《なっとう》の銘柄《めいがら》まで!)も添えてある。それも日曜から金曜まで六日間にわたってだ。 「あたし、尾行されてたっていうこと?」 「その通りよ。他にも家族構成、学校の成績、交友関係、異性関係の有無、非行歴、お父さんが亡くなった状況まで、こと細かに調べ上げてるわ。そして木戸はこう結論したの」  そう言うと、おねいは資料を読み上げた。 「『毒島《ぶすじま》かれんは、実生活の素行にも何ら問題はない。既成《きせい》の声優のような先入観も有さず、無地の状態である。これらの情報から、高天原かほりの声を受け持つには最適な人選であると結論できる』」  そして、笑って続けた。 「こうも書いてあるわ。『眼鏡《めがね》をはずした容姿は好印象を与え、本人の露出も問題ない』って。彼は、あなたに合格点を与えたのよ」 「かれん、良かったじゃない。可愛《かわい》いってお墨付《すみつ》きだってさ」  いい歳《とし》こいて、人前で親バカはやめろよ、おかあ。 「ここまで完璧《かんぺき》に調べあげてから、木戸はビッグ・ウエイヴに接触してきたわ。そして交渉を始めると、とんでもない事が判明した」 「あたしと、おかあを勘違いしてたってことね」 「木戸は、かほりのCVがお母さんだと世間に知られる前に、私を使って、かれんを引きずり込んだのよ」 「おかしいと思ったの。なんの経験もないこの子に、いきなり、お声がかかるなんて」  おかあが納得したふうで言った。 「今考えると、写真のあがった|H P《ホームページ》も、本当に実在したのかは怪《あや》しいものよ。私はユーザーをひっかける側にいると思ってたわ。でも、何のことはない、私達もひっかけられてたのよ。木戸の手の中で踊ってたってわけ」 「あたしとしては、十分驚いたけど、信じられないって程でもないよ。あの人ならそれぐらいのこと、やりかねないもの」 「そこまでして、ゲームに出てくる女の子にこだわる必要があるのかしら」  と、おかあが訊《き》いた。 「架空のアイドルでどこまで大衆をコントロールできるかの実験だったようです。かほりを完璧なアイドルにするために、かれんにも、かほりのイメージを植え付けようとしたでしょ、病気の男の子のお見舞いをさせたりして」 「それには、わたしみたいな太っちょのオバさんじゃ、都合悪いわよねぇ」 「はじめは木戸も、実験程度で終わるつもりだったらしいわ。でも、かれん、あなた自身がシナリオを書き換えてしまったのよ」 「あたしが?」 「初めてステージに立ったゲームフェスで、かれんは一瞬にして観客を虜《とりこ》にしたわよね」 「なりゆきで、あーなっただけだよ」 「あの瞬間から、あなたとかほりは完全にシンクロしたわ。試しに骨髄《こつずい》バンクのキャンペーンに使ったら、あの反響でしょ」 「あれはあれで良かったと思ってる。カッコつけるわけじゃないけど、いいことしたかなって」 「木戸はすごい武器を手に入れたと思ったのよ。実験でとどめておくには、あまりに惜しい。そこで、かねてからのプランを実行に移すことを決断した」 「かねてからのプラン? 何よそれ」 「お母さん、ビデオをお借りできますか?」 「はいどうぞ」とおかあはリモコンをおねいに渡した。 「木戸のパソコンに入ってた動画のファイルよ。TVCFの試作品らしいわ」  おねいがカセットを入れて再生ボタンを押すとアニメが映った。  バァちゃんの手をひいて、いっしょに横断歩道を渡るかほりが、あたしの声で「助け合って素敵な未来にしましょう」と言った。社会保険庁の広報だった。  他にも『火の用心』『イジメをなくそう』『非行防止』『ストップ・ザ・薬物《ドラッグ》』いかにも、それふうな政府広報のアニメCFが続いた。 「これなんか、かなりヤバそうだけどね」  と、おねいがテープの頭出しをすると、波を蹴立《けた》てて進む灰色の自衛艦の映像になった。甲板《かんぱん》にヘリコプターが着艦して、真っ白な海上自衛隊の制服を着たかほりが降り立った。画面に向かって敬礼したかほりは「責任感のある人、好きです」と微笑《ほほえ》みかける。画面に『自衛官募集中』の大きな文字がうかんだ。 「可愛い女の子、メカ、制服のコスプレ。男の子に人気の三点セットね」  アニメ声優歴十五年のおかあが評した。 「かほりファンなら間違いなくイチコロでしょうね」  と、おねい。 「まとめ録《ど》りの台詞《せりふ》が、こんなことに使われてたんだ……」 「これらは、こういう使い方もできるってクライアント向けにつくられたプレゼン用の試作品で、実際に放映するかどうかは未定らしいわ。木戸の木当の狙いは別にあるの。二年後にね」 「二年後? 来年の話でも鬼が笑うってのに」  おかあが呆《あき》れたように言った。 「かれんと一緒に、かほりは歳《とし》をとることになったって聞いたでしょ? 二年後っていえば、かれんは…………」 「うーーん、数えだと、そろそろ二十歳《はたち》かな」 「そうよね。二十歳といえば何を考える?」 「骨髄パンクのドナー登録。新聞でも言っちゃったしね」 「おかしいと思わなかった? キャンペーンで、やたら二十歳を強調させたのを」 「でも実際に二十歳からなんだから、しょうがないんじゃない?」 「他には?」 「そうねぇ、お酒にタバコ、パチンコに競馬。あとエッチなゲーム。あ、あれは十八禁だ」 「お前、本当に馬鹿ねぇ。もっと重要な事があるでしょ。学校でなに勉強してんだろうね」  と、おかあは言ったけど、あ、そーか! 「悪いことすると、新聞にバッチリ名前が出る」 「親として恥ずかしいわ……」 「わからないかしら? お母さんは、お気付きのようだけれど」 「??????????????」  おねいは静かに言った。 「選挙権よ」 [#改ページ]    18 ハーメルンの笛  私はカラープリンターで印刷しておいた画像データを、かれんと母親に見せた。  ただし、隅《すみ》を手で覆《おお》って。  海外の大学のキャンパスとおぼしき実景に、CG合成したかほりがレイアウトされている。清純なまま成人した彼女は、おとなしめのファッションを装い、両手には英語のハードカバー本を抱えている。派手さを削《そ》ぎ落としたトラッドなスタイルが、ファンの持つイメージを裏切らないのだろう。  でしゃばらない大きさの文字で『はじめての一票』と書かれていた。 「これも木戸《きど》のパソコンに入っていたの。何のポスターだと思う?」  私の問いに。 「若い人が棄権《きけん》しないようにって、呼びかけかしらね」  と、母親が言った。 「かれんと、かほりが成人する年は、今の予定だと衆参同時選挙になるはずです」  私が補足した。 「そんな先まで、政府公報の仕事しなきゃあならないわけ?」 「かれん、政府広報の契約は来年の夏までなのよ」 「ではこれは……」  母親が気付いたようだ。  私は、ポスターの隅を隠していた手をどけた。その下には「誠民党《せいみんとう》」の三文字が隠されていた。誠民党は、現在両院で過半数を占めている与党だ。 「神代《くましろ》さん、これは、ひょっとして比例代表区向けの?」  母親は全《すべ》てを見抜いていた。 「はい、おっしゃるとおりです」 「なにを二人で納得しあってるの?」  母親が噛《か》んで含めるように、娘に教えた。 「お前は生徒会の選挙くらいしか経験がないから知らないのは無理もないけれど、国会議員の選挙は、候補者の名前とは別に支持する政党名を書くの。その得票数の多い政党順に議席を振り分けていく。それが比例代表制ってやりかたの選挙」 「だから、投票所で党名を書かせた政党の勝ちなのよ。かれんの声で喋《しゃべ》るかほりが、骨髄《こつずい》バンクヘの協力を訴えただけで、すごい数のドナー登録があったでしょ。あれと同じように………わかるでしょ?」 「そんなことしても、意味ないと思うけどな」  私は、木戸がシミュレーションしていた資料を見せた。 「かほりの呼びかけで、今まで足を運ばなかった若い層が投票所に来れば、全国で三十二万以上の新たな票の堀り起こしになると木戸は踏んでいるわ。そのほとんどが一つの政党に投票するとなれば、これはすごい事よ。木戸の試算だと、最低でも二議席。うまくすると当落ライン上の候補が当選して、五議席の上積みになる可能性まであるとソロバンを弾《はじ》いてる」  木戸の資料は詳細を極《きわ》めていた。『高天原《たかまがはら》かほり』と書いて投票される無効票の数まで試算されていたぐらいだ。 「でも、おねい、あくまで仮定の話でしょ?」 「既《すで》に始まっているのよ。木戸達はプロジェクト・ハーメルンって呼んでるらしいわ。骨髄バンクのキャンペーンで、二十歳《はたち》のかほりを強調したのも、これのためよ」 「ハーメルン? どっかで聞いたことあるな」 「童話じゃないかしら。わたし、ラジオの子供番組で朗読した記憶があるわ。男が吹く笛の音で、街の子供達が操られちゃう話よ」 「木戸のいる第五制作部は、政府公報の他に、政党のPRも手掛けるセクションです。彼は、選挙運動を裏で仕切る黒幕みたいな仕事をしているらしいわ」 「選挙のプロということ?」  母親が訊《き》いた。 「ええ」  木戸のパソコンには、過去の応援演説の草稿《そうこう》から、人相の悪い候補を人知れず美容整形してくれる腕のいい医師のリストまで、およそ考えられる選挙の裏データも蓄《たくわ》えられていた。 『マーケットをコントロールしていくのが僕らの仕事ですからね』と、木戸が言ったことがあったが、今考えると、マーケットとは、有権者の意味だったのだろう。 「かれんの留学話も、これがらみだったの」 「あたしの留学とどういう関係が?」 「今のかれんは、あなたとお母さんの前で言うのもなんだけれど、真面目《まじめ》でいい子だわ。でも、大学へ入った途端、遊び癖《ぐせ》がついて崩《くず》れちゃうのもいるでしょ。木戸はそれを警戒してるの。あなたの行動は、かほりのイメージに直結してるから、世間の目から遠ざけておきたいのよ。イギリスからでもネットワークで日本のファンと交流できるから問題はない。留学のイメージも付加できて一石二鳥。かほりとあなたの良いイメージだけを、日本に送ることができるでしょ。お目付役《めつけやく》のマネージャーをつけてやれば、生活が乱れる心配もないしね」 「あたしはイギリスヘ島流しにされるんだ……」 「木戸は、高天原かほりと、ぶすじま・かれん、二人の融合《ゆうごう》を謀《はか》っているのよ」  かれんは、ただでも大きい目を見開いて、次々に明かされる話を聞いていたが、母親は、娘がどす黒い策謀《さくぼう》に巻き込まれている事を知って、頬杖《ほおづえ》をついた。 「神代さん、お話はこれだけ?」 「はい、私が知り得たことすべてです」 「じゃ、ご飯にしよう」  かれんが台所に立った。 「炊き込み御飯を作ったらしいわ。お客さまをお迎えするなんて滅多《めった》にないから、張り切ってたみたい」  かいがいしく働く娘の後ろ姿を見ながら母親が言った。  かれんの手料理は芸が細かかった。いつの間にか好き嫌いをつかんでいたらしく、私のサラダのドレッシングだけは、ノンオイルの胡麻《ごま》風味だった。  デザートのリンゴを剥《む》きながら、母親が娘に言った。 「冷静に考えてごらん。留学はできるし、高天原かほりがいる限りお前に仕事はくる。CDも出せる。食いっぱぐれる心配はないわ。今、声優を目指してる若い子って大変なのよ。アルバイトで食いつないで、オーディションを受け続けて。そこまでしても、レギュラーの仕事なんて滅多に取れないのよ。それを考えれば、絶対、いい話だわ」  母親は驚いたことに、ずいぶん打算的なことを口にした。 「うん。それはわかるのよ、病気の人を力づけるのとか、骨髄バンクとかは、やって良かったと思ってるし。でも、選挙に利用されるってのは嫌だな。それにさ、あたしの生活に、かほりが入り込みすぎてると思うんだ。おねいの話だと、いつ、かほりと別れられるかわからないでしょ」  娘の言葉に満足気に頷《うなず》いてから、母親は言った。 「この前、録《と》ったビデオを神代さんに見せてあげて」  かれんが再生したビデオは、ふた昔前のアメリカ映画だった。テレビからの録画らしい日本語吹き替え版のラブロマンス。母娘《おやこ》は黙って観ている。 「この映画、見たことあります。中学の頃、この俳優、流行《はや》ったんです。すぐに死んじゃったけど。確か、カール・ウッドワードですよね」 「ウッドワードを吹き替えてるのが、この子の父親なの。いまだにあの人の声のイメージが強くて、新しい日本語版を作れないらしいのね。今でも再放映のたび、わずかばかりの出演料が振り込まれてくるんです。考えれば不思議よね。亡くなって十四年たってるのに、声は残ってるんだから」 「おとうの声ってグッとくるでしょ。おかあも、この声に落ちたらしいよ」 「三歳の時に別れたから、この子には父親の想い出ってほとんど無いでしょう。不憫《ふびん》に思って、あの人の残した声ばかり聞かせてたの。これがお前の父さんよって。そしたらね……保育園でお昼寝の時間に保母さんが見てた昼の映画劇場で、ウッドワードが出たらしいの。それを見て『お父さんだ、お父さんだ』って騒いじゃったのね。頭がどうかしちゃったんだと思われて、わたしの仕事場に呼び出しの電話がかかってきたわ」  母娘は、クスクス、笑いをかみ殺している。 「小学校にあがるまでは、ウッドワードが、おとうのような気がしてたんだよなぁ。それ考えれば、あたしと高天原かほりをゴッチャにするヤツがいるのもわからないではないよね」 「あの人は最期《さいご》まで、ウッドワードの影に悩んでいた。どうあがいても、一度、貼られたレッテルがはげないの。亡くなった今でもウッドワードなの。はたから見ると喜劇かも知れないけれど、あの人にとっては悲劇だった。…………………神代さん」 「はい?」 「この子には、父親と同じ経験をさせたくないんです。そろそろ、高天原かほりから卒業させてやりたい」  返す言葉がなかった。  木戸にそそのかされたとはいえ、手練手管《てれんてくだ》で、かれんを巻き込んだのは、私なのだ。 「ほんとうに……もうしわけありません……」 「おねいが謝ることなんかないよ。それに、あたし、けっこー、楽しんでるんだし」 「でも………」 「神代さん、ここでそんなこと言ってもどうしようもありませんよ」  母親は、寛容《かんよう》に言った。 「それよりせっかく頂《いただ》いたチェリーパイを御馳走《ごちそう》になりましょう。かれん、紅茶いれてちょうだい。なにが合うかしら、ダージリン?」 「ったく、おかあも少しは動けよな。だからそんなに肥《こ》えちゃうんだぞ。それに甘いパイなら、濃いめのアッサムだろうが」  愚痴《ぐち》りながらも、かれんが台所に立った。  母親の言ったとおり、今となっては私にどうすることもできない。大きなうねりに、ただ流されていくより術《すべ》がない。私の胸だけにしまっておいて、母娘二人っきりの、この小さな家族の耳に入れる必要はなかったのではないか、知らなければ、それで済むことではなかったか。後悔と疑念が湧《わ》いてきた。 「神代さん、教えてくれてありがとう、とってもうれしかった」  かれんが台所から、わざと、かほり声で言った。 「お前、もう手遅れだわ。完全に影響されてるもの」  母娘は、声をあげて、朗《ほが》らかに笑った。 [#改ページ]    19 ウルシバラ・ミサオ  かほりが一人のタレントとして世間に受け入れられるにつれ、|C   V《キャラクター・ボイス》のあたしも遅ればせながら露出の機会を与えられた。とは言うものの、普通の声優のような、イベントライブ、コンサート、学園祭なんかじゃない。木戸《きど》さんが選んできたのは、オタク雑誌が取り上げるようなものじゃなく、どちらかといえば新聞の社会面向きだった。どうも若い男にばかりじゃなく、いろんな世代に取り入ろうとする戦略らしくて、かほりがカバーしきれない部分を、生身《なまみ》のあたしにやらせているらしい。これもプロジェクト・ハーメルンなのかな。  例えば、  ソバックスとビッグ・ウエイヴが、ゲーム機とソフトを提供して、老人のボケ防止や指先のリハビリにゲームを役立てるという、企業のイメージアップが計画されて、あたしがそのプレゼンター役に選ばれた。老人ホームに連れていかれて、じーちゃん、ばーちゃんたちと、日がな一日、いっしょにTVゲームをさせられた。「孫のようだ」と喜んだ罪のない老人たちは、あたしの手に百円玉を握らせるんだ。かなり罪なことだと思う。  盲学校の訪問もした。今まで気付かなかったけど、視覚|障碍《しょうがい》の人達にこそ、ラジオは大きな力になっている。そこには高天原《たかまがはら》かほりではなく、ぶすじま・かれんのファンがたくさんいた。こういう人達のためにも、ラジオの仕事はおろそかにできないと思った。これがきっかけで、朗読のボランティアを始めたほどだ。  付き添ってきた木戸さんは、校長にさりげなく、確かめるように尋《たず》ねた。 「国政選挙には点字で投票できるのですね」  背筋が凍った。なんて恐ろしい男だろう。  その木戸が、あたしに留学のことを告げたのは、それからすぐだった。おねいに言われたように、オーバーに驚いてみせたが、即答は避けた。 「私かいなくなると、母が一人っきりになりますから」  と、あまり乗り気じゃない感じで答えた。 「お母さんも、君のことを考えれば、賛成してくれると思うよ」 「でも」 「君の留学が決定したら、神代《くましろ》君はビッグ・ウエイヴを辞《や》めて、博通社《はくつうしゃ》に入社する予定だ」 「え?」  これは初耳だ。 「イギリスの支社で、ヨーロッパのゲーム市場のマーケティングをしながら、君のマネージメントをしてもらおうと思っている。君のためにも神代君のためにも、是非、前向きに検討して欲しいんだ」  そう木戸は言ったが、おねいから聞いていたように、あたしの留学はもう決定済みで、どうも事後承諾《じごしょうだく》の手続きらしかった。  それは、こんなことからも、うかがえた。  インターネット放送で、あたしの相手役の部長を演じてるのは、梅津《うめづ》清美《きよみ》っていう、俳優のタマゴ兼声優の二十二歳のお姉さんなんだけど、今では、ウメちゃん、ブス、で呼び合う仲だ。 「今日、ちょっと暗いんだよなー、自分」  本番前にウメちゃんが言った。 「どしたの?」 「ブスは聞いてない? この番組、来年の七月で終わっちゃうらしいよ」 「え? 聞いてないよ」 「高天原かほりが留学しちゃうから、外国の新学期に合わせて打ち切って、新番組になるんだって。自分はクビ決定みたい。聴取率もいいし、ゲームもシリーズ化してるから、大丈夫と思ってたんだけどなぁ。これなくなると、きついんだよ。それまでにレギュラーを一本みつけないと、生活、厳しくなるかもしんないねー」 「ウメちゃん、他のオーディション受けないの? 部長も隠れ人気あるから役がつくよ」 「あんまり受けちゃうと、舞台のほうにさしつかえるからさ。あくまでも自分は女優って覚悟してるから。それに部長っても、キャラとして一人立ちしてないからね。ゲームの声で一本つかんじゃいたいけど、競争厳しくてさ」  昔のおかあを見てるみたいだ。 「ま、そんな先のことは置いといて、今日もしっかり、やりまっしょ」  ウメちゃんは、いつも元気な人だ。  その日の電話相手は、鈴木《すずき》って名前の大学生だったけど、これが大ハズレ。暗くて粘《ねば》っこい声を出す、絶滅したかと思われてた、悪い意味でのオタクっぼい男だった。 「鈴木先輩って、大学でどういう勉強してるんですか?」  ——勉強してないよ。遊びに行ってるようなもんだから、へへ…… 「スポーツとかしないんですか?」  ——おれ、カラダ動かすの嫌いなの。 「趣味は?」  ——ゲームだよ、決まってんじゃない。へへへ………  すべてがこの調子。ディレクターは、切り上げて電話を終えろと、あたしに指示した。 「先輩、それじゃ。失礼しまーす」  ——ちょっと待ってよ、ぶすじまちゃん。 「え? 私は高天原ですよ」  こいつ、番組の約束事まで忘れてやがる。  ——あ、そうか。そうだったよな。でも、君、すごいよね。セイシュンガクエンのウルシバラミサオとかさぁ。 「え? ウルシバラなに?」  ——ヘヘヘヘ………  プツン、向こうから切りやがった。  放送が終わってからもウメちゃんは、 「あー、気持ちわりぃー。アイツみたいのがいるから、ゲームが好きってだけで、まじめな子が色メガネで見られるんだよ」  と、イカっていた。  不機嫌なのは、木戸も同じだった。 「今日の電話相手は最低だな。神代君、きちんと調べなかったのか?」 「すいません。私の人選ミスです。事前に電話したときは、良い青年だったんですけど、かれんの声で、隠してた本性が出たんだと思います」  おねいは、木戸とスタッフに頭を下げた。 「なら、君を責めても仕方ないな。でも変なこと言ってたな『セイシュンガクエンのウルシバラミサオ』とか。知ってるかい?」 「さぁ、見当もつかないけど」  おねいは首をかしげた。 「いちおう調べておこう」  木戸は、手帳を出してメモった。                     ※ 「あたしが留学すると、博通社に転職するってホント?」  帰りの車の中で、おねいに訊《き》いてみた。 「木戸が言ったのね」 「おねいには、すごいチャンスじゃない」 「どうかしら、能力が認められてのヘッドハンティングってのは、?がつくわね。木戸はこう考えてるんじゃないかな。高天原かほりをコントロールするのは、かれん、かれんをコントロールしてるのが、私って。CM風に言えば、今、神代|美代子《みよこ》を買うと、もれなく、ぶすじま・かれんがついてくる」  そして、おねいをコントロールしてるのが木戸? と思ったが、口には出さなかった。 「木戸のパソコンに日記が入ってたって言ってたでしょ。おねいのことは書いてなかったの? なんつーかさ、個人的な……」 「無かった。データを盗んだ時には、木戸と個人的なつき合いはしてなかったし」 「今でも木戸と、デートしてる?」  おねいは答えなかった。 「かれん、あなた木戸のこと呼び捨てね」 「あ、………」 「いいのよ。私の前では呼び捨てで。気にしてないわ」  赤信号で停《と》まったおねいが、前を見たまま言った。 [#改ページ]    20 操もかれん? 「神代《くましろ》君ッ!」  大声をあげて、木戸《きど》がビッグ・ウエイヴの分室に飛びこんできた。 「おはようございます」との私の挨拶《あいさつ》にも、返事はない。 「これを見たまえ」  木戸が、黒地に『性春学園2002』と|金の立体文字《エンボス》で印刷された、十八禁パソコンゲームのパッケージをデスクに置いた。 「これが、何か?」 「ネットで騒ぎになって品切れの所も出ている。昨日、やっと手に入った」  氷のように冷静な木戸が、いつになく取り乱している。  木戸が、ノートパソコンを開いて、起ち上げると、画面に可愛《かわい》い女の子が映った。 「これが漆原《うるしばら》操《みさお》だよ。そっくりじゃないか、高天原《たかまがはら》かほりに」 「言われてみると、そうも見えるけど」 「かほりだけじゃない、他のキャラも、ゲームの設定も、『高千穂《たかちほ》』にうりふたつだ」 「ひとつ当たれば、二匹目のドジョウを狙うヤツが出てくるものね」 「君は何を呑気《のんき》なこと言ってるんだ」  木戸は、既《すで》にクリア済みらしく、要領よくゲームをすすめていく。かほりによく似たキャラ、漆原操が、一枚ずつ制服を脱いで、最後には全裸で身をくねらせ、 『ダメよ、そんなことしちゃ、あぁー』と、あられもない声を上げた。 「声まで毒島《ぶすじま》君そっくりに作ってあるだろ」 「よく聞いてみないとわからないけど」  木戸はボリュームを上げて、再度画面をクリックした。 『いやッ、あん、あん、だめぇ、あぁーっ』  ノートパソコンの小さなスピーカーから、割れた大きな声がした。朝のオフィスには不相応な嬌声《きょうせい》に、周りの社員が冷たい視線で私達を見るが、木戸は気にする様子もない。 「絵柄といい、声といい、確かに似てるわ」 「だろう。ふざけたことしやがる」  木戸の目は怒りで血走っていた。 「あなたが熱くなることないじゃない。高天原かほりは、我が社の著作物よ」 「……それはそうだが」 「上司に相談しなければいけないようね」 「俺の育て上げたかほりを……どこの野郎だ」  興奮した木戸には言わなかったが、それは、かほりを産みだした連中だった。パッケージに、【�ドリーム・テック】と、あったのだ。  ヒット商品に類似品《るいじひん》がついて回るのは世の常だが、『性春学園2002』は、あまりにも露骨《ろこつ》だった。設定から登場するキャラクター、|C   V《キャラクター・ボイス》の声質まで、すべてが『高千穂』の模造品といってよかった。特に、トップキャラの『漆原操』は、見た目にとどまらず、台詞《せりふ》やその声まで『高天原かほり』のクローンと言って差し支えないほど似ていた。  その日のうちに管理職会議が開かれ、木戸の持ってきた『性春学園』が技術課でコピーされ、資料として配られた。 「これは明らかに著作権の侵害じゃないか。弁護士と相談して、法的な手段に訴える」  統括《とうかつ》部長が苛立《いらだ》たしげに言った。理由は何にせよ、こっちもソフトをコビーしたのだから、著作権を侵《おか》しているのは、お互い様じゃないだろうか。 「早まらないほうが良いと思います」  冷静さを取り戻した木戸が言った。 「どういうことかね」 「今は、ネットワークのごく一部で話題にのぼっているだけです。仮に法的な手段をとれば、世間に知られるのは必定《ひつじょう》です。そうなれば、寝た子を起こすことにもなりかねない。高千穂と高天原かほりのイメージが傷つくだけです。相手は高額な陪償金《ばいしょうきん》など払えるはずもありません。法律で勝っても、こちらの受ける傷が、あまりに大きすぎます」 「では、どうしろというのかね」 「一般に知られる前に販売をやめさせて、市場に出た製品を回収するのです」 「神代君、君はよく知っているだろう。ドリーム・テックとは、どういう所なのかね」  統括部長が私に訊《き》いた。 「社員数名のごく小さなソフト・ハウスですが」 「そのような零細《れいさい》企業は、裁判でもちらつかせれば、すぐに折れるでしょう。まず私が行ってみます」  木戸は休む間もなくタクシーを呼んで、私とドリーム・テックに向かった。 「一応、連絡してから行きましょうよ」  と、私は自分の携帯《けいたい》のメモリーを呼び出したが、木戸は手を伸ばして電源を切った。 「何するのよ」 「考えたまえ、逃げられでもしたら厄介《やっかい》だろう。いきなり行く」  タクシーの中でも、木戸はノートパソコンで、漆原操の姿を見て、その声を聞いていた。 「あまりに似ている。まさかこのCV、毒島君ではないだろうな」 「馬鹿なこと言わないで。ちゃんと私が管理してるわよ。考えてみればわかるでしょ、あの子に、こんなきわどい演技《しばい》ができるわけないじゃない」 「それもそうだな」  かれんのプライベートまで知り尽くしている木戸は納得した。 「やり口が、あくどい。声優の名前を一切出してない。これでは、あのラジオのバカのように、勘違いするヤツが出てくるぞ」 「社の顧問《こもん》弁護士と相談して、まず出荷停止の仮処分を……」 「高天原かほりと毒島君のイメージを守ることが先決だ」 「『高千穂』全体のでしょ?」 「あぁ、もちろんだ」  付け足すように、木戸は言った。                     # 「何とまぁ、これでも会社といえるのかね」  ドリーム・テックの玄関前で、その構えを見た木戸が、ドアの横に積み上げてあった出前の丼《どんぶり》を蹴《け》った。  チャイムを鳴らしもせず、木戸がドアを開けたとたん、 「あんた達、こんなことして恥ずかしくないの!」  女の激しい怒声《どせい》が耳に飛び込んできた。烈火《れっか》の如《ごと》く怒りまくっているのは、かれんの母だった。石森《いしもり》以下、六人の若い男は、ボカンと口を開けて、まくし立てる巨体を見ている。 「ですから、それはまったくの偶然で」  と、ようやく石森が言っても、かれんの母は聞く耳を持たない。 「うるさいっ、最後まで聞きなさい。どこで見つけてきた声優か知らないけど、かれんと同じような声で、はしたないゲームこさえて。うちの子はまだ高校生だよ。何の恨《うら》みがあるのさ。あのラジオの晩から、家の電話は変な男からので鳴りっぱなしだよ。可哀想《かわいそう》にあの子、ノイローゼになっちゃうわ」  母親は、いっきにまくし立てて息をつくと、私達に気付いた。 「あら、木戸さん、神代さん、コイツらひどいのよ。やっと半人前になったばかりの、かれんの偽者《にせもの》で金儲《かねもう》けしてる」 「お母さん、私達もその件で来たのです」  私は母親に言った。  狭い部屋の中には『性春学園』が所狭しと積み上げられ、一つしかない電話の受話器が、フックにとどまる暇《ひま》もなく鳴り続けていた。ファックスも商品発注のオーダーを吐き出し続け、用紙が床に積み上がり山をなしている。 「弁護士を伴って来てもよかったのですが、今日のところは……」  名刺を取り出そうとする木戸に、私達の用向きを察した石森は、 「こんな状態ですから、ここではお話しできませんので」  と、慣れない受注処理の事務仕事に追われる社員達に指示を与えてから、マンションの向かいにある喫茶店へ私達を案内した。  私、木戸、かれんの母が、石森に向かい合った。 「俺と、こちらの奥さんはいつものヤツね。そっちとは伝票を別にして」  顔なじみらしいウエイトレスに、石森は告げた。 「僕たちはいい」  木戸はウエイトレスを追い払うように言う。 「今日、私達が来た理由を、あえて説明する必要はないと思うが、おたくの」  木戸の言葉を最後まで聞かず、 「そちらがどうおっしゃろうと『性春学園』は、うちのオリジナルですから」  石森は、オリジナル、を強調しながらも穏《おだ》やかに言った。 「キャラクターが似ているのは誰の目にも明らかだ。特に高天原かほりと、漆原操はそっくりだ。最も人気の高いかほりに似せるとは悪質以外の何物でもない」  木戸は居丈高《いたけだか》だ。 「それは否定しませんよ」  石森は、意外にも素直に認めた。 「両方とも、うちの社員のデザインによるものです。高天原かほりも、漆原操も、彼が力を入れたキャラクターです。姉妹のようなものですから似ているのも当然でしょう」 「言い逃れですな」 「確かにドリーム・テックは『高千穂』に関する全《すべ》ての権利をビッグ・ウエイヴさんにお渡ししましたが、まさか社員の才能まで買い上げたと思ってはいないでしょうな」  木戸は唇《くちびる》を噛《か》んだが、すぐに反論した。 「どう言おうと、漆原操というキャラクターは、高天原かほりをもとに作られているのを否定できないでしょう」 「できます。事実はその逆ですから」 「いいかげんにしろ!」  木戸は気色《けしき》ばんだが、石森はあくまで平静だ。 「『高千穂学園』は、うちで開発途中だったタイトルを、急遽《きゅうきょ》、家庭用ゲームに改造したものでした」 「そんな都合のいい話を信じられると思うのか!」 「三年前に、その作業をした人が、あなたの隣《となり》にいますよ」  木戸は、信じられないふうで私の顔を見た。 「本当か?」  私はうなずいた。事実だった。 「うちは、オリジナルの企画を復活させて商品化しただけです」  私は、石森に言った。 「でも市場《しじょう》に出たのは『高千穂』が先。社長の理屈は通らないわ。訴訟《そしょう》となると時間もお金もかかるのよ。万一、そんな事になったら、言っちゃ悪いけど、社長の会社、つぶれちゃうよ」  木戸が、勝ち誇ったように冷たく笑う。  しかし石森は、博通社《はくつうしゃ》とビッグ・ウエイヴを相手にしているとは思えぬほど落ち着いていた。 「おっしゃるとおり、ウチみたいな[#原本は「な」無し]零細《れいさい》企業は潰《つぶ》れちゃうでしょうね、でも、公《おおやけ》の場に出たなら、こちらも言わせてもらいます。『高千穂』を開発したのはビッグ・ウエイヴではなく、アダルトゲーム専門のドリーム・テックだってこと。『性春学園』が『高千穂』の原型ということ。高天原かほりは漆原操と双子の姉妹だってこと」  石森の反撃は、木戸の急所をついた。 「では、ことが大きくなるのも、やむを得ないわね」  と、私は言ったが、木戸は口をへの字に結んで黙《もく》したままだ。  私には木戸の気持ちが手に取るようにわかった。  二年後に、ハーメルンの笛を吹くまで、かほりとかれんのイメージを守り通さねばならず、その理由を他人に明かすこともできないのだ。  ウエイトレスが、コーヒーとミルクティーを、石森とかれんの母の前に置いた。かれんの母は、まくし立てて咽《のど》が疲れたのか、無言でミルクティーを飲んだ。  木戸は切り口を変えた。 「では『性春学園』に出演している声優のリストをお渡し願いたい」  かれんの潔白《けっぱく》を証明するためだ。 「できません」  石森は、そう言うと、ブラックのままコーヒーをひとくち含んだ。 「なぜです。隠す必要はないでしょう」 「彼女らの名前を教えるわけにはいきません。お教えできるのは、ビッグ・ウエイヴさんのお使いになられた声優は一人もいないということだけです。もちろん漆原操を演じたのも、毒島かれんさんではありません」 「ならば、教えても良いではないですか」  木戸が問いつめる、 「あんな仕事を喜んでする声優はいませんよ。彼女たちはみんな駆け出しです。明日、世に出るため、今日、うちの仕事をしている。彼女たちの将来に、こういう仕事をしていた過去はプラスにはならない。だから当社のソフトでは声優の名を一切、出さない」  石森は毅然《きぜん》と言った。  業界の実状を知るかれんの母親は、不承不承《ふしょうぶしょう》、認めたのか、わずかにうなずいた。  交渉は決裂した。これ以上、互いの理屈と権利を言いつのっても平行線なのは目に見えている。石森を残し、私達三人は憮然《ぶぜん》と喫茶店を出て、タクシーを拾った。  木戸はパソコンにヘッドフォンをつけて、かれんの母親に漆原操の台詞を聞かせた。 「毒島さん、誰の声か判りませんか?」  母親はしばらく聞いていたが、首を振った。 「ごめんなさい。わたしだって新人全ての声を知っているわけではないし、その予備軍まで含めると、もう把握《はあく》できないわ」 「そうですか……」 「でも、娘の喋《しゃべ》りを研究しているのは間違いないわ。語尾《ごび》の上がり方、間の取り方、え行の母音のアクセントが弱いのまで、そっくりに真似ている」 「確信犯ということだな」  木戸は液晶画面の漆原操を睨《にら》んだ。  近くの駅でタクシーを[#原本は「を」無し]停《と》めて、かれんの母親を降ろした。  降り際《ぎわ》に、 「お母さん、これから、ちょっと荒れると思うの。こういうドロドロしたことは、あの子の耳に入れたくないけれど、無理でしょうね。かれんには辛《つら》いことになるけど許してください」  と、私は言った。 「ありがとう神代さん。よろしくお願いします」  母親は駅に消えた。 「ドリーム・テックの奴《やつ》ら、我々が来ることを予測してたようだな」 「向こうの言うとおり、下手《へた》すると、共倒れになるわ」 「まず毒島君と漆原操が無関係だってことを、一刻も早く明らかにしなければ。あの子や、お母さんのためにも」  自分のためじゃないの? とも思ったが、心の内にとどめて、顔には出さなかった。 「どうする? CVが誰なのか、皆目《かいもく》、見当がつかないわよ。ベテランのかれんの母親が聞いても判らなかったもの」 「録音スタジオの線から、しらみ潰《つぶ》しにあたれば、尻尾《しっぽ》はつかめるだろう。あんな弱小が使うスタジオなんか、決まってるさ」 「ラジオの電話相手は、しばらく小学生にしない? そろそろ冬休みで聴取率が上がるのに、この前のような事になると取り返しがつかないから」  木戸は答えず、ただうなずいた。  そして、 「早く手を打たなければ、こうしている間にも、『性春学園』が市場に流れて行く……」  と、自分自身に言い聞かせるように呟《つぶや》いた。                     #  私の帰社報告を待っていた管理職達は、芳《かんば》しい知らせを期待していたが、あらましを聞いて天を仰《あお》いだ。詳細を調べた顧問弁護士は「十分勝算はある」と確約したが、問題は法的な勝ち負けを通り越して、かなり複雑だ。今や我が社の看板商品となった、純愛をうたう『高千穂学園』の出自《しゅつじ》は、その対極にある十八禁のエロゲーで、しかも、実際に開発したのは、それを専業とする小さなソフトハウス。このことが世間に知られれば、『高千穂』に留《とど》まらず、ビッグ・ウエイヴのイメージダウンは避けられない。対応を誤ると、火傷《やけど》どころか、火に油を注ぐことにもなりかねない。 「博通社サイドは、高天原かほりを中心とした『高千穂』のイメージアップ作戦で守りを固める方向で、すでに対応を検討しています。へたに動くより、事態を静観したほうが得策と判断したようです」  私が報告を締めくくると、会議の流れは、ひとまず動きを見定める方向で落ち着いた。パソコンゲームのユーザー数は、家庭用ゲーム機の十分の一にも満たないので、一過性《いっかせい》の騒ぎで収まる可能性が高いと管理職達は考えたのだ。  木戸は、矢継ぎ早に手を打った。  翌週からの|TV《テレビ》には、老人の手を引いて横断歩道を渡る、かほりの政府公報が流れ始め、ラジオのかほりは、小学生の優しい姉となって、教育TVのお姉さんレペルで話しかけた。  かれんには、急濾《きゅうきょ》、クリスマスソングを歌わせてCDを制作した。ジャケットの表はサンタクロースの格好をした高天原かほりだが、裏は同じ姿のかれんの写真だった。このCDで初めてアーティスト名が『高天原かほり(ぶすじま・かれん)』とされ、クリスマスには、かれん自ら施設の子供達に、|プレゼント《ゲームソフト》を配達させる企画も立案された。  身を粉《こ》にして働く木戸に、ビッグ・ウエイヴ側は全幅《ぜんぷく》の信頼をよせた。木戸の真意を知る私は、大切な娘を里子《さとご》に出した上司達を愚《おろ》かしく思ったものの、どうすることもできなかった。  私が密《ひそ》かに『かほり&かれん・よい子作戦』と名付けたこの対応で、『高千穂』の、かほりの、かれんの、イメージは傷付くことなく守られた。  その一方で木戸は陰湿《いんしつ》な報復《ほうふく》を企《くわだ》てた。  石森のドリーム・テックで開発したソフトは、外部の業者に委託して、CDロムにプレスされ商品となる。そのプレス業者の組合に木戸は圧力をかけたのだ。天下の博通社と、ゲーム業界の雄《ゆう》、ビッグ・ウエイヴに睨まれてまで、小さなソフトハウスの発注を受ける業者はなく、 『性春学園』の商品供給は途絶え、ドリーム・テックは沈黙した。最終的に市場に出た『性春学園』は、およそ[#原本は「そ」無し]三千本弱。問題になるような数ではなかった。 「雑魚《ざこ》が鯨《くじら》にからんでも飲み込まれるだけだ。のたれ死ぬがいい」  木戸は吐き捨てた。  雑魚が鯨に売った喧嘩《けんか》の勝敗はついたように思われた。 [#改ページ]    21 あたしってものは、何なんだ!  率直に認めちゃうけど、あたしは、お金に弱い。  それも、ひどく弱い。  お金のためなら、たいていのことはガマンできる。 「今度は印税がでるから」  木戸《きど》の、このひと言でグラリとゆれて、大急ぎで歌を録《と》って、ジャケットの写真を撮影した。プロのカメラマンにスタジオで写真を撮られるのは女の夢だ。あたしは少しのぼせた。クリスマスソングのジャケ写《しゃ》なら、粉雪の下にたたずむ毒島《ぶすじま》かれん、なんてのを思い描いてた。  けど、撮影スタジオで着せられたのは、商店街の歳末セールみたいな真っ赤な衣装だ。さらに腹が立ったのは、カメラマンもスタイリストも、あたしにはぜんぜん見向きもしないことだ。何を見てるのかといえば、サンタ姿のかほりのイラストなんだ。 「イラストのほうが背負った袋、大きいんじゃないか?」「この子は、かほりほど身長がないから、ブーツでごまかさなきゃならないわね」  つまり、あたしに要求されたのは、サンタクロースのコスプレをした、高天原《たかまがはら》かほりのコスブレだ。  いい加誠にしてほしい。 「かほりのイメージを裏切るな」って木戸《きど》に散々言われてきたけど、ここまで来ると、もう付き合いきれない。仮にかほりが死んだら、あたしも首くくらなきゃいけないっての?  さらにファインダーを覗《のぞ》いたカメラマンが、こうきた。 「キャッチライトが綺麗《きれい》に入らないから、コンタクトはずして。それと君ね、もう少し上品に笑えないか? かほりって娘はもっと清純なんだからさ」  じゃあ何かい、あたしが不純だとでもいうの? ひどいじゃないのよ………………… [#改ページ]    22 笛吹けど踊らず  そう怒るな。かれんは清純な娘だよ。私が保証する。  CDの予約も順調。 『性春学園』は市場から消え、危機は去ったかと思われた。  でも、木戸《きど》は大事なことを見落としていた。 『高天原《たかまがはら》かほり』は、かれんを触媒《しょくばい》として、ネットワークで急成長したアイドル。  ネットでは悪い噂《うわさ》が広がるのも早かったのだ。  あの夜の放送から、 「『高千穂《たかちほ》』によく似たエッチなゲームがあって」どうもそれは「『高千穂』の十八禁裏バージョン」らしいとの情報がネットで流れはじめた。  さらに、その中には「『高天原かほり』にそっくりの『漆原《うるしばら》操《みさお》』がいて」声までが似ている。どうも『その|C   V《キャラクター・ボイス》はぶすじま・かれんではないか』という方向に話が動いた。  現物が手に入らないから噂だけが先行し、 「『性春学園』を最低十万円で買い取ります」と言い出す輩《やから》まで現れた。  そして、ぶすじま・かれんの過去を詮索《せんさく》する情報が飛び交い始めた。 「可愛《かわい》い娘なのにファンの前に姿を現したのはごく最近だ」「それも普通の声優のような露出ではない」「きっと伏せたい過去があるに違いない」と、話題がスライドしてきたのだ。  この件に関しては、ビッグ・ウエイヴも所属事務所のオフィス・ミップスも、口を閉ざさざるをえなかった。極秘裏《ごくひり》に行われたCVの交代劇を、やぶ蛇《へび》に暴露《ばくろ》しかねないからだ。  謎が謎を呼び、「ぶすじま・かれん、実はエッチな声の声優でもある」派と「ぶすじま・かれんは、かほりの実存バージョン」派の、激しいネットバトルが展開されるに到っては、もう木戸のコントロールできる状況ではなくなった。  かれんの周囲には絶えずマスコミの影がちらつき、ラジオ局に通うにも、別におとりの車を仕立てて、本人は目立たないタクシーで裏口から密《ひそ》かに出入りさせる始末だった。                     #  土曜の夜、本番三十分前の帝都《ていと》ラジオFスタで、私は木戸に言った。 「CMで『類似品《るいじひん》にご注意ください』とでも言う?」 「殺虫剤でもあるまいし」 「かれんが可哀想《かわいそう》よ。あの子、あれで、かなり傷ついてるのよ」 「対策は考えてある」  そこに「お待たせー」と元気に、かれんが現れた。  放送部長役の梅津《うめづ》清美《きよみ》が、体から伸びたケーブルの束をさばいて、後ろから付き従う。 「ごめんね、ウメちゃん」 「ウエデイングドレスの、すそ持ちみたいだわ」  木戸が差し込みの原稿を二人に渡した。 「ラジオ放送前のインターネット放送で、これを読んでほしい」  目を通して、かれんは言った。 「逆効果じゃないの? 言い訳じみて聞こえるよ」 「そうよ。ブスは潔白《けっぱく》なんだから、無視してればいいのよ」  清美も同意見だったが、 「ネットで流れていることにはネットで対応するのが一番いいんだ」  と、木戸は判断したらしい。 「頑張って。しっかりね」  私はかれんに声をかけた。 「安心して見てて。私、これでもプロだよ。役者の両親から生まれた娘なんだから」  かれんが任せておけと、ドンと胸を叩いた。 「おいおい、無茶なことしないでくれ。センサーが壊れちゃうよ」  技術スタッフの注意に、かれんはペロッと舌を出した。  かれんの前には、かほりのCG像が映るモニターが据《す》えられている。それを鏡のように使って、分身をコントロールする。  何度かの試行のあと「よし、これでいいだろ」と、かれんが得心《とくしん》したモニターの中の高天原かほりは、かすかな困惑《こんわく》の色を浮かべていた。  その表情を保ったまま、 「部長、私、ちょっと困ってるんだ……」  の台詞《せりふ》で、ラジオの本放送五分前にインターネット放送が始まった。 「どうしたの、かほり」 「なんかね、私にすごく似てる人がいるらしいの。よその学校の子らしいんだけど」 「世の中には、自分とそっくりな人間が、三人はいるって、昔から言うじゃない」 「うん。でもね、その人、声までそっくりらしいの」 「きっと真似《まね》してるのよ。かほりが人気あるから」 「やだ、そんなことないですよ」 「さ、本番だよ、準備して」 「はーい」  いつもの明るいかほりに戻って、ラジオの本放送が始まった。かれんは放送開始から終了まで、曲やCMの間も、一瞬たりと気が抜けない。かれんの一挙手一投足《いっきょしゅいっとうそく》が身体《からだ》中のセンサーを通じて、ネットの向こうにいるリスナーに見られているのも同然だからだ。  今日の電話相手も安全策をとる木戸の指示で、私が小学四年生の男の子を選んでおいた。 「もしもし、石川《いしかわ》卓也《たくや》くん?」  ——はい、そうです。  活発そうな男の子の声だ。 「こんばんは、卓也くん」  ——あ、ちょっとまってね。  ゴツ、と受話器を置く音がした。 「卓也君、あれ、どうしちゃったのかな。卓也くーん?」  ——……ごめんなさい。カセットの録音ボタン押してきた。 「急に、いなくなったからビックリしちゃったよ。卓也君はサッカーやってるんだって?」  ——うん。 「ポジションは?」  ——補欠。六年までは試合にでれないから。 「そっか。私のお友達にも、畿内《きない》ひみこちゃんて、サッカー部のマネージャーしてるお姉ちゃんがいるのよ。今度、紹介してあげるね」  ——うん。でも、やっぱ…………… 「え? なあに?」  ——かほり姉ちゃんのほうが…………いい。 「うふふ」  木戸の狙い通り、幼い小学生との姉弟のような会話は、黒い噂《うわさ》を払拭《ふっしょく》するのに最適だった。  ——お姉ちゃんに、お願いがあるんだけど…………サイン、くれないかな………… 「私は、芸能人とかじゃないから、サインはできないよ。そうだ、せっかく録音してくれてるんだから、早く試合に出られるように応援してあげるね。『卓也君、頑張れ、ファイト!』」  ——ありがとう。ボク、お姉ちゃんの声、録音して、いっぱい集めてるんだ。 「え? ほんとう? 嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいね」  ——最後にもう一つ、お願い。ボクのためだけに言ってほしいんだけど。 「どんなことかしら?」  ——こんなこと……… 「ん? 卓也君? もしもし?」  カチリと音がして、電話の向こうから、かれんそっくりの声が返ってきた。 『あっ、あっ、あ——っ、ダメったらぁ。んあぁぁぁぁ。いやぁ—————————ん』 『性春学園』から録音した音声だった。  スタジオの時間が凍《こお》りついた。  止まった時計を再び動かしたのも、電話の向こうの少年だった。  ——お姉ちゃん、どうしたの? ボクのために、こういう声だしてよォ…………  幼い声の下に、残忍さが覗《のぞ》いた。  ディレクターが一方的に電話回線を断った。  画面のかほりは、ポカンと口を開けて呆《ほう》けた表情のまま、固まっていた。  それは、かれんも同じだった。  無音。  放送事故を恐れて、梅津清美が、かれんの足を蹴《け》った。  我に返ったかれんが口を開いた。 「なんなんだよぉっ、これはっ、ひどいじゃないよぉ」  悲鳴に近い裂《さ》くような声。  レベルメーターが完全に振り切れた。  かほりではなく、かれんの声だった。 「曲を早くっ!」  ディレクターの指示でCDが回って、発売前のクリスマスソングが虚《むな》しく流れた。 「あんまりだよ、こんなのって」  かれんがわっと泣いて両手で顔を覆《おお》った。かれんの手が顔面に貼られていた、いくつものセンサーをぶちぶち引き剥《は》がすと、マリオネットの糸を失ったかほりの表情は、失敗した福笑いのように歪《ゆが》んで固まった。唇《くちびる》の周りのセンサーだけが生きていて、かれんの泣き声に合わせて口だけが反応している。  モニターの中のかほりの顔は、醜《みにく》く崩《くず》れ、おぞましかった。 「バンクの絵だ。急いで!」  木戸が怒鳴る。|W  S《ワークステーション》に記録してあった意味もなく笑うかほりの映像に切り替えられた。 「もう、嫌だよ、ウメちゃん、ひどい、よ、なによ、こんな、ことま、で、しなくても、いいじゃない」  しゃくり上げながら、かれんが切れ切れに言った。 「ブス、しっかりして。曲開けまで二分しかないの。プロなんでしょ。ラジオの向こうで、みんな待ってるのよ。泣かないで頑張って」 「うっ、うっ、うっ……………」  かれんは泣き崩れた。もう限界だ。 「かれんをブースから出さなきゃ」  私が言うと、 「…………あ、あぁ、そうしてくれ」  木戸は血の気の引いた顔で、やっと答えた。  私はブースに入り、梅津清美に言った。 「後半の残り十一分、あなたがつないで」 「えっ?」 「かれんはもう駄目だわ。あなたしかいないの」 「……わかりました。何とかやってみます」  清美が決意を込めて言った。  腰が抜けたようになったかれんを抱えるようにして、ブースから連れ出す。 「しまった、なんてこった……」  ディレクターが呻《うめ》いた。次々に起こるアクシデントの処理に追われて、インターネット放送の音声をカットするのを忘れていたのだ。私と梅津清美の会話まで、すべてネットワークに流れてしまった。  虚《うつ》ろな目をして木戸が力なく椅子《いす》に座っていた。彼の手にあったハーメルンの笛が砕け散った瞬間だった。 「ラジオ放送を聞いている皆さんには、はじめまして。インターネット版のリスナーの方には、お馴染《なじ》みかと思います。私は高千穂学園放送部の部長です。名前は秘密。今日のパーソナリティー、高天原かほりは、一本の心ない電話で、かなり滅入《めい》っちゃいました。彼女は普通の女子高生なんだから許してあげてくださいね。えーと、どうしようかな、ハガキは、かほり宛《あて》のばかりだから、私が紹介しても意味ないし。かほりと初めて会ったときのエピソードでも、話そうかしら………」  梅津清美がかれんをフォローしつつ、気丈《きじょう》にアドリブで放送を続けた。インターネットの画面から、かほりの姿は消え、無人の放送室の画像が映っている。  私は泣きじゃくるかれんを泡きしめながら、玄関に集まったファンの目から逃れる、帰りのルートを考えていた。                     #  翌日と言わず、その日からネットワークはラジオの話題で騒然となった。  木戸は気を取り直して、失墜《しっつい》した、かほりとかれんのイメージ回復に全力をあげたが、必死の調査にもかかわらず、かれんの潔白《けっぱく》を証明する唯一の手段である、漆原操のCVは依然《いぜん》として不明のままだった。  翌週から、かれんは局に来なかった。  木戸は疑いを晴らすためにも放送するよう説得したが、かれんは頑《かたく》なに拒《こば》んだ。  当面、土曜の放送枠は、他の『高千穂』キャラが週替わりでパーソナリティーを務めることになったが、かれんとかほりに特化したCGシステムを使うことはできず、インターネット放送は休止された。木戸は契約を盾《たて》にしてまで、かれんをマイクの前に座らせようとしたが、彼女の決意は固く、高天原かほりの声が二度と電波に乗ることはなかった。  その木戸をあざ笑うかのように、全国のショップには『性春学園』が多量に出回りはじめた。国内でプレスできなくなった石森《いしもり》は、海外に発注してCDロムを確保したのだ。  需要が最高潮の時にプラスして、このラジオ騒動。ハングリーマーケッ卜になっていたことも手伝って『性春学園』は飛ぶように売れた。パソコンの前で漆原操の声に耳を澄まし、かほりのとの共通点の多さに驚いたファンが、ぶすじま・かれんが姿を消した理由を、隠していた別の姿が生放送で小学生に暴かれたためと解釈するのは、至極《しごく》当然のことだった。  それに呼応するようにネットワークでも数枚の写真が出回りはじめた。  極秘にされていた『高千穂学園放送部・土曜放課後クラブ』のスタジオで撮影されたものだ。エンジニアに囲まれているかれんのスナップ。顔面を埋め尽くすセンサーに、ケーブルだらけのデータスーツ、巨大なゴーグル。清純なイメージに程遠い機械じかけの姿は、劣勢《れっせい》気味といえども少なからず存在した『ぶすじま・かれん擁護《ようご》派』に大きな衝撃を与え、その支持は急速に萎《しぼ》んでいった。  裏のカラクリを暴かれた高天原かほりは、かれんの黒い噂《うわさ》と共に、ファンの心から、その居場所を失った。もはや木戸がどんな手を打っても、メッキのはげたバーチャルアイドルが、復活することはなかった。  ネットワークに生きて、永遠の命を与えられていたはずの美少女は、  こうして死んだ。                     #  ビッグ・ウエイヴ[#原本は「ブ」]は博通社《はくつうしゃ》と手を切った。それは、高天原かほりを『高千穂学園』から切り捨てることを意味していた。被害をかほりで食い止めて、本丸《ほんまる》の『高千穂』には飛び火させぬよう、社を挙《あ》げて取り組んだのだ。 『高千穂』と『性春学園』は、全くの無関係であると公式に発表する一方、石森が社に招かれ、応接室で統括《とうかつ》部長が直々《じきじき》に面談した。  部長は『性春学園』の販売中止を要求し、そのかわりドリーム・テックの技術力を認めたうえで、石森以下、六人の社員全員をビッグ・ウエイヴに迎えたい旨《むね》を伝えた。石森には相応の地位を用意することも確約した。一作目を開発したのがドリーム・テックと、世間に知られることを恐れた囲い込みだった。  破格の条件とも言えたが、 「お断りいたします」  石森はにこやかに答えた。そして同席していた私の顔を見た。 「御社《おんしゃ》に、お招きいただけるのは有り難いことですが、わたくしも社員も、自由に仕事をすることに慣れすぎたようです。大きな組織の中で働いても、力を出せそうにありません」  部長は、複雑な表情を見せた。 「『性春学園』はもう販売いたしません。すでに在庫が無く、新たにプレスをする予定もないのです。あの手のゲームを制作するのはこれで最後と決めておりました。『高千穂』の開発を手掛けたことを公表することもありませんので、ご安心ください」  部長は、ひとまず安堵《あんど》した。 「御社とは、これから同じ土俵《どひょう》で闘《たたか》わせていただきます。象とアリのようなものですが、踏みつぶさぬよう、お手柔《てやわ》らかにお願いいたします」  石森は、そう言って帰っていった。初めて見た彼のスーツ姿は、若い経営者の風格がほんの少しだけ感じられた。  高天原かほり単独のゲームは開発が中止され、続々編の『高千穂学園3』に全力が注がれることとなった。会社は開発のリーダー役を私に要請したが、それを断り、新しいスタッフに高千穂の将来を委《ゆだ》ねた。  清純な地位から墜《お》ちたアイドルは政府公報から即座に外されて、高い売り上げを誇ったかほりのキャラグッズは返品の山となった。  高天原かほりを産み出し、その最期《さいご》を看取《みと》った人間として、私は後片づけを淡々《たんたん》とこなす日々を送った。                     #  そんな仕事が一段落した頃、ネットワークを発信源として、初代の『高千穂学園』を開発したのはドリーム・テックで、その原形は『性春学園』との噂が広まりだした。  もう、どうでも良かった。私にとって『高千穂』は既《すで》に過去だ。すべてが終わった今、明日から始まる雑用仕事のほうが重要なことなのだ。  退社時間がきて、バッグの中から車のキーを取り出そうとしていたら、内線電話が鳴り、統括部長の部屋に呼び出された。 「ドリーム・テックの奴らは、『高千穂』のプログラムにイニシャライズしていたよ」  部長は、憎々しげに言った。  イニシャライズ。プログラマーがよくやるお遊び。自らが開発したプログラムに名前やメッセージを残しておくことだ。部長は、プログラムの一部をプリントアウトしたダンプリストを私に示した。リストには赤くアンダーラインが引かれた箇所があった。 TAKACHIHO-GAKUEN CREATED BY DREAM-TECH Ltd. AND THIS PROGRAM WAS BASED UPON SEISYUN-GAKUEN, ENTERTAINMENT SOFTWARE FOR GROWN-UP LITTLE BOYS AND GIRLS. (『高千穂学園』は、�ドリーム・テックが開発したものであり、大人向けのゲーム、『性春学園』をもとに作られている)  三年前に、石森達がプログラムの片隅に刻み隠した情報。  プログラムの解析や改造をする、ディープなゲームハッカーに発見されたらしい。  さらにその下には、スタッフの個人的なメッセージが続いていた。  一番下の行にあった、一番短い石森のメッセージに私の目は吸い忖いた。  N.Ishimori/I love MIYOKO KUMASHIRO.  思わず笑いが漏《も》れた。漏れてしまった。 「何がおかしいのかね」 「ごめんなさい。でも………」 「これは我が社にとって、笑っていられるような事ではないのだよ」  部長は私を睨《にら》んだ。  私は必死で口を噤《つぐ》む。  でも抑《おさ》えられない笑いがこみ上げてくる。こもった笑いが喉笛《のどぶえ》を鳩《はと》のように鳴らした。 「クッ、クッ、クッ、クッ……………」  肩が小刻みに揺れた。 「神代《くましろ》君ッ! いい加減にしたまえっ!」  部長がデスクを拳《こぶし》で叩いた。  その時、私の中で何かが音を立てて弾《はじ》けた。  自然に手がバッグの底を探っている。  引っぱり出した一枚の封筒を、部長の前に置いた。  一瞥《いちべつ》して、部長は言った。 「これはなんの真似だね」 「そこに書いてあるとおりです」  数年間バッグの底で眠っていた封筒は、ちょっと皺《しわ》が寄っていたけれど、筆ペンで書いた文字は鮮やかだった。 『辞職願』  私は統括部長に最後の一礼をして退室した。  駐車場にローンの終わったスバルが私を待っていた。 [#改ページ]    23 かなり長めにエピローグ  また夏休みが来た。  わたし自身は何も変わってないけれど、取り巻く環境はすこしばかり変わった。  まず、わたしは女子高生から女子大生になった。  イギリス留学の話は立ち消えになったけれど、付属の特権を使って女子大へのエスカレーターにも乗らなかった。  わたしは今、某大学の演劇科に通っている。いつの間にか『演ずる』ことに興味を持つ自分に気付いて選んだのだ。変なところに進学したかな、とも思うけれど、両親から受け継いだ遺伝子が、わたしを芝居の道へと導《みちび》いたのかもしれない。  口に出してハッキリとは言わないが、おかあが、いちばん喜んでいるようだ。  うちの学校の演劇科を目指す学生は、高校の時からレッスンを受けて、先生にもきちんと付け届けをして計画的に受験するそうだけれど、わたしは何もせずに受けた。無理だろうなと思ったけれど、どういうわけか合格した。あとで聞いたのだが、実技試験にあった『自己表現』の成績が、群を抜いて良かったそうだ。これは、かほりからプレゼントされた能力だったと、わたしは考えている。  熱しやすく冷めやすいって言葉があるように、あれほどの人気を誇った高天原《たかまがはら》かほりや、ぶすじま・かれんの名も、今では忘れられつつある。  ただ一度だけ、今年の春、写真週刊誌でよくある『あの人は今』の特集で、わたしは隠し撮《ど》りされた。そんな時に限って、わたしはイモく撮《うつ》される。メガネに高校の制服の延長みたいなプリーツスカート、おまけに手に提《さ》げた袋からは夕食用に買った大根がニュッと出てた。  この人を、あの高天原かほリ役の声優、ぶすじま・かれんと気付く人は、まずいないだろう。区の福祉センターに週二回通って来るとの情報を入手したカメラマンが待つこと三日間、彼女は現れた。ほぼ一年ぶりにレンズが捕らえた、ぶすじま・かれんは、あの伝説のバーチャルアイドル、高天原かほりよりも、さらに真面目《まじめ》な印象だった。福祉センターに通っているのも、視覚|障碍者《しょうがいしゃ》に朗読の録音をするボランティア活動のためという。一時流れたアダルトゲームの声優をしていたという噂《うわさ》は、熱心なファンが声紋《せいもん》を分析した結果、完全にガセと判明したそうだ。骨髄《こつずい》バンクに率先して協力するような彼女には、声の濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》は降ってわいた災難だったようだ。それに懲《こ》リたのか、彼女は再び声優業をすることもなく、都内の大学で静かに演劇を学ぶ日々だという。(この先は、私が恥ずかしくなるような文章が続くから、ここでカット)  結論からいうと、わたしの名誉は守られたのね。  でもこの記事には大きな間違いが一つある。  オフィス・ミップスの所属俳優から、ぶすじま・かれんが消えたのは事実だけど、前後して一人の名前が新たに加わった。  神代《くましろ》魅世子《みよこ》。  これが今のわたしの第二の名前。  あの騒ぎに、わたしを巻き込んだ神代|美代子《みよこ》おねいに、少しは罪滅ぼしさせてやろうと、無許可でいただいたんだ。字はすこし変えたけれどね。世の中が、かほりとわたしに魅《み》せられたって意味もちょっと入って、魅世子なの。芝居で食べていくのが楽じゃないことは、わたしがいちばんよく知っている。つぶしのきく人間になるためにも、声優業を続けていくことにしたんだ。これは、おかあのアドバイスでもある。まだ大きい役はつかないけれど、今井《いまい》のおじさんは、高天原かほりのイメージが世間から消えた頃に、どんどんオーディションを入れるって言っている。今は、ほんの二言三言って役が多いけれど、何度かは、おかあとも共演した。  それを言えば、初の親子共演は、去年なんだけれどね。                     ※  未成年とオトナの違いは、酒、タバコや選挙権の有無じゃなく、オトナの仲間に入れてもらえないことなんだと、今のわたしは思っている。  高天原かほり&ぶすじま・かれんスキャンダルは、偶然起きたものじゃなかった。おねいと、おかあと、ドリーム・テックのハカセ達が仕組んだものだったんだ。  計画を立ち上げたのは、おねい。  おねいは妹同然のわたしが、木戸《きど》のよこしまな目的に利用されるのが我慢ならなかったし、巻き込んだ責任も感じていたらしい。  おかあは、わたしをかほりから切り離すために。  ハカセ達は自ら産み出した高天原かほりを木戸の手から取り戻すために、力を合わせた。 『性春学園』は文字どおり『高千穂《たかちほ》』への、いや『高天原かほり』へのキラータイトルとして、ドリーム・テックのスタッフとおねいが、不眠不休で造り上げたものだった。  最後まで謎だった『漆原《うるしばら》操《みさお》』の|C   V《キャラクター・ボイス》、実はおかあだったのだ。木戸がスタジオを調べてもわかるはずはない。ハカセ達は声優専門学校にあるスタジオで、おかあの声を限りなく私に近づけて、深夜、ゲリラ的に収録したらしい。  ラジオの暗い不気味なオタクからの電話は、ドリーム・テックの中で、いちばん芝居っ気のある人を、おかあが猛特訓して役作りさせたもの。  そして、エロい小学四年の男の子は、二十四色の声の持ち主の、おかあ自身。  あの前夜に、わたしは計画をうち明けられた。  つまり、ラジオで泣き崩れたのは、ネットワークの観客を前にした、わたしの一世一代の演技で、おかあとの初共演でもあったってわけ。  ネットワークに流れた、ぶすじま・かれんの黒い噂も、スーツを着たわたしの写真も、声紋の分析結果が証明してくれた潔白《けっぱく》も、その火元はみんな、おねいとハカセだった。  おねいは、自分は単なる目撃者みたいに語ってるから気付かなかったかな?  高天原かほりは、彼女に命を吹き込んだ人達の手で、木戸から解放されたんだ。  この計画に最後まで及び腰だったのはハカセだったそうだ。自分の会社がとんでもないことになる危険があるものね。それに、わたしに一時とはいえ、汚名を着せるのをためらったんだって。ハカセって、そういうとこ優しいんだよね。  でも、すべてが順調にいった訳でもなかったんだって。みんながいちばん焦《あせ》ったのは、ドリーム・テックで、ハカセ達とおかあが打ち合わせしてたところに、木戸とおねいが、いきなり訪ねてきた時。  ドアが開いた瞬間、木戸の姿を認めたおかあは、演劇人らしくアドリブをかました。一秒前まで和気あいあいと相談してたのに、いきなり立ち上がって、みんなを怒鳴りつけだした。その豹変《ひょうへん》ぶりに、ハカセ達はマジで驚いちゃった。どうにかハカセも調子を合わせてくれたけど、そのあとの喫茶店で「俺と、こちらの奥さんはいつものヤツね」なんて言っちゃうところは、やっぱりハカセなんだよなぁ。そんないい加咸なオーダーしても、ハカセにはコーヒー、おかあにはミルクティーが出てきて、おかあも頻繁《ひんぱん》に喫茶店に来てるのがバレバレ。おねいと、おかあは、冷や汗タラタラだったけど、カッカしてた木戸にはわからなかったらしい。                     ※  他の人のことを話しておこうか。  まず、わたしの分身、高天原かほり。  彼女は完全に消えちゃった。  ビッグ・ウエイヴが、社内のほとんどのエンジニアを投入した突貫《とっかん》工事で完成させて、つい先日発売された『高千穂3』は、今までのキャラクターをそのまま使っていたけれど、そこに彼女が加わることは許されなかった。いきなり消しちゃうわけにもいかないから、成績優秀だったかほりは、イギリス留学したことになっていた。  代わりに、新しいキャラが三人、加えられた。  まずイギリスから、かほりとの交換留学生として、アンジー・ディッキンソンって、金髪のガイジン。  そして事実上のかほりの後継者として、伊邪那美《いざなみ》ひとみ、ってのがトップキャラにされた。前作の反省から、かほりよりは取っつきやすい性格にされていたし、CVには、ちゃんとした芸能プロダクションに所属する十七歳のタレントがキャスティングされた。わたしと違って、夜にスタジオ入りする時でも「おはようございます」って挨拶《あいさつ》するような、言ってみればプロの娘だったけど、伊邪那美ひとみは、かほりほどの支持は得られなかったし、タレントの娘は、わたしの人気の足下《あしもと》にも及ばない(これ、けっこう自慢だ)。  ビッグ・ウエイヴの予想を裏切って一番人気となったのは『出雲《いづも》響子《きょうこ》』っていう第三の新キャラだった。設定は面倒見の良い放送部の部長。わかったでしょ? CVはもちろん、ウメちゃんだ。かほりの最後の放送で、ピンチヒッターを務めた名無しの彼女はブレイクした。その人気を開発スタッフも無視できなくて、急遽《きゅうきょ》、加えられたそうだ。現実のウメちゃんも面倒見の良いお姉さんだから、ぴったりのキャステイングだと思う。  良かったね、ウメちゃん。  ちなみに、俳優のタマゴ兼声優の先輩でもあるウメちゃんとは、今でもいい友達だ。  次にハカセこと、ドリーム・テック壮長の石森《いしもり》直人《なおと》。  石森ハカセは『性春学園』で、エロゲー制作から完全に足を洗った。ドリーム・テックは、一般向けのゲームと幼児教育ソフト(ハカセはこれがやりたかったらしい)の開発に専念する会社になった。『高千穂』の開発元ってことが世に知られたから、新作が出るのを期待されているらしい。社員も増やして、これからが正念場ってとこだ。  最後は、おねいこと神代美代子。  おねいは、しばらく失業保険でももらってのんぴりすればいいのに、ビッグ・ウエイヴを辞めたその足で、半ば押しかけるようにドリーム・テックに転職した。今ではそこの副社長に収まっちゃった。  あぁ、忘れちゃいけない木戸さん。  最後くらいは、さん付けしてあげよう。木戸さんは、局長賞をもらう事もなく、年度変わり前に北海道《ほっかいどう》に転勤していった。ハッキリ言うと、飛ばされちゃった。どう考えても、可哀想《かわいそう》とは思えない。身からでた錆《さび》だ。                     ※  夏休みに入るちょっと前に、おねいから電話があった。  ——かれん、あんたパソコン持ってる? 「ないよ、そんなもの」  ——私、買い換えるから、いま使ってるのあげるわ。きょうび、パソコンも使えないと赤っ恥もんだからね。ありがたく受け取りなさい。 「わー、さんきゅ」  ——でも、タダってほど世の中は甘くないのよ。開発中のゲームのβ1があがったから、あんたが第一号のモニターとして、プレイして感想を聞かせなさい。 「エロゲーじゃないでしょうね」  ——我が社は清く正しいソフトハウスに生まれ変わったのよ。  すぐに宅配便でパソコンが届いた。いっしょに『ふぉーりん・ラヴ』ってゲームの試作版が入っていた。ずいぶんベタな名前をつけたもんだな。このゲーム、おねいとハカセがシナリオに凝《こ》りすぎて、開発が遅れに遅れたいわく付きのものなのだ。プレイヤーは、複数いる男女の中から自分キャラを選んで、ゲームを進めていく。理想の相手を見つけてゴールインするのが、最終目的。試作品だから、音声も音楽も付いてなかったけど、ゲームはプレイできた。  なかなか面白かったよ。  でも、ある設定を選んだら、あははは、笑っちまった。  キャリアウーマンぽいけど、性格がキツメの女がいる。  ベンチャーと言えば聞こえはいいけど、超零細企業の頼りない経営者がいる。  女はゲームが進んでいくと丸くなって、頼りない経営者は男らしく変わっていく。  他の男の誘いを断って女が選ぶのは、零細企業の経営者だ。二人を結びつけるキューピッド役の女子高生まで出てきやがる。  こんなシナリオ書くのに時間くってたんだ。かなりの希望的観測が入ってるんじゃない? エンド・クレジットには、たくさんの名前が並んでいた。ドリーム・テックも社員が増えたんだよね。  あれ? 神代美代子って、おねいの名前が出てこないぞ。  と思ったら、最後に出てきたけど、姓が違ってた。   シナリオ&制作担当………………石森美代子   シナリオ&監督……………………石森 直人  そう、こういう事だったの。  これを言いたかったんだね、おねい。  わたしに正面からマジメに話すのは苦手だものね、特に自分のことは。  ゲームの発売はクリスマス商戦向けに十二月の予定。その頃なんだ。仮定法未来ってやつか。  鈍感《どんかん》なおねいも、自分のことをずっと想ってる男が側にいたのに、やっと気付いたって訳だ。                     ※  先週、ドリーム・テックは移転した。引っ越しの騒動も落ち着いた頃だから、おねいの顔でも見に行こうか。  越した先は小ぶりのオフィスビル五階のフロア。  エレベーター横のテナント名に、  【�ドリーム・テック】と書いてある。  気がついた? 21ページとの違いを。�の字が�に変わってるでしょ。『性春学園』でちょっと儲《もう》けて、少し成長したのよ。  美人の受付嬢はいないけど、そこそこ広くて清潔なオフィス。人も増えたし、わたしが帝都《ていと》ラジオでつながれていたのと同型の|W  S《ワークステーション》も入った(リースらしいけど)。これが据《す》え付けられた日に、オフィスに一人残ったハカセは、マシンに頬《ほお》ずりして嬉し涙を流したらしい。  向こうから、副社長が歩いてきた。環境が変われば、おねいも変わるもんだ。Tシャツにリーヴァイスのスリムジン、足もとはロックポートのウォーキング・シューズってスタイルだ。おケツもプリッと上向いてて、まだ捨てたもんじゃないぞ、おねい。 「いらっしゃい、かれん」 「いいところね」 「賃貸《ちんたい》料、いくらだと思ってんのよ」  社員の持ってくる領収書をチェックする側になれば、言うことが違ってくるんだ。 「このゲームやってみたよ」  わたしはCDロムを出した。 「どうだった?」 「面白かったけど、最後のスタッフクレジットに、誤字があったみたいね」 「あ、そう。じゃ、これはまだ誰にも見せないほうがいいわね」  おねいは、CDをさっさと金庫にしまった。 「企業秘密だから、まだ他言無用よ」  どうしてこういう回りくどい言い方しかできないんだろ。 「わかってるわよ。ま、おめでとうって言っておくわ」  おねいは照れたように笑った。 「あんたにも、声をアテてもらう予定だから、頼むわよ」 「そういうことは、事務所を通してください」 「ケッ、ホントにイヤな娘だよ、お前って」  でも顔は笑っていた。そして小声で言った。 「最近入ったバイトで、雑用やらしてる男の子がいるんだけど、これが、けっこういいのよ。私も十歳若ければ、ツバつけたくなるような」 「もう浮気?」 「高天原かほりのファンだったって言ってたから、お前のひと声で、コロッといくよ」 「もう、かほりはいいのよ」  かほりファンの残党は、まだかなりの数が生息しているんだ。 「おーい、ドレイ一号」  おねいが呼ぶと、パソコンに向かってた若い男が一人、こっちに来た。確かに最近にないヒットだなって、外見だった。 「じゃあね、私は営業にいくから」  おねいは意味深に片目をつぶると、車のキーをジャラつかせて奥に消えた。 「はじめまして、毒島《ぶすじま》です」  と、わたしが男に言うと、 「はじめてじゃないよ、二回目」  男は、既知《きち》の友人のように私を見た。 「え? ………(言われてみれば、どこかで、ん?)」  もう少し顔を膨《ふく》らませて、頭をスキンヘッドにすれば……… 「あ! あなた、もしかして井上《いのうえ》君じゃないの? 井上|公彦《きみひこ》君?」 「うん」 「すっかり見違えちゃったよ。元気になったんだ」 「おかげさまで」 「あなたのこと、何度も訊《き》いてみようと思ったの。でも、悲しいこと聞かされるんじゃないかと思ったら、怖くてできなかったの……」 「ありがとう」 「いまは?」 「大学で情報工学やってる」 「高校を休学してたんじゃないの?」 「大検受けて。入院してたら勉強ぐらいしかすることないからさ」 「どうして、ここにいるわけ?」 「君にお礼を言いたくてオフィス・ミップスに訊《き》いたら、ぶすじま・かれんは、もういませんって言われて。それでビッグ・ウエイヴに神代さんを訪ねたら、辞めて、こっちにいるって」 「で、おねいに引っ張り込まれちゃったんだ。私みたいに」 「ずっと言いたかったんだよ」 「何を?」 「病院に来てくれた時、訊いただろ? 『ラジオのリスナーって、高天原かほりのファンなのかな、それとも私のファンなのかな』って」 「そんなこと言った?」 「ずっと後悔してたんだ。なんであの時、君のファンだって、言えなかったんだろうって」  井上公彦は照れずにわたしに言った。 「すごいじゃないの。元気になったとたん。あの内気だったあなたは、どこいったのよ」  わたしは驚いて笑った。 「変わったからじゃないかな、血液型」 「え?」 「骨髄《こつずい》移植すると変わるんだよ。僕はA型から、明るい性格のB型になった」 「でも、あなたが知ってるのは、ゲームとラジオの中の私なんだよ」 「メガネ、よく似合うよ」 「………バカ、シャイなところが良かったのに…………」  と、奥からおねいの大声が。 「こら、ドレイ一号、色気付いてサボってると時給減らすぞ、とっとと仕事しろ!」 「じゃ、また」  井上公彦は、慌《あわ》ててデスクに戻った。  おねいは、わたしに笑ってVサイン、営業に出かけていった。  入れ違いにハカセが入ってきた。おねいとは逆にスーツが普段着の生活になったようだ。 「こんちわハカセ、おじゃましてます」 「おい、もうハカセはやめてくれよ」 「じゃ、なんて言えばいいの?」 「そうだな、正太郎《しょうたろう》君に社長って言われるのもなぁ、ま、君は特別にハカセでいいよ」 「了解、ハカセ」 「今日は早めに切り上げて、みんなで移転祝いのカラオケに行く予定なんだ、一緒に来るか?」 「うん」 「じゃ、しばらく待ってなさい」 「新しい仕事場、見せてもらっていい?」 「ああ。キッチンはまだ整理してないから、良かったら片付けてくれよ。また、炊《た》き出ししてもらうかもしれないし」 「人数が増えちゃったから、今度は大変だな」 「冷蔵庫に入ってるジュース、好きに飲んでいいから」 「うん」  無糖の缶コーヒーを出して、プシュッと開けた。  日当たりのいいフロア。カタカタと鳴るキーボード。低い唸《うな》りをあげるコンピューター。それに快活な社員の声。前の狭いマンションのように、壁にアイドルのポスターもなければ、オモチャが散らかってもいない。どこから見ても、ちゃんとしたエンジニアの職場に変わっちゃった。  でも…………  いくつかのデスクの上には、高天原かほりのマスコットが目立たないように置かれていた。そのデスクの主は、あの狭いマンションで『高千穂学園』を制作した人達だ。  社長室のハカセの机には、小さな写真立てが二つあった。一つは笑ったおねいの写真。もう一つには、かほりのブロマイドが入っていた。  おねいがジャラつかせていたキーホルダーのヘッドにも、小さなかほりの人形がついていた。  世の中から消えた彼女は、産み出した人達の所へと戻っていたらしい。  わたしの高校生活の三分の二は、高天原かほりと共に嵐のように過ぎていった。  ゲームで初めて会った高天原かほりは、おかあの声で喋《しゃべ》る嫌な娘だった。  わたしの声が彼女のものとなってからは、仮想世界の住人だったかほりが、毒島かれんの日常に何の断りもなく踏み込んできて、絶えずプレッシャーを与え続けた。  わたしは高天原かほりという架空《かくう》の人格を疎《うと》ましく思っていたし、この世に存在しない理想の女の子に熱を上げるファンを、冷ややかに距離を置いて見ていた。  でも今、落ち着いて振り返ると、あの時期、わたしとは別の考えで話し、行動する、高天原かほりという同い年の女子高生が、確実に自分の中にいたのだと思う。  かほりを演じることを強要されたストレスで、二重人格になっていたと思われるかもしれないけれど、わたしはそう信じている。  理想の女の子の十字架から解放された高天原かほりは、わたしの心のどこかに今もいる。  すぐそばに彼女を感じることができるんだ。  架空の人間の存在を信じているなんて、正気とは思えないだろうけれど、  でも、彼女はいる。  仮想の世界ではなく、現実の世界にきっといる。  おねいや、ハカセや、ドリーム・テックの人達、そして元気になって現れた井上公彦、みんなとわたしを巡り合わせてくれたのも、  両親の跡を継いで演劇の道を選ぶきっかけを与えてくれたのも、彼女なのだ。  わたしの目の前に広がっている世界。  それこそが高天原な現実《リアル》にほかならないのだから。 [#地付き]——おわり—— [#改ページ]   新世紀版のあとがき [#地から4字上げ]霜越かほる 「作家とは、なるものではなく、なってしまうものなんだ」  というのは尊敬する田中《たなか》芳樹《よしき》先生のお言葉ですが、この「高天原《たかまがはら》なリアル」こそが、わたくしを作家にしてしまった問題の書でございます。  三年前に本作を集英社様に拾っていただき、本にして世に送り出していただいたおかげで、 「漢字くらいちゃんと書けないの?」「いつまでたっても、ちっとも上手《うま》くならないねぇ」 「大作家並みですね、締め切りを守らないところだけは」  などと優しい編集者様から、日々、暖かい言葉をかけていただける境遇になったのですから、ほんとうに人間、いつどうなるかなんて、わからないものです。  と言いますのも、不肖《ふしょう》、霜越、作家を目指して一念|発起《ほっき》、ねじり鉢巻《はちま》きをしめてこの小説を書きあげたのではございません。「高天原なリアル」は仲間内のおふざけから、何となく生まれたストーリーでした。  二十三章という小説作法を無視した異常なまでに細かい構成になっているのも、文体が往年の少女小説の模作(バステイッシュ)になっているのも、扱っている題材がいろんなパロディになっているのも、そういう出自であるからとご理解くださいませ。  今、出版を前提に仕事を受けたら、とてもじゃないが、神も仏も民主主義も資本主義さえも恐れない、こんな危ない小説など書けませんて。(担当編集者様のおかげでそのあたりの分別だけは、三年間でちょっとだけ身に付きました)  今回、スーパーダッシュ文庫で再刊されることになり、改めて読み返してみると、いろいろ手を入れたいところが目に付きました。  しかし「筆の置き時を知らないへっぽこ絵描きのようなあなたが書き足したりすると、いつ終わるかわからない」という編集者様の賢明なる御判断から、ほとんど手つかずそのままの状態で、再び皆様にお目にかけることになりました。  ふつうであれば、現在を舞台にしたストーリーは、数年もたつと、どこかしら古びて、ウソっぽくなる物ですが、この「高天原〜」に関しては、むしろリアルさが増しているような気さえします。それほどに、ここ数年間の情報通信技術の発達は目覚ましいものでした。  本作がはじめて出版されたのは世紀末の一九九九年ですが、書いたのはさらにその三年ほど前。ネットワークがポピュラーになり始めた、まさに情報通信革命創世記の頃でした。当時は、今のようにインターネットが爆発的に普及することなど想像できなくて、自分では近未来の話として、この物語を書いていたと記憶しています。ネットワークで家庭に動画を配信するなんて、当時のインフラでは不可能に近かったのです。  ところが、今やブロードバンドの世の中。作中で書かれているようなことは、ごく当たり前になってしまいました。技術の進歩がたった五年ほどで、近未来から「近」の字をはずしてしまったのです。  それほど世の中は変わったのに、まえの後書きで触れた日本の不況のほうは、新世紀になってもいっこうに良くなる気配がありません。  でも、神代《くましろ》女史の、 『人生、終わってみるまで、どこで引き合うかわからない』  という言葉は、三年前のわたくしを例に挙げるまでもなく、今でも生きていると信じております。(まぁ、わたくしの場合は、一寸先は闇《やみ》といえなくもないんですが)  引き続き、皆様の歩む先にも�適度な刺激�と�ぼんやりとした希望�が訪れることを、うちの娘達とお祈りしています。  ちょっとだけ成長した二人の近況を報告できる日まで、しばしのお別れです。 [#地付き](二〇〇二年六月)